死にたがり令嬢の新しい人生

クラウディアは母の名が刻まれた墓石の前で佇んでいた。亜麻色の髪は艶がなくパサついいており肩の辺りで適当に切り揃えられている。深緑の瞳は虚で焦点が合っていなかった。肌も病的な程白く、身を包むベージュのワンピースはところどころ擦り切れていて平民が着るものと大差ない。クラウディアはその場にしゃがみ込むと墓石を右手で撫で、喉から絞り出した声でポツリと呟く。

「…お母様…私、何のために生きてるのでしょうか…」

クラウディアはスカートの裾を捲り、太腿に付けているベルトからナイフを取り出し躊躇いなく首筋に当てる。

「…ここで死ねば…少しはあの人達への当て付けになりますか…」

問いかけても母は何も答えてくれない。母がもし生きていたら、止めてくれただろう。気位が高かった母は父に嫁がされてからすっかり憔悴し、最後は風を拗らせクラウディアの行く末を案じて8歳の時に亡くなった。結果、母が案じた通りの結末を辿ろうとしている。自分で問いかけておいて、クラウディアがやろうとしていることは何にもならないと分かっている。家の名に傷を付けることは出来るだろうが、あの人達はカティアがここで死んでも罪悪感を抱くことは決してない。面倒事を起こして、と口汚く罵り棺桶を蹴り上げるだけだ。何故クラウディアがこの選択をしたのか、考えることすらしないのだ。そんな人達への当て付けで死を選ぶなんて馬鹿げている。しかし、クラウディアはもう疲れた。それに、このまま生き続けたとして行き着く先は同じ。

それくらいなら今すぐ母に会いたかった。クラウディア目を閉じ、ナイフを強く握り締めると首筋に刃を突き立てた。

しかし、襲ってくるはずの激しい痛みや血が噴き出る感覚がいつまで経ってもやって来ない。クラウディアが恐る恐る目を開けるとナイフを握った手の上に誰かの手が重ねられていた。その手を辿った先には男性がいた。短く切り揃えられた漆黒の髪に鋭い光を帯びた紫の瞳の精悍な顔立ちの男性で、その表情は険しかった。どうやら彼がクロウディアを止めたらしい。余計なことを、と内心苛立つが表には出さない。男性は自分を見上げるクラウディアに硬い声で尋ねる。

「…お前、こんなところで何をしている」

「何を…こうして私を止めたということは分かっていらっしゃるのではないですか?」

投げやりに放たれたクラウディアの声は苛立ちを孕んでいる。本来ならば止めたことに感謝の言葉をかけられるはずが、余計なことをして…というクラウディアの本心を隠しもしなかった。命を助けたのにその態度は何だと叱責されるかと思ったが、男性の表情は変わらない。

「分かっているが敢えて聞いた。死のうとしていたのだろう?」

「そうです、止めていただいたのに大変申し訳ありませんが邪魔をしないでくださいませ」

「目の前で死のうとしている人間を見捨てる程冷酷なつもりはない」

「では、あなたが立ち去った後にします」

クラウディアは渋々ナイフを下ろすが男性は手を離さない。仕方のないことだが、全く信用されていないようだ。人並みの親切心を発揮されても迷惑なだけだ。

「それも困る。ここには俺の幼馴染もいるんだ。突然人が首から血を噴いて死んだら仰天してしまう。奴は心臓が悪かったんだ、命日に恐ろしいものを見せたくない」

この男性の幼馴染とやらもここに眠っている。彼は墓参りに来てクラウディアに出会してしまった。不運なことである。

「では、幼馴染の方がいらっしゃる場所を教えてください、その方の視界に入らないようにしますので」

だから何処かに行ってくれ、と言外に告げるとそうじゃない、と言わんばかりにため息を吐かれた。  

「わざと言っているだろう…その墓、誰のだ」

「…母のですが」

「そうか、お前母親の前で死ぬつもりなのか」

「…何をおっしゃりたいのですか」

「別に。ただ確認をしただけだ」

たったそれだけの言葉にクラウディアは動揺した。第三者から事実を突きつけられることで、クラウディアがやろうとしていることは唯一慈しんでくれた母への裏切り行為なのだと思い知らされる。ナイフを持つ手が震えた。母は死ぬ間際、「私の分まで生きて、置いていくお母様を許して」と言い残した。クラウディアを残して死んだ母を子供の頃恨んだこともあったが、母の願い通り母の分まで生きようと決心したのだ。だから今日までがむしゃらに生きてきて、そしてどうでも良くなった。だから母の元に行こうとしたのだが、果たして母はクラウディアが来たとして喜んでくれるのか。寧ろ自分の願いを無視して、と怒るのだろうか。そう思うと、あれだけ母の元に行きたかったはずなのに心の中に躊躇いが生まれる。その隙を突かれて男性にナイフを取り上げられてしまう。クローディアは立ち上がって男性に詰め寄った。

「か、返してください」

「駄目だ、何をするか分からない奴に刃物を持たせられるか。わざわざナイフを持って母親の墓参りに来たのか」

「…いいえ、普段から持ち歩いているものです」

「…?護身用か」

男性が怪訝な顔で尋ねる。身なりからして平民にしか見えないクロウディアが護身用としてナイフを持ち歩くことは珍しくはなく、男性もそうだと思っているようだ。だが、そんな普通の理由ではない。正直に話したところで引かれるだろうが、もう会わない人だ。どう思われようとどうでも良い、と投げやりな気分で口を開く。

「違います、何をされても、何を言われても相手をこれでいつでも殺せる、と思うことで自分を落ち着かせるために持ち歩いているんです」

「…は?」

凡そ正気とは思えないクロウディアの返答に男性は理解出来ない、とばかりに眉間に皺を寄せた。今度はクラウディアが隙を突いてナイフを奪い、素早くスカートを捲りナイフを仕舞うと何か言われる前に男性から離れた。

「…ご迷惑をおかけして申し訳ありません。ここで命を絶つことはしませんので安心してください」

白々しい言葉を残し、この場を立ち去ろうとした時突然目の前がぶれた。立ちくらみを感じ頭を抑えるが、治らない。遂に立っていることが出来なくなり、その場に蹲る。

「っ!おい!」

背後から男性の声が聞こえるが、それを最後にクラウディアの意識は闇へと沈んで行った。



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