底辺令嬢はエリート魔法師に甘やかされる
プロローグ
「あっ」
「何してるのよ……!」
二人の令嬢が同時に声を発した。二人の間には、さっきまで赤ワインが中を満たしていたのだろうと推察される、空のグラスが床に転がっている。
夜の闇を想起させる漆黒の髪に空色の瞳を持つシャルロットが身にまとうドレスには、赤いシミが広がっているようだ。しかし、彼女はそれを気にもせず、申し訳なさそうな表情でもう一方の令嬢に謝っている。
「サンドラ、ごめんなさい。私が手を滑らせてしまったせいで……」
「いいんですのよ。お姉様がグズなのはいつものことですから」
サンドラと呼ばれた令嬢は、イライラしながらチョコレート色の髪を掻き上げ、真紅の瞳に激しい怒りを覗かせている。
しかし、シャルロットのドレスには赤ワインのシミが浮いているのに比べ、サンドラのドレスは無傷だ。
「とっさに魔法でガードできたからよかったですが、私じゃなかったら間に合わずに大惨事になっていましたわ。気をつけてくださいね」
「ええ。ほんとうにごめ……」
「ああ、もう陰気臭いのはたくさんです。シャルロットお姉様、もう一度飲み物を取ってきてくださる?」
「わかったわ。サンドラ、少し待っていて」
漆黒の髪に空色の瞳の少女――シャルロットは妹のために飲み物を調達しようとその場を離れた。
その後ろ姿を見送り、サンドラの周りに集まった令嬢たちは口々にサンドラを褒め称える。
「サンドラ様、素晴らしい魔法でしたわ。発動が速く、咄嗟でしたのに完璧な防御でしたわね……!」
「ええ。サンドラ様のドレスが無事で安堵いたしました。サンドラ様でなければこの場の誰もガードが間に合いませんでしたもの。さすがですわ」
「ふふふ。そうかしら」
シャルロットは、賛辞を受けて得意げに笑うサンドラの様子を遠目に眺め、ため息を吐いた。
「もう、私のことは連れてこなければいいのに……」
そう呟きつつも、シャルロットにはわかっていた。サンドラは、自分の地位を確立するために、姉であるシャルロットとは“立場が異なる”ことを周囲に知らしめる必要があるのだ。
それは、シャルロットよりも“サンドラの方が価値がある”と完璧に周知されるまで、シャルロットがサンドラの侍女のような立ち位置で社交界を連れ回され続けることを意味していた。
『役立たずなんだから、せめて私の侍女くらいしっかり務めてくださいね』
この舞踏会に来る前にも、サンドラはシャルロットに向けてそう言って笑っていた。笑っているはずのサンドラの目は、火属性を示す赤を纏っているのにも関わらず、たっぷりの氷を閉じ込めているような冷たさをシャルロットは感じていたけれど。
「私、いつからこうなったんだろう。もう、普通に暮らせないのかな……」
シャルロットの手は未・だ・震えていた。この震えが止まらない限りは飲み物など持って戻れない。そうでなくとも、グラス一杯分のワインを吸ったドレスのまま戻ることなんてできないけれど――。
シャルロットは“人に触れるのが苦手”だった。それも、極端に。先ほどワインのグラスを落としてしまったのも、シャルロットのその性質を知っているサンドラがそうなるよう『仕向けた』のである。
「私だって、もう、あんな家出ていきたい……自由に生きていいのなら、喜んでそうするわ……」
シャルロットの心からの嘆きは、会場のザワザワとした喧騒に紛れ、消えていった。
「何してるのよ……!」
二人の令嬢が同時に声を発した。二人の間には、さっきまで赤ワインが中を満たしていたのだろうと推察される、空のグラスが床に転がっている。
夜の闇を想起させる漆黒の髪に空色の瞳を持つシャルロットが身にまとうドレスには、赤いシミが広がっているようだ。しかし、彼女はそれを気にもせず、申し訳なさそうな表情でもう一方の令嬢に謝っている。
「サンドラ、ごめんなさい。私が手を滑らせてしまったせいで……」
「いいんですのよ。お姉様がグズなのはいつものことですから」
サンドラと呼ばれた令嬢は、イライラしながらチョコレート色の髪を掻き上げ、真紅の瞳に激しい怒りを覗かせている。
しかし、シャルロットのドレスには赤ワインのシミが浮いているのに比べ、サンドラのドレスは無傷だ。
「とっさに魔法でガードできたからよかったですが、私じゃなかったら間に合わずに大惨事になっていましたわ。気をつけてくださいね」
「ええ。ほんとうにごめ……」
「ああ、もう陰気臭いのはたくさんです。シャルロットお姉様、もう一度飲み物を取ってきてくださる?」
「わかったわ。サンドラ、少し待っていて」
漆黒の髪に空色の瞳の少女――シャルロットは妹のために飲み物を調達しようとその場を離れた。
その後ろ姿を見送り、サンドラの周りに集まった令嬢たちは口々にサンドラを褒め称える。
「サンドラ様、素晴らしい魔法でしたわ。発動が速く、咄嗟でしたのに完璧な防御でしたわね……!」
「ええ。サンドラ様のドレスが無事で安堵いたしました。サンドラ様でなければこの場の誰もガードが間に合いませんでしたもの。さすがですわ」
「ふふふ。そうかしら」
シャルロットは、賛辞を受けて得意げに笑うサンドラの様子を遠目に眺め、ため息を吐いた。
「もう、私のことは連れてこなければいいのに……」
そう呟きつつも、シャルロットにはわかっていた。サンドラは、自分の地位を確立するために、姉であるシャルロットとは“立場が異なる”ことを周囲に知らしめる必要があるのだ。
それは、シャルロットよりも“サンドラの方が価値がある”と完璧に周知されるまで、シャルロットがサンドラの侍女のような立ち位置で社交界を連れ回され続けることを意味していた。
『役立たずなんだから、せめて私の侍女くらいしっかり務めてくださいね』
この舞踏会に来る前にも、サンドラはシャルロットに向けてそう言って笑っていた。笑っているはずのサンドラの目は、火属性を示す赤を纏っているのにも関わらず、たっぷりの氷を閉じ込めているような冷たさをシャルロットは感じていたけれど。
「私、いつからこうなったんだろう。もう、普通に暮らせないのかな……」
シャルロットの手は未・だ・震えていた。この震えが止まらない限りは飲み物など持って戻れない。そうでなくとも、グラス一杯分のワインを吸ったドレスのまま戻ることなんてできないけれど――。
シャルロットは“人に触れるのが苦手”だった。それも、極端に。先ほどワインのグラスを落としてしまったのも、シャルロットのその性質を知っているサンドラがそうなるよう『仕向けた』のである。
「私だって、もう、あんな家出ていきたい……自由に生きていいのなら、喜んでそうするわ……」
シャルロットの心からの嘆きは、会場のザワザワとした喧騒に紛れ、消えていった。
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