底辺令嬢はエリート魔法師に甘やかされる

拾われた事情

「いた! ラメル様だわ……!」



 なぜかラメルの訪れる場所を知っていたサンドラによって、猫になったシャルロットはラメルの出没スポットまで運ばれて行った。

 そして、恐ろしく顔のいい“ラメル様”らしき人がいる場所に近づくにつれて、小さくなってしまったシャルロットの身を大きな後悔が襲った。



(ああ……。これはだめだわ。ライバルが多すぎる……)



 その場にはラメルを中心に、貴族令嬢と猫たちが溢れていた。おそらくみんなサンドラと同じ目的でここにいるのだろうと推測できた。ただ、“猫化”はかなりの魔力量を必要とする魔法だから、ここにいる猫たちの中で、人間なのはシャルロットだけかもしれなかったが――。



(ラメル、恨むわよ。どうしてサンドラだけにこっそりと教えてくれなかったの……)



 この状況では、シャルロットがラメルに気づいてもらって、魔法を解いてもらうのは難しいかもしれない。



(……詰んでるわ)



 肩を落として自分勝手な感想を抱きなら、シャルロットは遠巻きに令嬢と猫たちの群れを眺めていた。サンドラは、猫が苦手と言っていた割には、意気揚々と戦場へと殴り込んでいるように見えた。

 ラメルは表情を凍りつかせてタジタジの様子である。十数人の令嬢たちと、それと同数の猫たちに囲まれているのだから当然かもしれない。



(サンドラは本当に私を置いて帰るつもりなのかしら。最悪の事態を避けるためにもなんとか彼に気づいてもらって、魔法を解いてもらわなくちゃ!)



 最悪のシナリオを完成させるわけにはいかない――! シャルロットは萎んでしまった気を持ち直し、サンドラに倣って自分の存在を精一杯アピールすることにした。



「にゃあん! にゃあーーん!」



 他の猫たちに紛れながらも声の続く限り鳴き続けていると、喉がカラカラになってきた頃に一瞬ラメルと目が合った気がした。



(気づいてもらえた……⁉︎)



 と喜んだのも束の間、シャルロットの視界はサンドラの長いドレスの裾で遮られ、そのまま殺傷力の高そうなヒールで踏まれ、蹴飛ばされた。

 ラメルの視線を自分に向けようと画策しての行動だろうけれど、猫になったシャルロットの小さな身体を踏んづけて蹴飛ばすなんて信じられなかった。



(ラメル、やっぱりサンドラだけに情報を教えなくて正解だわ……。この子がこのあと私を介抱するために涙を流しながら駆けつけたとしても、外面に騙されちゃだめよ……。しっかり見極めるのよ……)



 お人好しにも、シャルロットは意識が無くなる直前までそんなことを考えていた。




◆◆◆




 次に目が覚めたとき、シャルロットはとても心地よい何かに包まれていた。



「ああ、可哀想に……。なんで目を覚さないんだ? 俺の魔法は最高レベルのはずだろう!? “至宝”などと呼ばれているのに、こんなときに使えなくていつ役に立つんだ……!」



 

「にゃ……」

(うん? なにごと?)





「!? 目が覚めたのか……!?」

「にゃあ?」

 (え?)



 私は覚醒したと同時に、思ってもみなかった状況に置かれていることに困惑した。



「にゃーー⁉︎」

(なにーー⁉︎)

「よかった……!」



 どういう経緯でこうなったのかわからないが、目を覚ましたシャルロットはラメル・クロテッドの腕の中にいた。

 

 そして、シャルロットの意識が戻った途端、ラメルは瞳をとろんと蕩けさせて、彼女を甘やかし始めたのである。



「かわいい……! あなたはなんて可憐でかわいいんだ」



 そう言いながらシャルロットの顔にその美しい陶器のような頬を近づけ、すりすりと擦り付けた。



(私、まだ猫よね……?)



 彼の無表情なイメージと甘々な仕草がどうにも結びつかず、逆に冷静になったシャルロットは徐おもむろに自分の手を見た。そこには黒い毛がみっしりと生えていて、ピンクの肉球も健在であった。

 周りを見渡すと自分の身体に比べて調度品も大きく見えたし、何よりシャルロットの身体はラメルの腕にすっぽりと収まっていた。



(そうよね。私は猫よね。この人は本物の“猫好き”なのね)



 しかも、こんなに人と密着しているのにやっぱり身体は全然震えない。猫の姿だと、人に触られても大丈夫なのかもしれないとシャルロットは考えを巡らせ始めた。



「痛いところはない? 俺の治癒魔法は完璧なはずなのだが、なかなかあなたの目が覚めなくて肝が冷えたよ」



(そっか。私、サンドラに踏まれて蹴られて気を失ったのか。頭も打ったっぽかったし……ラメルが助けてくれたのね。ありがたい)



「にゃあ、にゃあん」

(ラメル、ありがとう)

「かわいすぎる……!」



 猫語でお礼を言うと、頬を上気させて喜んだラメルに間髪入れずキスされそうになった。



「ふにゃー!」

(さすがにキスは……!)



 姿は猫でも、心は初心なシャルロット・ティアーズである。羞恥心はまだ手放せていない。



「ちゅ」



 結果、ラメルの口付けは、シャルロットのピンク色の肉球に贈られることとなってしまった。



「にゃあ!」

(そんなつもりでは……!)



 侯爵家子息の高貴な唇を猫の肉球へと誘うなど、不敬極まりない――! と、シャルロットは焦った。焦った末に出た行動は、シャルロットの本質を見事に表していた。

 シャルロットは即座に彼の温かな腕から抜け出して床に降り、平伏した。彼に許しを乞うために――。



(ごめんなさい。分不相応なことをしてしまいました。取るに足りない存在がしたことです。寛大な心でどうかお許しください)



 シャルロットがにゃーにゃー言って謝りながら平伏していると、頭の上を大きくて温かなものが覆った。シャルロットがびくりと身体を縮こまらせると、すぐにそれは引っ込められてしまったけれど。

 とうやら痛いことをされるわけではないみたいだと理解できたシャルロットは、ぎゅっと閉じていた瞼を開いてラメルを仰ぎ見た。ラメルは優しい眼差しをしていて、シャルロットの心を解きほぐすように言った。



「何も怖がらなくていい。俺があなたを守るから」



 再びシャルロットへと伸ばされた手のひらを、恐る恐る受け入れた。頭の上を遠慮がちに往復するラメルの手が心地よかったのは、シャルロットが猫になっているからなのかどうかは定かではなかったけれど。

 彼のその一言と、愛おしむような言動はシャルロットに安心感を与えた。



「大丈夫」



 そう言われて、シャルロットはぎゅっとまた腕の中に抱きしめられた。温かくて心地良い。震えも嫌悪感も微塵も感じない。シャルロットは彼の腕の中に大人しく収まって、大きな安心感に包まれたまま、彼の言葉に耳を傾けていた。



「あなたを連れてきた人は大女優に違いないな。あなたを自分で踏んで蹴っておきながら、涙を流しながら駆け寄って声をかけていたよ。『シャル! シャル!』って」

「にゃあ、にゃあん……にゃぁ」

(推測通り、自作自演でラメルの気を引こうとしてたのね……。あなたが騙されなくてよかったわ)



「一部始終を偶然見ていたんだ。俺は“シャル”に一目惚れしてしまったみたいでね」

「にゃ……」

(うそでしょ……)



「とにかく、大女優の彼女をあの場で問い詰めるのは簡単だったが、シャルの身体が心配でとても焦っていたから……。とりあえずそのまま彼女からシャルを強奪してきてしまった」



 ラメルはそう言って申し訳なさそうな顔をした。そんな顔をして「強奪した」とわざと自分を悪く言ったところで、ラメルがシャルロットを大女優サンドラから救い出した事実は変わらない。



(彼は、とても思慮深く、思いやりのある人なんだわ……)



 シャルロットは関心していた。

 

 その場でサンドラを問い詰めたところで、すぐに白状して解決したとは思えない。そこに時間をかけるよりも、シャルロットの身体を第一に案じてくれたのだ、と――。

 ヒールで踏まれたときにシャルロットには内臓を損傷したような痛さが感じられたし、数メートル宙を舞ったあと石畳に強く頭を打ちつけたので、脳にもダメージがあったかもしれない。ラメルがシャルロットの怪我の治療を優先してくれなかったら、もしかしシャルロットの意識は一生戻らない可能性もあった。



「にゃあ……」

(命の恩人だわ……)



 ラメルはシャルロット見つめ、にこにこ笑って告げた。



「だから、シャルは今日からうちの子だよ。これから俺がうんと甘やかすからね」

「にゃ……」

(え……)



「ああ。驚いた顔もかわいい……」

「にゃ……?」

(はい……?)



「俺はすでにあなたの虜だ」



 その日、シャルロットがクールの皮をかぶったラメルにベタベタに甘やかされる日々が幕を開けた。
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