底辺令嬢はエリート魔法師に甘やかされる
叔父に保護される
シャルロットは居心地が良すぎてダメになりそうだという結論を下し、ラメルのそばから離れることに決めた。猫語でそんな決意を語って伝わるわけもないけれど、一応自分の意志で出ていったというところをアピールしなければならない。突然いなくなると心配するに違いないから。
けれど、ラメルと顔を合わせると決心が鈍りそうだったので、シャルロットはいつも顔を合わせていたラメルの執事が見ているときに出ていくことにした。
執事をじっと眺め、窓をかりかりして開けてもらった。
「にゃーん!」
(ラメル、クロテッド家のみなさま、五日間お世話になりました!)
ラメルから贈られたリボンを自分で解いて“自分の意志で出ていきますよ”と明示することも忘れない。
(ラメルからの初めての贈り物だけど……仕方ないよね。たくさんの愛をありがとう)
後ろ髪引かれつつも大切なリボンを執事の手に託し、窓の外へと飛び降りた。
猫の小さな身体で行けるところは限られている。サンドラのように猫を毛嫌いする人も多くいるのだ。外にいる時間は短ければ短いほどいい。
一応、向かう先は決めていたシャルロットだったが、目的地へと辿り着く前に、身体に異変が現れた。
(あれ? いつもはどんなに頑張ってもちょっとしか感じられない魔力が、増えてる……?)
猫の姿で道を歩いていたシャルロットは、内側から湧き出てくる魔力の反応を感じ、安全そうな公園の草むらへと身を隠した。
今なら、使えるかもしれない。シャルロットはドキドキしながら初級魔法である“レター”の手順を思い出した。
底辺魔法師と呼ばれるシャルロットだったが、いつか魔力が使えるようになったときのために……と、座学だけは人一倍努力して身につけていたのだ。
シャルロットが呪文を唱えると、身体中を魔力が巡る感覚がした。意識を集中させた手のひらからキラキラ輝く蝶が現れ、シャルロットが“伝言”を届けたい場所へと飛んでいった。
「やったわ!」
今度は、「にゃー」という鳴き声ではなく、明確に人間の言葉が口から溢れ、シャルロットは咄嗟に口を手でおさえた。ぷにっと肉球の感触がして、身体はまだ猫のままだということが確認できただけだったが――。
「どういうこと……?」
シャルロットは混乱しつつ、『迎えにきてほしい』と初めて成功した“レター”で伝えた相手が到着するのをじっとその場所で待つのであった。
◆◆◆
魔法大国・デルフィア王国が誇る火属性魔法の名家、ティアーズ公爵家。当代には長女であるシャルロット、次女であるサンドラしか子がいない。なので、普通ならば長女であるシャルロットが婿を迎えてティアーズ公爵家を継ぐのが貴族の伝統と照らし合わせても順当であった。しかし、そうならならかったのには理由があった。
『シャルロットは魔法が使えない』
ただ、それだけ。
それだけではあったが、“魔法”が重んじられるこの国において、それはなによりも大切な判断基準であった。
しかし――。
「シャル、おめでとう。魔力孔が開き始めているよ。このまま鍛錬を続ければ、もっと……」
「ロッシュ叔父様……!」
ラメルの屋敷を出たシャルロットは、実母の叔父で、唯一シャルロットの味方であるロッシュの元へと身を寄せていた。
ロッシュは大きな火属性の魔力を保持していたので、国から国家魔法師として従事するよう打診を受けていた。国家魔法師といえばデルフィア王国で最高峰の権威を持つ職種で、最も人々の尊敬と羨望を集める仕事である。それなのに、ロッシュはあっさりと断った。曰く、やりたいことがあるから、と――。
その“やりたいこと”こそが、“医師になること”だった。その言葉に隠された本音は、“不遇の立場にいるシャルロットを救いたい”だったのだけれど。
「シャル、よかった! 自分で乗り越えたんだね。僕には見守ることしかできなかったから……!」
「いいえ。叔父様はいつも私の唯一の心の拠り所だったわ。叔父様がいなければ、きっととっくに心が折れてしまっていたもの」
ロッシュとシャルロットは泣きながら喜びを分かち合った。
「猫化の解除がこんなに簡単なんて! 私、本当に大魔法師になっちゃったみたい!」
そう。シャルロットは人・間・の・姿・で・ロッシュと向き合っていた。
(魔法なんて全然使えなかったのに、難しい“猫化”をこんなに簡単に解除できちゃうなんて……!)
シャルロットは人間の姿に戻り、肉球がなくなった手のひらを感動とともに見つめた。
公園でロッシュに拾ってもらったシャルロットは、なぜか喋れるようになった人間の言葉で状況を説明した。猫のシャルロットを自宅に連れ帰り、身体の状態を診察したロッシュは、「気孔が半分くらい開いている」ことを確認した後、猫化解除の方法を教え、実践してみてもらったところだったのだ。
「ああ。やはりシャルは姉上の子だ。姉上も一度教わった魔法はすぐに使いこなすことができる天才だった」
「そうなの?」
「うん。シャルもきっと、姉上のような偉大な魔法師になれるはずさ」
シャルロットは照れながら頷いた。
生まれたばかりの頃にシャルロットは実母と引き離され、実母はその後ほどなくして亡くなったと聞いた。だから、シャルロットの頭の中に作られた母親像は、全てロッシュから聞いた話で形作られていた。
(お母様には悪いけど、魔法が使えるようになったとしても、私はもうティアーズ公爵家には戻りたくない。叶えたい夢もあるし。……ただ、魔法が使えるようになったらお母様の名誉も回復できるはず。だから……)
「そう……なのかな。そうだといいな。私、もっと勉強頑張るね!」
「うん、きっと大丈夫。応援してるよ。それより……」
ロッシュはニコニコ顔だった表情を暗くして続けた。
「ラメル・クロテッドは、本当にシャルが“猫化”していることに気づかなかったの?」
「うん。だって、ずっと猫として一緒に暮らしていたもの。気づいていたら、彼ならすぐに解除してくれたはずでしょう?」
「そうだな。“至宝の魔法師”だからな。“猫化”の解除なんてたやすいことだろう」
「でしょう?」
シャルロットはなんでもないことのように笑ったけれど、ロッシュの疑問は拭いきれなかった。
(ラメル・クロテッドほどの魔法師がいくら微量だからといってシャルロットの魔力に気づかないことが本当にあるか? いや、ありえない)
ロッシュはラメルがどういうつもりでシャルロットをそばに置いていたのか――と考えた。
(場合によっては“至宝の魔法師”と一線交えることになるかもしれないな)
ロッシュは好戦的な表情でニヤリと笑い、炎を宿した紅の瞳を揺らめかせた。
◆◆◆
――翌日。
シャルロットは六日ぶりに人間の姿へと戻れたので、張り切って魔法学園へと復帰した。底辺魔法師のシャルロットの存在は学園においてはとても希薄だったため、欠席について何か言われることもなかった。どうやらサンドラが手を回して病欠ということにしていたようだった。
しかし、この日、早くも実技の授業でシャルロットは注目を浴びることになった。
「え……シャルロット・ティアーズ……様?」
「いつの間に魔法使えるようになったの……?」
「しかも、あの威力……」
シャルロットは急に気孔が半分まで開いた分の魔力をうまく調節することができず、的当ての授業で的だけでなく、その場所の地面を丸ごとごっそりと吹き飛ばしてしまった。
(やば。やりすぎちゃったみたい。調節難しいな……。修復、修復……)
さらに、焦ったシャルロットは吹き飛ばした部分を修復しようとして、現状回復の魔法を使ったつもりが、新品を通り越してグレードアップした“修復”を行ってしまった。
「現状回復魔法って、こんなのだっけ?」
「嘘でしょ。こんなの規格外だよ。すごすぎ……」
底辺魔法師だったはずのシャルロットは、座学は元より出来が良かったほうなので、魔力が半分使えるようになった今、既に敵なしの状態となっていた。
「もしかしたら、サンドラ様以上の……」
生徒たちはシャルロットを遠巻きにしながら、口々に噂しあった。そして、主な関心は『ティアーズ公爵家の跡を継ぐのはどちらか』という方向にシフトしていった。
その噂は当然、当事者のもとにも届いていた。
「シャルロットお姉様が、魔法を使えるようになったですって……? ふふ。大丈夫。私の地位は何があろうと盤石ですから」
サンドラは噂を教えてくれた友人に向け、赤い瞳を輝かせながら笑った。シャルロットにはいつも氷のように冷たく感じられるその瞳で――。
けれど、ラメルと顔を合わせると決心が鈍りそうだったので、シャルロットはいつも顔を合わせていたラメルの執事が見ているときに出ていくことにした。
執事をじっと眺め、窓をかりかりして開けてもらった。
「にゃーん!」
(ラメル、クロテッド家のみなさま、五日間お世話になりました!)
ラメルから贈られたリボンを自分で解いて“自分の意志で出ていきますよ”と明示することも忘れない。
(ラメルからの初めての贈り物だけど……仕方ないよね。たくさんの愛をありがとう)
後ろ髪引かれつつも大切なリボンを執事の手に託し、窓の外へと飛び降りた。
猫の小さな身体で行けるところは限られている。サンドラのように猫を毛嫌いする人も多くいるのだ。外にいる時間は短ければ短いほどいい。
一応、向かう先は決めていたシャルロットだったが、目的地へと辿り着く前に、身体に異変が現れた。
(あれ? いつもはどんなに頑張ってもちょっとしか感じられない魔力が、増えてる……?)
猫の姿で道を歩いていたシャルロットは、内側から湧き出てくる魔力の反応を感じ、安全そうな公園の草むらへと身を隠した。
今なら、使えるかもしれない。シャルロットはドキドキしながら初級魔法である“レター”の手順を思い出した。
底辺魔法師と呼ばれるシャルロットだったが、いつか魔力が使えるようになったときのために……と、座学だけは人一倍努力して身につけていたのだ。
シャルロットが呪文を唱えると、身体中を魔力が巡る感覚がした。意識を集中させた手のひらからキラキラ輝く蝶が現れ、シャルロットが“伝言”を届けたい場所へと飛んでいった。
「やったわ!」
今度は、「にゃー」という鳴き声ではなく、明確に人間の言葉が口から溢れ、シャルロットは咄嗟に口を手でおさえた。ぷにっと肉球の感触がして、身体はまだ猫のままだということが確認できただけだったが――。
「どういうこと……?」
シャルロットは混乱しつつ、『迎えにきてほしい』と初めて成功した“レター”で伝えた相手が到着するのをじっとその場所で待つのであった。
◆◆◆
魔法大国・デルフィア王国が誇る火属性魔法の名家、ティアーズ公爵家。当代には長女であるシャルロット、次女であるサンドラしか子がいない。なので、普通ならば長女であるシャルロットが婿を迎えてティアーズ公爵家を継ぐのが貴族の伝統と照らし合わせても順当であった。しかし、そうならならかったのには理由があった。
『シャルロットは魔法が使えない』
ただ、それだけ。
それだけではあったが、“魔法”が重んじられるこの国において、それはなによりも大切な判断基準であった。
しかし――。
「シャル、おめでとう。魔力孔が開き始めているよ。このまま鍛錬を続ければ、もっと……」
「ロッシュ叔父様……!」
ラメルの屋敷を出たシャルロットは、実母の叔父で、唯一シャルロットの味方であるロッシュの元へと身を寄せていた。
ロッシュは大きな火属性の魔力を保持していたので、国から国家魔法師として従事するよう打診を受けていた。国家魔法師といえばデルフィア王国で最高峰の権威を持つ職種で、最も人々の尊敬と羨望を集める仕事である。それなのに、ロッシュはあっさりと断った。曰く、やりたいことがあるから、と――。
その“やりたいこと”こそが、“医師になること”だった。その言葉に隠された本音は、“不遇の立場にいるシャルロットを救いたい”だったのだけれど。
「シャル、よかった! 自分で乗り越えたんだね。僕には見守ることしかできなかったから……!」
「いいえ。叔父様はいつも私の唯一の心の拠り所だったわ。叔父様がいなければ、きっととっくに心が折れてしまっていたもの」
ロッシュとシャルロットは泣きながら喜びを分かち合った。
「猫化の解除がこんなに簡単なんて! 私、本当に大魔法師になっちゃったみたい!」
そう。シャルロットは人・間・の・姿・で・ロッシュと向き合っていた。
(魔法なんて全然使えなかったのに、難しい“猫化”をこんなに簡単に解除できちゃうなんて……!)
シャルロットは人間の姿に戻り、肉球がなくなった手のひらを感動とともに見つめた。
公園でロッシュに拾ってもらったシャルロットは、なぜか喋れるようになった人間の言葉で状況を説明した。猫のシャルロットを自宅に連れ帰り、身体の状態を診察したロッシュは、「気孔が半分くらい開いている」ことを確認した後、猫化解除の方法を教え、実践してみてもらったところだったのだ。
「ああ。やはりシャルは姉上の子だ。姉上も一度教わった魔法はすぐに使いこなすことができる天才だった」
「そうなの?」
「うん。シャルもきっと、姉上のような偉大な魔法師になれるはずさ」
シャルロットは照れながら頷いた。
生まれたばかりの頃にシャルロットは実母と引き離され、実母はその後ほどなくして亡くなったと聞いた。だから、シャルロットの頭の中に作られた母親像は、全てロッシュから聞いた話で形作られていた。
(お母様には悪いけど、魔法が使えるようになったとしても、私はもうティアーズ公爵家には戻りたくない。叶えたい夢もあるし。……ただ、魔法が使えるようになったらお母様の名誉も回復できるはず。だから……)
「そう……なのかな。そうだといいな。私、もっと勉強頑張るね!」
「うん、きっと大丈夫。応援してるよ。それより……」
ロッシュはニコニコ顔だった表情を暗くして続けた。
「ラメル・クロテッドは、本当にシャルが“猫化”していることに気づかなかったの?」
「うん。だって、ずっと猫として一緒に暮らしていたもの。気づいていたら、彼ならすぐに解除してくれたはずでしょう?」
「そうだな。“至宝の魔法師”だからな。“猫化”の解除なんてたやすいことだろう」
「でしょう?」
シャルロットはなんでもないことのように笑ったけれど、ロッシュの疑問は拭いきれなかった。
(ラメル・クロテッドほどの魔法師がいくら微量だからといってシャルロットの魔力に気づかないことが本当にあるか? いや、ありえない)
ロッシュはラメルがどういうつもりでシャルロットをそばに置いていたのか――と考えた。
(場合によっては“至宝の魔法師”と一線交えることになるかもしれないな)
ロッシュは好戦的な表情でニヤリと笑い、炎を宿した紅の瞳を揺らめかせた。
◆◆◆
――翌日。
シャルロットは六日ぶりに人間の姿へと戻れたので、張り切って魔法学園へと復帰した。底辺魔法師のシャルロットの存在は学園においてはとても希薄だったため、欠席について何か言われることもなかった。どうやらサンドラが手を回して病欠ということにしていたようだった。
しかし、この日、早くも実技の授業でシャルロットは注目を浴びることになった。
「え……シャルロット・ティアーズ……様?」
「いつの間に魔法使えるようになったの……?」
「しかも、あの威力……」
シャルロットは急に気孔が半分まで開いた分の魔力をうまく調節することができず、的当ての授業で的だけでなく、その場所の地面を丸ごとごっそりと吹き飛ばしてしまった。
(やば。やりすぎちゃったみたい。調節難しいな……。修復、修復……)
さらに、焦ったシャルロットは吹き飛ばした部分を修復しようとして、現状回復の魔法を使ったつもりが、新品を通り越してグレードアップした“修復”を行ってしまった。
「現状回復魔法って、こんなのだっけ?」
「嘘でしょ。こんなの規格外だよ。すごすぎ……」
底辺魔法師だったはずのシャルロットは、座学は元より出来が良かったほうなので、魔力が半分使えるようになった今、既に敵なしの状態となっていた。
「もしかしたら、サンドラ様以上の……」
生徒たちはシャルロットを遠巻きにしながら、口々に噂しあった。そして、主な関心は『ティアーズ公爵家の跡を継ぐのはどちらか』という方向にシフトしていった。
その噂は当然、当事者のもとにも届いていた。
「シャルロットお姉様が、魔法を使えるようになったですって……? ふふ。大丈夫。私の地位は何があろうと盤石ですから」
サンドラは噂を教えてくれた友人に向け、赤い瞳を輝かせながら笑った。シャルロットにはいつも氷のように冷たく感じられるその瞳で――。