たれ耳うさぎの伯爵令嬢は、王宮魔術師様のお気に入り

うさぎの鳴き声(ソフィアのお父様視点)

 
 机の上に置かれた公爵家の家紋入り招待状。私は目を閉じて腕を組み、妻は白い耳をピンっと立てている。
 貴族社会の頂点に君臨するティーグレ公爵家から、平凡なコリーニョ伯爵家になぜ縁談が来たのだろう。

「あなた、まだ決まったわけじゃないわよね……?」
「まだ決まってはいない。顔合わせをして問題なければ、すぐに整うと思う」
「ああ、わたくしたちの可愛いたれ耳ちゃんが虎に嫁ぐのね……」

 妻も私も息子も立ち耳うさぎ獣人。ソフィアだけ先祖がえりのたれ耳うさぎ獣人として生まれたのだが、それはそれは愛らしくてどこにも嫁になど出したくない。まして虎になんか絶対に嫁に出したくない。

「こちらから断るなんて無理だろうな……」

 妻のうさ耳がぷるぷる震えた。私のうさ耳もぶるぶる震えた。

 ◇ ◇ ◇

 私たち夫婦の心配をよそに、ソフィアはティーグレ公爵家の嫡男アレックスに懐いてしまった。

「お父さま、お母さま、アレックスさまにソフィアのお家にあそびにきてもらってもいい?」

 この瞬間、ソフィアとコリーニョ伯爵家の運命は決まった。
 これからティーグレ公爵家と付き合うのは荷が重たいが、ソフィアのために頑張るしかない。とりあえず、アレックスよ、娘と手を繋ぐのはまだ早い!

 アレックスがコリーニョ伯爵邸に約束通りやってきた。
 ソフィアとアレックスが木登りをはじめたのを見守る。椅子をつけた低木にハシゴで登る安全な遊びだ。

「落ちないように気をつけないとね」
「うん、ありがとう!」

 そういうわけで、アレックスよ、娘に尻尾を巻き付ける必要はまったくない。匂いつけをするのは、まだ早い!

 ◇ ◇ ◇

 アレックスの娘への愛情表現は、日に日に重たくなっていった。
 嬉しそうに笑うソフィアを見て、大切にされないよりはずっといいと思いはじめた時に事件が起こった。

「ソフィア! 魔法陣から離れなさい! アレックス! (つがい)の魔術は、まだ早い! やめなさい!」

 力の限り叫んでも魔術の影響で、声がソフィアに届かない。
 魔術師と結婚するなら、愛を誓いあう(つがい)の魔術を施すことは覚悟していた。ただ、どう考えても10歳のソフィアには早すぎる!

 その夜、私は妻の腕の中でめそめそ泣いた。

 ◇ ◇ ◇

 王宮魔術師になった(アレックス)の囲い込みが加速していく。
 ティーグレ公爵と公爵夫人と話し合い、全寮制のポミエス学園にソフィアを避難(進学)させることに決めた。卒業するまでは、(アレックス)から離れて友人と楽しい学生生活を過ごしてほしいという親心だった。

 ソフィアがポミエス学園に向かう日、またしても事件が起こった。

「ソフィー、ポミエス学園で魔術科の先生をすることになったよ」

 あの(アレックス)は、どんな手を使ったのかポミエス学園の魔術科の教師になっていた。ソフィアと一緒にポミエス学園に行くと告げるアレックスに開いた口が塞がらない。

「ソフィア! その虎から離れなさい! アレックス! 待て、待て、待て! 出発するのは、まだ早い!」

 走り去る馬車に大声で叫ぶ。防音の魔術をかけているのか、私の声がちっとも届いていない。アレックス、娘のたれ耳にキスするのは、まだ早い!

 その夜、私は妻の腕の中でひっそり泣いた。

 ◇ ◇ ◇

 ポミエス王国は、16歳から女性の結婚が認められている。
 ソフィアが16歳になる数日前、妻とソフィアに内緒で王宮魔術塔のアレックスを訪ねた。
 虎の持つ圧倒的なオーラに、立ち耳が垂れそうになるのを必死で堪える。私には、絶対に負けられない戦いがある。

「ソフィアがポミエス学園を卒業するまで、結婚するのは待ってください!」

 アレックスがなにか言う前に、(あずま)の国に伝わる秘技『スライディング土下座』をした。長い沈黙の後、アレックスはソフィアの貞操を卒業まで約束してくれた。
 アレックス、ソフィアに子どもは、まだまだ早い!

 その夜、私は首をかしげる妻と祝杯をあげた。
 ちなみに尻尾の震えは、まだ止まらない。虎の威圧、怖かった。

 ◇ ◇ ◇

 卒業まであと僅か。
 ソフィアが笑顔で幸せならば、それでいいんだと呪文のように言い聞かせていたら大事件が起こった。

「あの(アレックス)……!」

 ソフィアの衝撃的な報せの書いてある手紙を握りしめて、足をダンッと踏み鳴らす。
 アレックスが聖女と抱き合っているのを見てしまったこと、その聖女に(つがい)の魔術をかけているのを見たこと、もうすぐ婚約破棄されそうなこと、それなのに、まだアレックスのことが好きだから卒業したら修道院に入りたいことーー最後にティーグレ公爵家と縁が切れることを謝っていた。

 腹立たしくて、足をダンダンッと踏み落とす。すべて(アレックス)が悪いと書いた手紙をソフィアに送る。王宮魔術塔にアレックスが篭っていると聞いて、ダンダンッと音を鳴らして扉をあけた。

「えっ……?」

 弱りきったアレックスに怯む。覇気が全くなく、捨てられた猫のような虎に言葉を失った。

「コリーニョ伯爵……どうぞこちらへ……はあ」

 よろよろとした足取りで執務室へ案内される。文句のひとつでも言ってやろうと思ったのに、力なく微笑む虎を見ていたら言えなくなった。

 その夜、初めてアレックスと酒を飲んだ。
 花嫁が幸せになれるジューンブライドまで結婚式を延長するのと引き換えに、尻尾の垂れ下がる義理の息子にソフィアの手紙を見せた。

「コリーニョ伯爵、いえ、お義父さん!」
「待て待て待て! まだお義父さんじゃない!」

 アレックス、まだ数ヶ月はお義父さんと呼ぶのは、早い!

 ◇ ◇ ◇

 大切な娘のソフィアが結婚して数年が過ぎた。
 相変わらずアレックスは、ソフィアを囲い込んでいる。でも、ソフィアが笑っているなら、それでいい。それだけでいい。

「あなた、まだソフィアは来ませんよ?」

 くすくす笑う妻も一緒になって玄関で初孫のイーサンを待っている。




 まったくアレックス、来るのはまだか? 遅い!





 おしまい
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