たれ耳うさぎの伯爵令嬢は、王宮魔術師様のお気に入り
7.小説
もこもこした入道雲が浮かぶ日が続くと夏休みがまもなくやってくる。
ポミエス学園の2年生になったわたしと友人の羊獣人エミリーとりす獣人クロエは、流行りのロマンス小説に夢中になっている。
今日も魔術科が見えるメルヘンチックなカフェテリアに集まって季節のマンゴーパフェをひと匙掬う。鮮やかなビタミンカラーのマンゴーとパッションフルーツを組み合わせたトロピカルなスイーツは舌の上であっさりとけていく。
「もう、本当にすごくよかった……っ!」
ゆるやかなウェーブのかかったバターブロンド色の髪をふわふわんと揺らしてうなずくエミリーも、ふわもこ茶色のしましま尻尾をもふんと揺らしてうなずくクロエの頬もほんのり赤い。わたしも両手で頬を押さえて熱を冷ます。
一途なハムスター獣人の女の子が年上猫獣人の魔術師の彼と恋に落ちる物語は、大人の恋愛すぎる内容に胸をどきどき高鳴らせて夢中になってロマンス小説の頁をめくった。
「魔術師の彼って、すごくロマンチックなのね」
「本当ね! ずっと大切にしてきた彼女にしたプロポーズの魔力の誓いを読んだあと、ときめき過ぎて眠れなくなってしまったわ」
たれ耳をぷるぷる震わせて、こくこくうなずく。
魔術師の魔力はなくなると死に至ることもあるので魔術師がする魔力の誓いは、自身の持つすべての魔力をかけた最上の誓いで、魔術師の彼がしたプロポーズはうっとりするくらい素敵だった。
「結婚式にした番魔術も最高だったわ」
「そうよね! 結婚式でふたりを結ぶ魔術をしてもらったら絶対にときめくわよ」
生きている間のふたりを運命の糸で結びつける番魔術は、2人を包む煌めく光の描写がとても美しくて感嘆の息をもらしたことを思い出す。
「ソフィアはどこがよかったのかしら?」
ふわんとエミリーに話しかけられ、迷いなく口をひらく。
「わたしは、またたびのところだよ」
新婚になった2人は蜂蜜の海に漂っているみたいに甘い。キスや愛の言葉がひたすら甘くて、ベッドの上でじたばたして読んだ。
「まあ、ソフィアは大胆ね! でも、あそこは彼の情熱をすごく感じたわ」
「いつもは彼女を甘やかしていた優しい彼がぐいぐい迫ってくるのも刺激的でいいわよね」
色白のエミリーの顔がさらに赤く染まり、クロエはしましま尻尾をもふもふ忙しく動かす。
東国には『猫にまたたび』ということわざがあり、猫にまたたびを与えると高揚してすごく元気になるらしくロマンス小説の中で、またたびのお香を焚いたところ彼が朝までとても元気になっていた。
「またたびは猫獣人にだけ効くのかな?」
アレックス様のいる魔術科に視線をうつしてから片手を頬に当てて首を横に傾げる。
「……またたび、猫はもちろんライオンや虎にも効くと聞いたことがあるわ――…」
猫にまたたび、虎にもまたたび。
アレックス様の疲れを癒せるかもしれないと思うと、嬉しくてたれ耳がぷるぷる震えた。
◇◇◇
空気が澄んで空が抜けるように青い晴天の秋晴れが心地いいポミエス学園は、学園祭が近づいてそわそわした空気が流れている。
「ソフィア嬢のクラスは、今年はどんなカフェになりそうですか?」
「今年は忍カフェに決まりました」
「忍カフェ……?」
きょとんと目を丸くしたアレックス様は、なんだかかわいい。
「東の国では、城を守っている影の者を忍者と呼んでいるので、忍者の衣装や仕事道具を使ったカフェにするつもりなんです」
「なるほど。忍者なら男子生徒が接客をするんですね」
納得したように笑みを浮かべているアレックス様にあわてて首を横に振る。
「えっと、男子生徒は忍者になりますが、女子生徒はくノ一になる予定です」
「ソフィア嬢もくノ一になるのかな?」
「はい、もちろんです……っ」
アレックス様を見上げながら大きくうなずいて話を続ける。
「今回のカフェも注文した飲みものや食べものに『おいしくなる呪文』を唱える予定なんです」
「そうなんですね。どんな呪文を唱えてもらえるのかな?」
「呪文は2種類あって、ひとつ目は――、」
そこで言葉を切ると、アレックス様に身体を向ける。
「おいしくなーれ おいしくなーれ ニンニンニン!」
両手の人差し指を立てて、大きな1を作るような忍びの基本ポーズを作ったら身体を左右に揺らし、ニンニンニンの時に相手の瞳を見つめながら人差し指をぶんぶん振った。
「ふたつ目は、」
いつもより目を見開いたアレックス様の縞模様の尻尾がぱたぱた動いているのが視界の端に映った。
「おいしくなーれ おいしくなーれ シュ、シュ、シュー!」
もう一度、忍びの基本ポーズを作ったら身体を左右に揺らして、シュ、シュ、シューの時に相手の瞳を見つめながら手裏剣を飛ばす真似をする。
「――…………」
おまじないを唱えたあとに沈黙が横たわり、縞模様の尻尾のぱたぱたはパッタリ止まっていた。
この沈黙の原因は、わたしの呪文が完璧ではないからだと思うとたれ耳がぺたんと垂れさがっていく。
「ごめんなさい……。あ、あの、本当は……、どちらの呪文も唱えたあとに東の国で秘技として伝わる片目をつむるウインクをする予定なんです……わたしだけ、上手に出来なくて――…」
どんどん小さくなる言葉とは反対に目尻に溢れるくらいの涙が集まってくる。わたしだけウインクが上手くできないことが恥ずかしくて情けなくて、たれ耳がぺたたんとなってしまう。
「そうなんだね。僕にソフィーのウインク見せてくれるかな?」
アレックス様に慰められるようにたれ耳をやさしく撫でられたあと、片耳をぺろりとつままれ低音の響く声でささやかれた。
「アレクさ、ま、……で、でも、わたし、片目じゃなくて、両目つむっちゃう……」
「うん、大丈夫だよ。僕はソフィーが失敗しても笑ったりしないよ」
アレックス様の寄り添う言葉に心臓はきゅん、とときめいて、やる気もきゅんっと跳ねる。
「うん……っ! それじゃあ、やるね──えいっ」
ぱちん、と片目をつむりたくて気合を入れると首がこてりと傾いて上手くできない。
「えいっ、えいっ、えいっ!」
アレックス様に見守られながら、ぱちっ、ぱちり、ぱち、こてん、こててん、こてりを繰り返す。
「もう一回やってみるね──えいっ」
クロエから上目遣いがポイントだよと言われていることを思い出した。涙がうるんだままの瞳をアレックス様に向けて、ぱちん、と片目をつむると遅れてもう片目もつむってしまう。
「えいっ、えいっ、えいっ!」
アレックス様の真剣な眼差しに射抜かれて、ぱちん、ぱちり、ぱちっ、こてり、こてん、こててんを繰り返していく。
「ソフィー、なにこれ、すごくかわいい……。ソフィーといると本当に癒されるよ。また僕と一緒に練習しようね」
ぱたぱたが止まらなくなったアレックス様の縞模様の尻尾にぎゅっと巻きつかれウインクの練習が終わった数日後、クラスに届いた衣装は忍者装束のみだったので、わたしのクラスは急遽忍カフェではなく忍者カフェをすることになった。
学園祭が終わってもアレックス様とウインクの練習をなぜか続けることになったのは、また別のはなし。