いい夫婦の日
世間では、芸能人の火野正平が、亡くなったと、ニュースで、アキヒコは、知った。
勿論、そんな著名人と、アキヒコのように一回だけ、テレビに出た程度の人間、比較にならないが、それでも、アキヒコは、「寂しい」と思っている。
NHKのテレビ番組で、火野正平が、自転車に乗って、日本中、旅に出ているのは、アキヒコも知っていた。アキヒコだって、実は、旅行をテーマにした記事を書きたいと思っていたが、現実は、上手くいかないと分かる。
そんなことを、豚カツを食べながら、考えていたら、ミツキは、こう言った。
「最近、火野正平が、亡くなったって聞いて」
「知っていますよ」
とミツキは、言った。
いや、著名人ではなくても、知り合いが亡くなると、寂しくなっている。
「寂しいでしょう」
とミツキは、豚カツを、口にしながら言った。
「まあね」
とアキヒコは、言った。
そして、豚カツを美味しそうに食べているミツキを観て、アキヒコは、幸せを感じた。
暫く、こんな感じで、女性と食事をしていなかったなぁと思った。
いつも、雑誌の取材で行くのは、大抵、男性ばかりの劇団が、多かった。または、50代、60代、70代の女性の趣味のコーラスとか朗読教室の取材が多かった。間違っても、今、目の前にいる20代のミツキのような女性と、ここまで距離が近くて、食事をするなんてなかった。
「フジサカさんは、趣味は何ですか?」
と、ミツキは、尋ねた。
あまりにも、今の状況で、言葉がなかったから、と思った。
アキヒコは、悩んだ。
趣味は、料理って言った方が良いかな。
または、掃除と言った方が良いかな。
悩んだ。
寝ているが良いか。
数秒、悩んだ。
「私」
ミツキが、先に口を開いた。
「カラオケなんです」
「へぇー」
と言った。
少し、複雑だった。
アキヒコは、趣味で、カラオケが好きで、軽音楽に進み、バンドマンをしていたが、今では、少し痛いように感じていた。
確かに、趣味でカラオケから、プロのミュージシャンになった話は知っているが、アキヒコは、そうではなかった。
「何を歌うの?」
とアキヒコは、それとなく聞いてみた。
「いきものがかり、Superfly、大塚愛、倖田來未」
とミツキは、言った。
「フジムラさんは、カラオケ以外にどんな趣味があるの?」
「マフラーなどの編み物をすること」
「うん」
「それと、お花を育てること」
「うん」
「動物園へ行くこと、上野動物園とか金沢動物園へ行くこと」
と言った。
アキヒコは、少し、思い出した。
自分の受け持ちのライターで、文学賞で『セーターを編む彼女』を、書いて入選させて、小説家で頑張っているのを知っている。
そんな自分は、どうだったのかと思った。
アキヒコだって、文才はあった。
学生時代には、地域のエッセイコンテストで、入選し、また、地方新聞の小説の文学賞に入選させたこともあった。
また、作詞もしたことがあった。
だが、若い時は、売れても、今は売れないとなって、アキヒコから見たら、眩しい思い出でもあった。
そんな時、アキヒコは、若い時に、入院して、手術もした。
そして、アキヒコは、ある時、悩み事で、知り合いに相談したら、「フジサカさんは、作品はきっちりできているが、頭でっかちに見える時がある」と言われた。ある頃から、小説もエッセイも、曲の作詞も、人気がなくなり、契約していた出版社とか音楽レーベルから、相手にされなくなり、今の出版社の仕事をしている。
いや、その出版社の仕事をする前は、アキヒコは、運輸株式会社で、倉庫内作業をしたり、または、道路工事の手伝いをしたり、清掃の仕事をしたり、神奈川県や東京の郊外へ行って、動物や植物の世話をしていた時もあった。
また、居酒屋とか塾講師のアルバイト、家庭教師もしていた。
千葉県市川市とか浦安市では。
経験が足りないと思っていたからこそ、逆に、神奈川県厚木市の農園で、野菜の収穫をしていて、そこの農園で、みんなの前で、いきものがかりの水野良樹さんが、出版した本について話をしていたら、「フジサカさんは、やっぱり、出版社の仕事をしたほうが、いいよ」と言われて、今に至っている。
不思議なのは、いきものがかりのメンバーは、神奈川県厚木市や海老名市で活動をしていたからだ。
そして、話をもとに戻したら、その神奈川県厚木市で農園で仕事をしていた時、園長は、「フジサカさんは、彼女を作ったらどうか?」と言われた。職場を退職する時、職場のみんなは、いきものがかりの『YELL』を餞別に歌ってくれた。
そんな経歴があったアキヒコから見たら、ミツキは、「多趣味だ」と思った。
「フジムラさんは」
「はい」
「多趣味ですね」
と言った。
「ええ、多趣味だとよく言われます」
勿論、そんな著名人と、アキヒコのように一回だけ、テレビに出た程度の人間、比較にならないが、それでも、アキヒコは、「寂しい」と思っている。
NHKのテレビ番組で、火野正平が、自転車に乗って、日本中、旅に出ているのは、アキヒコも知っていた。アキヒコだって、実は、旅行をテーマにした記事を書きたいと思っていたが、現実は、上手くいかないと分かる。
そんなことを、豚カツを食べながら、考えていたら、ミツキは、こう言った。
「最近、火野正平が、亡くなったって聞いて」
「知っていますよ」
とミツキは、言った。
いや、著名人ではなくても、知り合いが亡くなると、寂しくなっている。
「寂しいでしょう」
とミツキは、豚カツを、口にしながら言った。
「まあね」
とアキヒコは、言った。
そして、豚カツを美味しそうに食べているミツキを観て、アキヒコは、幸せを感じた。
暫く、こんな感じで、女性と食事をしていなかったなぁと思った。
いつも、雑誌の取材で行くのは、大抵、男性ばかりの劇団が、多かった。または、50代、60代、70代の女性の趣味のコーラスとか朗読教室の取材が多かった。間違っても、今、目の前にいる20代のミツキのような女性と、ここまで距離が近くて、食事をするなんてなかった。
「フジサカさんは、趣味は何ですか?」
と、ミツキは、尋ねた。
あまりにも、今の状況で、言葉がなかったから、と思った。
アキヒコは、悩んだ。
趣味は、料理って言った方が良いかな。
または、掃除と言った方が良いかな。
悩んだ。
寝ているが良いか。
数秒、悩んだ。
「私」
ミツキが、先に口を開いた。
「カラオケなんです」
「へぇー」
と言った。
少し、複雑だった。
アキヒコは、趣味で、カラオケが好きで、軽音楽に進み、バンドマンをしていたが、今では、少し痛いように感じていた。
確かに、趣味でカラオケから、プロのミュージシャンになった話は知っているが、アキヒコは、そうではなかった。
「何を歌うの?」
とアキヒコは、それとなく聞いてみた。
「いきものがかり、Superfly、大塚愛、倖田來未」
とミツキは、言った。
「フジムラさんは、カラオケ以外にどんな趣味があるの?」
「マフラーなどの編み物をすること」
「うん」
「それと、お花を育てること」
「うん」
「動物園へ行くこと、上野動物園とか金沢動物園へ行くこと」
と言った。
アキヒコは、少し、思い出した。
自分の受け持ちのライターで、文学賞で『セーターを編む彼女』を、書いて入選させて、小説家で頑張っているのを知っている。
そんな自分は、どうだったのかと思った。
アキヒコだって、文才はあった。
学生時代には、地域のエッセイコンテストで、入選し、また、地方新聞の小説の文学賞に入選させたこともあった。
また、作詞もしたことがあった。
だが、若い時は、売れても、今は売れないとなって、アキヒコから見たら、眩しい思い出でもあった。
そんな時、アキヒコは、若い時に、入院して、手術もした。
そして、アキヒコは、ある時、悩み事で、知り合いに相談したら、「フジサカさんは、作品はきっちりできているが、頭でっかちに見える時がある」と言われた。ある頃から、小説もエッセイも、曲の作詞も、人気がなくなり、契約していた出版社とか音楽レーベルから、相手にされなくなり、今の出版社の仕事をしている。
いや、その出版社の仕事をする前は、アキヒコは、運輸株式会社で、倉庫内作業をしたり、または、道路工事の手伝いをしたり、清掃の仕事をしたり、神奈川県や東京の郊外へ行って、動物や植物の世話をしていた時もあった。
また、居酒屋とか塾講師のアルバイト、家庭教師もしていた。
千葉県市川市とか浦安市では。
経験が足りないと思っていたからこそ、逆に、神奈川県厚木市の農園で、野菜の収穫をしていて、そこの農園で、みんなの前で、いきものがかりの水野良樹さんが、出版した本について話をしていたら、「フジサカさんは、やっぱり、出版社の仕事をしたほうが、いいよ」と言われて、今に至っている。
不思議なのは、いきものがかりのメンバーは、神奈川県厚木市や海老名市で活動をしていたからだ。
そして、話をもとに戻したら、その神奈川県厚木市で農園で仕事をしていた時、園長は、「フジサカさんは、彼女を作ったらどうか?」と言われた。職場を退職する時、職場のみんなは、いきものがかりの『YELL』を餞別に歌ってくれた。
そんな経歴があったアキヒコから見たら、ミツキは、「多趣味だ」と思った。
「フジムラさんは」
「はい」
「多趣味ですね」
と言った。
「ええ、多趣味だとよく言われます」