いい夫婦の日
「ごめんね、フジムラさん」

「いえ、いいんです」

「そうかな?」

「最近、不景気で、イライラしている人、多いから」

 と、ミツキは、言った。

 アキヒコは、どすの利いた関西弁にびっくりした。

 今まで、アキヒコの交際をしていた女性は、東京とか横浜、千葉、とか関東地方、東北地方、東海地方、北陸地方が、多かったのだが、目の前の関西弁の威力にびっくりした。

 そして、今まで、お笑いでしか接していなかった関西弁を、生で聞いたのだ。

「関西弁、すごいね」

「怖かったでしょう?」

「いえ」

「大学生の時、教授がね、<関西人と言えば、ヤクザか漫才師>と言っていたけど、どうだった?」

「いや、パワーが凄いと思った」

 品川駅のプラットフォームに、快特三崎口行きが、入ってきた。

「フジムラさんは、この電車で、どこまで行くの?」

「私は、上大岡です」

「僕は、横浜」

 と言った。

 プラットフォームから、車内に入って、二人で、そのまま、座った。

 上大岡駅なんて言えば、横浜駅からそんなに遠くはなかった。

 少し、アキヒコは、思った。クロスシートで、隣にミツキが、座っている。そして、ミツキのショートカットを観て、ドキドキした。

ー混みあいまして、恐れ入ります。今しばらくのあいだ、中ほどでお進みください

 と車掌は、アナウンスした。

「フジムラさんは、どうして、うちの会社に入ったの?」

「本当は、女優になりたかったのです」

 と言った。

 言われてみたら、女優の高畑充希さんに負けていない、シルエットが、似ていると思った。

「だけど、劇団に入った時、劇団の主宰者から、<君は、高畑充希に似ているけど、同じような顔をしている君は売れない>と言われて、辞めた」

「厳しいよね」

「それで、歌手になろうとして、オーディションを受けたり、モデルになろうとしていました」

「だよね」

「だけど、モデルになって、雑誌に少しは載ったけど、変なファンからつきまとわれて、やめた」

「へぇー」

 アキヒコは、歌手になっていた。

 ボーカルで、活動をしていた。そして、00年代に、少しは、歌っていた。だが、グループ内で、よく歌詞とか音響をめぐっては、メンバー同士で、もめていた。

 また、作家でも活動をしていたが、あまり、経験が豊富ではないアキヒコは、変なファンがいて困った。

 そして、アキヒコは、たまたま都内のホテルで、当時10歳年上の女性と一緒にいるところを、フォーカスされたり、家の前に、同い年の女性ファンが、数名、待ち伏せしていたこともあった。

 それで、ある時、ファンに怒ったら、週刊誌にゴシップにされ、執筆の仕事が無くなって、出版社の仕事も、音楽の仕事もなくなった。

「それで、出版社の仕事をする前は、何をしていたの?」

「大学を卒業してからは、教員免許が、あったから、学校の先生はできなかったけど、塾で勉強を教えていた」

「真面目だったんだね」

「臆病だったんです」

「何が?」

「本当は、出版社の仕事をしたいとか、テレビ局で、ドラマのシナリオを書きたいとか」

 と言った。

「塾で、何を教えていたの?」

「社会科です。高校生には、歴史を教えていました」

「そうなんだ」

「大学院まで進んで、近現代史を専攻していましたから」

 と言った。

「実は、さっき、私、殴ったりしなかったでしょう」

「うん」

「私、中学校・高校時代、柔道をしていたのです」

 なるほど、そうか、と思った。

 アキヒコは、高校時代、柔道をしていた友人にちょっかいを出して、酷い目にあっている。

 だからだが、未だに、懲りていないと思う。

 ミツキは、大学院を出てからは、塾で、ずっと歴史を教えていた、塾とか。または、非常勤講師で、高校でも教えていた時期もあったらしい。

 だが、ミツキは、こう言った。

「お母さんは、私に、塾とか学校の先生で、頑張って欲しいと言ったんだけど、勤務している塾が、いきなり倒産してね」

「へぇ」

「いや、資金繰りが悪くて、それで、経営者が、破産手続きをしてね」

「それで、私も、思ったんだ、もう好きなことをして、人生を謳歌しようと思って、東京へ来たんです」

「それでも、どうして、出版社の仕事をしようと思ったの?それだけじゃ分からない」

「おばあちゃんが、小説を入選させて、地方新聞で、連載していたんです」

 と、言った。

「おばあちゃん、摂津おひさま新聞で、<とんかつ屋の人々>って、タイトルで、昭和20年代に、執筆をしていたんです」

「ええ」

「ペンネームは、浪速村エイコ、で」

 それで、Wikipediaで、「浪速村エイコ」を、スマホで検索したら出てきた。

ー浪速村エイコ

 1927年~2009年

 大阪府吹田市出身。小説家。『とんかつ屋の人々』を、地方新聞で、連載していた。

 1945年8月~1955年まで。

 2009年3月没。

 本名 藤村トラ子

 作風 市井で、他愛無い話をする女性の姿を書いていた。



 藤村トラ子、浪速村エイコを観たら、ミツキに似ている。

「おばあちゃんに、似ているね」

「ええ」
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