この想いの名前を僕たちはまだ知らない
12、秋蛍
ミラちゃんが家に来て4ヶ月程の月日が過ぎた。
1944年11月3日。
今日は街の秋祭りの日だ。
天気は快晴。
私が住む、この街の集落は秋祭りが盛んな場所だ。
戦前は、江戸時代から現在まで毎年のように夜籠りには子ども達が御神輿を担ぎ、街中を練り歩いていた。
私が幼い頃に訪れた祭りの日の大通りには、飴細工や紙芝居などの個性豊かな出店が路地や店先に所狭しと並び、賑わっていたと記憶している。
だが、私の記憶にある大きな金色の鳳凰の乗せられた赤い御神輿は、ここ数年、埃をかぶり蔵に仕舞われたままになってしまったと聞いた。
そして今年も御神輿はお蔵入り。
担ぎての“男”や“子ども”が少くなくなった、このご時世なのだから仕方がない……。
だが、御神輿がなくなっても秋の収穫が終わったこの日は、街に住む人達にとって特別な意味持つ日だ。
この街の大通りに住む人達の大半は主に“商い”をして生計を立てている。
それに加え、私のおばあちゃんのように街の外れに土地を持ち、小作人さんを雇い、農家を営んでいる人も多い。
なので、この街の大通りに暮らす人達は表向きは“商人”であっても皆“農民”と同じなのだ。
秋の収穫は1年に一度、出来高により収益が増減する大事な時期である。
そんな街の今年の収穫は土地を広げたこともあり、右肩上がりだそうだ。
8割以上は国に納めなければならないが、街の人達が飢える事はないだろう。
そして、今日は昨年に続き氏神様がある神社の神主さんが、自分の土地で採れたもち米を使い、掌ほどの“あんころ餅”を街のみんなに配ってくれるそうだ。
甘いものが滅多に食べれないこの時代には有り難い話だ。
だが、今年の街の催しはそれだけではない。
今年は街の“婦人会”の有志の働きかけで街の北の清水に住む“秋蛍”を祭りの前日の夜に捕まえてきて夜空に放つ運びになっている。
軍人さん達には秘密の事項だ。
今の時代、隣組の集会や街の婦人会の井戸端会議さえも軍が目を光らせてくる。
それに“贅沢は敵だ”という時代に“びた一文”かけられない。
だが耐えがたき日常を耐え、忍んで生き延びている街の人には季節を感じさせるこれくらいの非日常的な楽しみは必要な事だろう。
集合場所は神社の境内。
住む地域ごとに5件から10件程のかたまりごとに時間差で境内に集まり、夜空に蛍を放つ手筈らしい。
私達は夜7時に境内に集合する予定だ。
秋蛍は夏に夜空を飛び違う蛍達に比べ体が小さく、光も弱い。
その秋蛍の姿が何だか戦争に行っている父や兄を彷彿させる……というある婦人の一言からこの催しが決まったそうだ。
捕まえた秋蛍の灯りには、神主さんが祭りの当日。
“早く家族が戦地から帰って来られますように”という願いを込めてくれるらしい。
この秋蛍を秋の夜空に放つ催しは戦時下で暗くなった街の人達の心に希望の光を灯す事に繋がる、私は話を聞いた時そんな気がした。
*
祭り当日、着て行く服装は華やかすぎないものであれば何を着て行ってもいいらしい。
なので、私もこの日ばかりは、おばあちゃんの新調してくれた紺色の綿の浴衣を着てお祭りに出かける予定だ。
髪は青い絞り染めのお気に入りのリボンをつけていく。
そして帰宅したフリをしてそのままリアムに会いに行く……。
おばあちゃんには、ミラちゃんの部屋に泊まると言えば、外泊をしても簡単には見つかることはないだろう……。
ミラちゃんとは昨日、口裏を合わせをする約束をした。
そんなことを考えながら私は今日、お社には寄らず、急ぎ足で勤労奉仕からの帰路に着いたのだった。
*
「ただいま!!おばあちゃん。私の蛍は?元気かね?」
「夏菜子。蛍を見るのは、まずは神主さんに渡す佃煮を重箱に詰めてからや。ミラちゃんも手伝うてほしいから、手洗っといで……」
「え~」
「はい」
私達が家に帰る途中、学徒動員からの帰りの初等科の子どもたちが何人も蛍の入った籠を手で振り回しながら横を通り過ぎていった。
今日の街の大人の女性は薄紅を指している人や何時もより早く銭湯に行った帰りの幾人もの人達とすれ違った。
皆、今日はいつもより浮足立っている様子だ。
私も昨日ミラちゃんと二人、蛍を学校の帰りに採ってきた。
隣の源じいさんの話では、蛍は甘い水を作りおびき寄せると簡単に採れるらしい。
なので、大切にしまってあった角砂糖を水で少し溶かした物を餌におびき寄せてみた。
すると源さんの話していた通り、案外簡単に捕まえることができたのだ。
私達は昨夜、蛍を2匹を捕まえて来たのだが2匹とも元気なようだ。
1匹はお父ちゃんに。
もう1匹はリアムが早く国に帰ることができるように願いを込めてもらう予定だ。
2匹の蛍はどちらとも籠の中でチラチラと小さな明りを灯し右へ左へと歩いている。
「ミラちゃん。佃煮箱に詰めるのは、おばあちゃんに任せて私らは先に湯浴みに行こう。さ、急ご」
「でも……」
「今日はいつもより綺麗にしたいから背中流してくれる人が必要なの!と言うわけでおばあちゃん。私ら今日は内湯ではなくて銭湯行って来る!」
「夏菜子。今の時間は混んどるよって。それに、あんた熱い湯苦手やろって……。あ~行ってしもうた。言っても聞かんな、あん子は。誰に似たんだかな~」
台所に残された、おばあちゃんは重箱に佃煮を薄く詰めながら、出征して行った一人息子の性を思い出したように、小さく溜息をついたのだった。
*
「お招きいただきありがとうございます。神主様。この所めっきり寒くなりましたなぁ……。これは少ないですけれど佃煮と金団です。佃煮は夏菜子とミラちゃんが川で採ってきた小魚でこしらえました」
「これはどうもご丁寧に……」
近所の神社の境内に着くと私達は、おばあちゃんを先頭に|境内の南側にある社務所へと向った。
そして夕方、おばあちゃんが詰めた軽い重箱を神主さんに手渡す。
社務所には、防空壕に一緒に入る近所のおじいさん、源さん。
それと隣に住む、おばあさんのトメさんが先に来ていた。
私達の組は5人組なのだが、残りの2軒は今は疎開している。
源さんの持つ竹細工の籠の中には大きな秋蛍が2匹入っていた。
源さん達が出征した息子の分だという蛍は、私達が捕まえた蛍よりも一回り以上大きい。
「やっぱり源さんは蛍を捕まえるのが上手いの~」
「いや、なぁに。おいらはこれくらいしか取り柄がないき」
「じゃけんど、源さんは、こんな小さい時分から虫取りはいつも1番じゃったじゃないか。なぁ、トメさん」
「んじゃとも。蝉取りも鈴虫も蛍も……」
そう言うとおばあさん達は短い間、顔を見合わせ懐かしい昔話に花を咲かせた。
おばあちゃんの話では、この2人はおばあちゃんの仲の良い幼馴染だそうだ。
源さんは跡取りでトメさんは息子を連れて出戻りらしい。
因みにおばちゃんは貰い婿婚。
我が家の家系は女系という家系で男の子は滅多に生まれないそうだ。
5人子どもを産めば1人は男の子というくらい男の子はなかなか生まれてこない。
なので、旦那さんは必ず男兄弟の多い家から家長が選んで結婚してきたそうだ。
まぁ、お父ちゃんとお母ちゃんは旅先で意気投合し、結婚した恋愛結婚だったのだが……。
(私は、おばあちゃんとお父ちゃんと同じ一人っ子。お父ちゃんが帰って来なかったら、近い内に貰い婿するのかな……)
そんなふうに考えると、ふとリアムのあの優しい笑顔が私の脳裏に過ぎり、消えていった。
*
おばあちゃん達は皆、息子を国に捧げた同じ境遇ということもあってからか話が合うらしい。
おばあちゃん達は神主さんが祈祷を終えても、秋蛍を籠からすぐには出さず神社の裏手に来ても、まだ長話をしていた。
そう3人は、よく土間で長談義をしているのを見かける。
(これは今日も長くなるな……)
仲が良いことは良い事だが、私は早くリアムに会いに行きたくて、おばあちゃん達の当たり障りのない大きな声に、胸をムカムカさせていた。
「トメさん、キヨさん……そんなことより。まぁ、夏菜子ちゃん、今日はえらいべっぴんさんやね。ミラちゃんも。さすが呉服屋さん。見立てが一流じゃぁ……」
源じいさんは、おばあちゃん達にあまりに褒められ照れ臭いのか、話題反らせるため私とミラちゃんを見てすきっ歯を見せてニコニコし始めた。
照れ隠しだろうか。
国民服と同じ生地で出来た帽子を今は、先程よりも深く被っている。
いつも優しい源さんのお世辞でさえ今の私には、何も響かなかった。そして、
「ありがとうございます!源さん。トメさん。私ら明日また勤労奉仕なんですわ。じゃから、今日は早う寝たいんやけど……ふぁ……」
私は池の際に立ち、困り顔でこう言うと、わざとらしく小さく欠伸を1つして源さんに助け舟を出した。
「お!そじゃな。そういや儂も明日、配給があるから早起きせんといかんな。今回は石鹸があると良いんじゃけんど……。じゃぁ、そろそろ放つか。次の組が来るかもしれん」
源さんはそう言うと蛍の籠の入り口を慌てて開け、蛍を夜空に返してやった。
ピカ チカ チカ……
蛍の淡いみかん色の光が秋の夜空に儚く飛びちがう。
何とも幻想的な光景だ。
(ん~。綺麗。確かに秋蛍は綺麗じゃけど、人間の都合で短い人生の1日を籠に閉じ込められてしまってかわいそうだ。蛍も兵隊さんや私らと一緒。花の命は短いとみんな知っちょるのに……。“戦争をしている国”という2つの籠から二人が抜け出せたら、私はリアムと何の隔たりもなく愛し合えるのに……。お母ちゃんとお父ちゃんと同じように……)
あの夜の私はそんな事を考えながら、源さんの空に放った大きな秋蛍がリアムのいる山の方角に消えて行くのを、静かな気持ちで眺めていた。
1944年11月3日。
今日は街の秋祭りの日だ。
天気は快晴。
私が住む、この街の集落は秋祭りが盛んな場所だ。
戦前は、江戸時代から現在まで毎年のように夜籠りには子ども達が御神輿を担ぎ、街中を練り歩いていた。
私が幼い頃に訪れた祭りの日の大通りには、飴細工や紙芝居などの個性豊かな出店が路地や店先に所狭しと並び、賑わっていたと記憶している。
だが、私の記憶にある大きな金色の鳳凰の乗せられた赤い御神輿は、ここ数年、埃をかぶり蔵に仕舞われたままになってしまったと聞いた。
そして今年も御神輿はお蔵入り。
担ぎての“男”や“子ども”が少くなくなった、このご時世なのだから仕方がない……。
だが、御神輿がなくなっても秋の収穫が終わったこの日は、街に住む人達にとって特別な意味持つ日だ。
この街の大通りに住む人達の大半は主に“商い”をして生計を立てている。
それに加え、私のおばあちゃんのように街の外れに土地を持ち、小作人さんを雇い、農家を営んでいる人も多い。
なので、この街の大通りに暮らす人達は表向きは“商人”であっても皆“農民”と同じなのだ。
秋の収穫は1年に一度、出来高により収益が増減する大事な時期である。
そんな街の今年の収穫は土地を広げたこともあり、右肩上がりだそうだ。
8割以上は国に納めなければならないが、街の人達が飢える事はないだろう。
そして、今日は昨年に続き氏神様がある神社の神主さんが、自分の土地で採れたもち米を使い、掌ほどの“あんころ餅”を街のみんなに配ってくれるそうだ。
甘いものが滅多に食べれないこの時代には有り難い話だ。
だが、今年の街の催しはそれだけではない。
今年は街の“婦人会”の有志の働きかけで街の北の清水に住む“秋蛍”を祭りの前日の夜に捕まえてきて夜空に放つ運びになっている。
軍人さん達には秘密の事項だ。
今の時代、隣組の集会や街の婦人会の井戸端会議さえも軍が目を光らせてくる。
それに“贅沢は敵だ”という時代に“びた一文”かけられない。
だが耐えがたき日常を耐え、忍んで生き延びている街の人には季節を感じさせるこれくらいの非日常的な楽しみは必要な事だろう。
集合場所は神社の境内。
住む地域ごとに5件から10件程のかたまりごとに時間差で境内に集まり、夜空に蛍を放つ手筈らしい。
私達は夜7時に境内に集合する予定だ。
秋蛍は夏に夜空を飛び違う蛍達に比べ体が小さく、光も弱い。
その秋蛍の姿が何だか戦争に行っている父や兄を彷彿させる……というある婦人の一言からこの催しが決まったそうだ。
捕まえた秋蛍の灯りには、神主さんが祭りの当日。
“早く家族が戦地から帰って来られますように”という願いを込めてくれるらしい。
この秋蛍を秋の夜空に放つ催しは戦時下で暗くなった街の人達の心に希望の光を灯す事に繋がる、私は話を聞いた時そんな気がした。
*
祭り当日、着て行く服装は華やかすぎないものであれば何を着て行ってもいいらしい。
なので、私もこの日ばかりは、おばあちゃんの新調してくれた紺色の綿の浴衣を着てお祭りに出かける予定だ。
髪は青い絞り染めのお気に入りのリボンをつけていく。
そして帰宅したフリをしてそのままリアムに会いに行く……。
おばあちゃんには、ミラちゃんの部屋に泊まると言えば、外泊をしても簡単には見つかることはないだろう……。
ミラちゃんとは昨日、口裏を合わせをする約束をした。
そんなことを考えながら私は今日、お社には寄らず、急ぎ足で勤労奉仕からの帰路に着いたのだった。
*
「ただいま!!おばあちゃん。私の蛍は?元気かね?」
「夏菜子。蛍を見るのは、まずは神主さんに渡す佃煮を重箱に詰めてからや。ミラちゃんも手伝うてほしいから、手洗っといで……」
「え~」
「はい」
私達が家に帰る途中、学徒動員からの帰りの初等科の子どもたちが何人も蛍の入った籠を手で振り回しながら横を通り過ぎていった。
今日の街の大人の女性は薄紅を指している人や何時もより早く銭湯に行った帰りの幾人もの人達とすれ違った。
皆、今日はいつもより浮足立っている様子だ。
私も昨日ミラちゃんと二人、蛍を学校の帰りに採ってきた。
隣の源じいさんの話では、蛍は甘い水を作りおびき寄せると簡単に採れるらしい。
なので、大切にしまってあった角砂糖を水で少し溶かした物を餌におびき寄せてみた。
すると源さんの話していた通り、案外簡単に捕まえることができたのだ。
私達は昨夜、蛍を2匹を捕まえて来たのだが2匹とも元気なようだ。
1匹はお父ちゃんに。
もう1匹はリアムが早く国に帰ることができるように願いを込めてもらう予定だ。
2匹の蛍はどちらとも籠の中でチラチラと小さな明りを灯し右へ左へと歩いている。
「ミラちゃん。佃煮箱に詰めるのは、おばあちゃんに任せて私らは先に湯浴みに行こう。さ、急ご」
「でも……」
「今日はいつもより綺麗にしたいから背中流してくれる人が必要なの!と言うわけでおばあちゃん。私ら今日は内湯ではなくて銭湯行って来る!」
「夏菜子。今の時間は混んどるよって。それに、あんた熱い湯苦手やろって……。あ~行ってしもうた。言っても聞かんな、あん子は。誰に似たんだかな~」
台所に残された、おばあちゃんは重箱に佃煮を薄く詰めながら、出征して行った一人息子の性を思い出したように、小さく溜息をついたのだった。
*
「お招きいただきありがとうございます。神主様。この所めっきり寒くなりましたなぁ……。これは少ないですけれど佃煮と金団です。佃煮は夏菜子とミラちゃんが川で採ってきた小魚でこしらえました」
「これはどうもご丁寧に……」
近所の神社の境内に着くと私達は、おばあちゃんを先頭に|境内の南側にある社務所へと向った。
そして夕方、おばあちゃんが詰めた軽い重箱を神主さんに手渡す。
社務所には、防空壕に一緒に入る近所のおじいさん、源さん。
それと隣に住む、おばあさんのトメさんが先に来ていた。
私達の組は5人組なのだが、残りの2軒は今は疎開している。
源さんの持つ竹細工の籠の中には大きな秋蛍が2匹入っていた。
源さん達が出征した息子の分だという蛍は、私達が捕まえた蛍よりも一回り以上大きい。
「やっぱり源さんは蛍を捕まえるのが上手いの~」
「いや、なぁに。おいらはこれくらいしか取り柄がないき」
「じゃけんど、源さんは、こんな小さい時分から虫取りはいつも1番じゃったじゃないか。なぁ、トメさん」
「んじゃとも。蝉取りも鈴虫も蛍も……」
そう言うとおばあさん達は短い間、顔を見合わせ懐かしい昔話に花を咲かせた。
おばあちゃんの話では、この2人はおばあちゃんの仲の良い幼馴染だそうだ。
源さんは跡取りでトメさんは息子を連れて出戻りらしい。
因みにおばちゃんは貰い婿婚。
我が家の家系は女系という家系で男の子は滅多に生まれないそうだ。
5人子どもを産めば1人は男の子というくらい男の子はなかなか生まれてこない。
なので、旦那さんは必ず男兄弟の多い家から家長が選んで結婚してきたそうだ。
まぁ、お父ちゃんとお母ちゃんは旅先で意気投合し、結婚した恋愛結婚だったのだが……。
(私は、おばあちゃんとお父ちゃんと同じ一人っ子。お父ちゃんが帰って来なかったら、近い内に貰い婿するのかな……)
そんなふうに考えると、ふとリアムのあの優しい笑顔が私の脳裏に過ぎり、消えていった。
*
おばあちゃん達は皆、息子を国に捧げた同じ境遇ということもあってからか話が合うらしい。
おばあちゃん達は神主さんが祈祷を終えても、秋蛍を籠からすぐには出さず神社の裏手に来ても、まだ長話をしていた。
そう3人は、よく土間で長談義をしているのを見かける。
(これは今日も長くなるな……)
仲が良いことは良い事だが、私は早くリアムに会いに行きたくて、おばあちゃん達の当たり障りのない大きな声に、胸をムカムカさせていた。
「トメさん、キヨさん……そんなことより。まぁ、夏菜子ちゃん、今日はえらいべっぴんさんやね。ミラちゃんも。さすが呉服屋さん。見立てが一流じゃぁ……」
源じいさんは、おばあちゃん達にあまりに褒められ照れ臭いのか、話題反らせるため私とミラちゃんを見てすきっ歯を見せてニコニコし始めた。
照れ隠しだろうか。
国民服と同じ生地で出来た帽子を今は、先程よりも深く被っている。
いつも優しい源さんのお世辞でさえ今の私には、何も響かなかった。そして、
「ありがとうございます!源さん。トメさん。私ら明日また勤労奉仕なんですわ。じゃから、今日は早う寝たいんやけど……ふぁ……」
私は池の際に立ち、困り顔でこう言うと、わざとらしく小さく欠伸を1つして源さんに助け舟を出した。
「お!そじゃな。そういや儂も明日、配給があるから早起きせんといかんな。今回は石鹸があると良いんじゃけんど……。じゃぁ、そろそろ放つか。次の組が来るかもしれん」
源さんはそう言うと蛍の籠の入り口を慌てて開け、蛍を夜空に返してやった。
ピカ チカ チカ……
蛍の淡いみかん色の光が秋の夜空に儚く飛びちがう。
何とも幻想的な光景だ。
(ん~。綺麗。確かに秋蛍は綺麗じゃけど、人間の都合で短い人生の1日を籠に閉じ込められてしまってかわいそうだ。蛍も兵隊さんや私らと一緒。花の命は短いとみんな知っちょるのに……。“戦争をしている国”という2つの籠から二人が抜け出せたら、私はリアムと何の隔たりもなく愛し合えるのに……。お母ちゃんとお父ちゃんと同じように……)
あの夜の私はそんな事を考えながら、源さんの空に放った大きな秋蛍がリアムのいる山の方角に消えて行くのを、静かな気持ちで眺めていた。