この想いの名前を僕たちはまだ知らない
14、リアムの死
昭和19年12月7日。
年の瀬が冬の足音を運んできた頃。
その日は、からっと晴れた晴天。
外に布団を干すのに丁度いい天気の日だった。
私の疎開している家では「3日前から母屋の屋根裏に住むネズミがいなくなった」と夏菜子ちゃんのおばあちゃんがとても喜んでいたと記憶している。
そんないつもとは違う、静かすぎる朝だった。
「ハナちゃん、おはよ!今日もいい天気だね!」
「おはよう。ミラちゃん。今日も元気ね?今日の勤労奉仕も気合入れて頑張ろう!絶対今度も国民学校組が賞状もらうけんね!!」
私と夏菜子ちゃんがリアムに会えなくなってから約1ヶ月半が経った。
私の足の捻挫は松葉杖を使わなくても歩けるまでに回復していた。
まだ、時々足首を捻ると刺すような痛みの出る日もあったが、日常生活には全く問題はない。
夏菜子ちゃんは、というと今日も体調が悪いという事で家で“千人針”という勤労奉仕をすることになっていた。
つまり、お留守番だ。
どうやら今月のはじめ頃から“月のモノ”も止まり目眩や吐き気がして立っているのもやっとな状況らしい。
家にいる時も厠に籠もることが多い。
夏菜子ちゃんは、今でも自分が原因でリアムが追われる身になったと思っているようで以前のように笑うことはなくなった。
*
私達が体育館に着くと日和下駄を履いた女学校の生徒達は皆、背中を丸め胸の前で白い息を吐きながら木炭のストーブの周りに集まっていた。
今日は月1回の朝礼の日だ。
そこで私はハナちゃんの友達という噂好きな女学生の一人から信じられない話を聞いた。
「おはよう。ミラちゃん。ハナちゃん。なぁ、ハナちゃん、ミラちゃん知っとるか?」
二つ縛りの髪型をした白シャツの女学生は、わざとらしく私達の手を引き、リアムの隠れている山が見える窓の前で立ち止まった。
そして山頂を指差し顔を寄せて、こう話しを始めた。
「昨日の晩、あそこの山にあるお社の石段の近くで、痩せて行き倒れていた米兵を兵隊帰りの弥助さんが見つけたんだと。そんでな、隣村のみんなが弥助さんの話を信じて、隣山を野探しさたら、山頂のお社の隣の空井戸の近くでうずくまっとる米兵を見つけたそうだ」
女学生はそこまでを一息で話すと続きをもったいぶるかの様に少し押し黙った。
「それで、それでどうなったの!?」
私はリアムの置かれた状況を聞き出す為、思わず女学生に、にじり寄った。
体育館の片隅で談話する三人の間に緊迫した空気が流れる。
「ミ、ミラちゃん……?あぁ、そんでな……千代さんとこのお母ちゃん達の婦人会がな、山を探索しとったらな、お社の空井戸の近くで米兵を見つけたげな……」
私は思わず女学生の言葉に固唾を飲んだ。
「そんでな、殺してしまったんだと。みんなは若い兵士やったから可哀想になって「街の役場に連れて行こう」って言ったんだが、千代さんのお母ちゃんがな「息子と敵や!」言うて備中鍬で頭を叩いたら米兵はあっけなく亡くなったらしい……」
女学生はそう言うと体育館の真ん中で暖を取る千代さんの方をチラリと見て小さい声をさらに小さくして、こう言った。
「そん時の千代さんのお母さんの顔と言ったらまるで鬼のようだったと。その後は大泣きして家へ抱えられて帰ったそうな。米兵は、どこから来たんやろか?なぁ、ハナちゃん、ミラちゃん何か知らんね?」
私は女学生の話を聞いて思わず身震いをした。
ハナちゃんは首を横に振った。
「ミラちゃんと夏菜子ちゃんは、よくあのお社に言っとったやろ?何もなくて良かったなぁ……」
女学生がそう言った後、私は心にポッカリと穴が空いてしまったような気がして女学生の話す声が何も聞こえなくなった。
(リアムが昨日、死んだ……?)
そんな事を考えていると無意識に涙が溢れてくる。
「米兵か怖いのぉ……。ん?ミラちゃん、大丈夫か?何で泣いとるんや?」
私はハナちゃんと女学生が話す中、ハナちゃん達の話に意味もなく何度も何度も小さく首を縦に振った。
夏菜子ちゃんは、まだこの事実を知らないだろう。
彼女のことを思うと胸が締め付けられるように痛む。
(夏菜子ちゃんはこの事を知って冷静でいられるだろうか?最近、体調が悪い。お腹がグルグルするって言っていたけど……)
私はリアムの隠れていた山を見上げ涙を拭った。その時、
「はい、はいお話はそこまで。2、2、4列に並びんなしゃい」
少し遅れて体育館に入って来た丸眼鏡の女先生は、いつもと同じ鋭い声で皆に整列するように指示をすると日の丸に一礼し、昨日山で死んだ米兵の事を話し始めた。
*
朝礼が終わった後。
私はいつもと同じ勤労奉仕の仕事を熟す為、コンニャクの匂いの染み付いた教室に入っていった。
いつもと変わらない席。
いつもと同じ作業。
いつもと同じ重い空気に満ちた教室。
だがこの日は、いつも当たり前にできる単純な作業でも、私は小さなミスを連発し続けた。
この日は何もかもアンラッキーな日だった。
*
そして昼休み。
私は食欲がなく昼休みの後、午後の勤労奉仕をお休みした。
帰路に着く途中、夏菜子ちゃんにリアムのことをどう告げるか。
そればかりを考えていた。
だが、家に帰る前にお社の近くの空井戸に行き、リアムが死んだ事実を確認しなければならない。
そう考えると私の足は自然とお社へ向かっていた。
お社に続く道は、いつもの通り険しい道だった。
この道を私が登るのは実に2ヶ月ぶりのことだった。
いつもと同じ日常にリアムだけがいない。
そんな現実を受け止めたくなくて私は一人、無心で男坂を登った。
北風が私の髪を優しく撫ぜては遠くに消えていく。
それはリアムが教えてくれたリアムが妹によくする癖のように優しいものだった。
私が空井戸に到着すると、井戸の中には風呂敷や布団、竹筒やらが乱雑に投げ込まれていた。
血痕は見当たらない。
あの日、リアムの姿はどこにも見当たらなかった。
そして私は、跳ねる心臓を抑え込みながらキツネの神様に願いを叶えてもらう為にお社に戻った。
パンパン
「キツネの神様……お願いです。私が今日ここに来るのは、あの日からちょうど100回目です。だからお願いします。私の願いは叶わなくても構いません。だから、リアムと夏菜子ちゃんの願いを聞き入れてください……」
シャラン……
グラ グラ グラ……
お社の前の鈴に私が手をかけた瞬間。
辺りは、ひっくり返るような強い揺れに襲われた。
「きゃっ!」
グラ グラ グラ ドカン!!!
昭和19年12月7日。
13時35分。
後に『昭和東南海地震』と言われる大地震が起こったのだ。
私は、あまりの大きな揺れに耐えきれず、お社の鈴のついた紐にしがみつき必死に目を瞑った。
「きゃっ!」
(あっ、もうダメかも。誰か助けて……)
目の前が白い靄に包まれる。
「アイシテル。夏菜子……」
「Me too.リアム……」
意識を失う直前。
私は、リアムと夏菜子ちゃんの寂しそうな声が遠くで聞こえた気がした。
揺れる景色の中、私は意識が遠くなるのを感じ、無気力に紐から手を離した。
真っ白な世界が広がる。
私の体は崖から下へ無重力の空間に投げ出される時のように力が抜けた。
生きているのか、死んでいるのか私には分からない。
でも、私にはそんな事どうでもいい。
二人が本当に幸せなら……。
私はそんな事を考えながら、無気力な甘い匂いの漂う世界にただ体を委ねる事にしかできないのであった。
年の瀬が冬の足音を運んできた頃。
その日は、からっと晴れた晴天。
外に布団を干すのに丁度いい天気の日だった。
私の疎開している家では「3日前から母屋の屋根裏に住むネズミがいなくなった」と夏菜子ちゃんのおばあちゃんがとても喜んでいたと記憶している。
そんないつもとは違う、静かすぎる朝だった。
「ハナちゃん、おはよ!今日もいい天気だね!」
「おはよう。ミラちゃん。今日も元気ね?今日の勤労奉仕も気合入れて頑張ろう!絶対今度も国民学校組が賞状もらうけんね!!」
私と夏菜子ちゃんがリアムに会えなくなってから約1ヶ月半が経った。
私の足の捻挫は松葉杖を使わなくても歩けるまでに回復していた。
まだ、時々足首を捻ると刺すような痛みの出る日もあったが、日常生活には全く問題はない。
夏菜子ちゃんは、というと今日も体調が悪いという事で家で“千人針”という勤労奉仕をすることになっていた。
つまり、お留守番だ。
どうやら今月のはじめ頃から“月のモノ”も止まり目眩や吐き気がして立っているのもやっとな状況らしい。
家にいる時も厠に籠もることが多い。
夏菜子ちゃんは、今でも自分が原因でリアムが追われる身になったと思っているようで以前のように笑うことはなくなった。
*
私達が体育館に着くと日和下駄を履いた女学校の生徒達は皆、背中を丸め胸の前で白い息を吐きながら木炭のストーブの周りに集まっていた。
今日は月1回の朝礼の日だ。
そこで私はハナちゃんの友達という噂好きな女学生の一人から信じられない話を聞いた。
「おはよう。ミラちゃん。ハナちゃん。なぁ、ハナちゃん、ミラちゃん知っとるか?」
二つ縛りの髪型をした白シャツの女学生は、わざとらしく私達の手を引き、リアムの隠れている山が見える窓の前で立ち止まった。
そして山頂を指差し顔を寄せて、こう話しを始めた。
「昨日の晩、あそこの山にあるお社の石段の近くで、痩せて行き倒れていた米兵を兵隊帰りの弥助さんが見つけたんだと。そんでな、隣村のみんなが弥助さんの話を信じて、隣山を野探しさたら、山頂のお社の隣の空井戸の近くでうずくまっとる米兵を見つけたそうだ」
女学生はそこまでを一息で話すと続きをもったいぶるかの様に少し押し黙った。
「それで、それでどうなったの!?」
私はリアムの置かれた状況を聞き出す為、思わず女学生に、にじり寄った。
体育館の片隅で談話する三人の間に緊迫した空気が流れる。
「ミ、ミラちゃん……?あぁ、そんでな……千代さんとこのお母ちゃん達の婦人会がな、山を探索しとったらな、お社の空井戸の近くで米兵を見つけたげな……」
私は思わず女学生の言葉に固唾を飲んだ。
「そんでな、殺してしまったんだと。みんなは若い兵士やったから可哀想になって「街の役場に連れて行こう」って言ったんだが、千代さんのお母ちゃんがな「息子と敵や!」言うて備中鍬で頭を叩いたら米兵はあっけなく亡くなったらしい……」
女学生はそう言うと体育館の真ん中で暖を取る千代さんの方をチラリと見て小さい声をさらに小さくして、こう言った。
「そん時の千代さんのお母さんの顔と言ったらまるで鬼のようだったと。その後は大泣きして家へ抱えられて帰ったそうな。米兵は、どこから来たんやろか?なぁ、ハナちゃん、ミラちゃん何か知らんね?」
私は女学生の話を聞いて思わず身震いをした。
ハナちゃんは首を横に振った。
「ミラちゃんと夏菜子ちゃんは、よくあのお社に言っとったやろ?何もなくて良かったなぁ……」
女学生がそう言った後、私は心にポッカリと穴が空いてしまったような気がして女学生の話す声が何も聞こえなくなった。
(リアムが昨日、死んだ……?)
そんな事を考えていると無意識に涙が溢れてくる。
「米兵か怖いのぉ……。ん?ミラちゃん、大丈夫か?何で泣いとるんや?」
私はハナちゃんと女学生が話す中、ハナちゃん達の話に意味もなく何度も何度も小さく首を縦に振った。
夏菜子ちゃんは、まだこの事実を知らないだろう。
彼女のことを思うと胸が締め付けられるように痛む。
(夏菜子ちゃんはこの事を知って冷静でいられるだろうか?最近、体調が悪い。お腹がグルグルするって言っていたけど……)
私はリアムの隠れていた山を見上げ涙を拭った。その時、
「はい、はいお話はそこまで。2、2、4列に並びんなしゃい」
少し遅れて体育館に入って来た丸眼鏡の女先生は、いつもと同じ鋭い声で皆に整列するように指示をすると日の丸に一礼し、昨日山で死んだ米兵の事を話し始めた。
*
朝礼が終わった後。
私はいつもと同じ勤労奉仕の仕事を熟す為、コンニャクの匂いの染み付いた教室に入っていった。
いつもと変わらない席。
いつもと同じ作業。
いつもと同じ重い空気に満ちた教室。
だがこの日は、いつも当たり前にできる単純な作業でも、私は小さなミスを連発し続けた。
この日は何もかもアンラッキーな日だった。
*
そして昼休み。
私は食欲がなく昼休みの後、午後の勤労奉仕をお休みした。
帰路に着く途中、夏菜子ちゃんにリアムのことをどう告げるか。
そればかりを考えていた。
だが、家に帰る前にお社の近くの空井戸に行き、リアムが死んだ事実を確認しなければならない。
そう考えると私の足は自然とお社へ向かっていた。
お社に続く道は、いつもの通り険しい道だった。
この道を私が登るのは実に2ヶ月ぶりのことだった。
いつもと同じ日常にリアムだけがいない。
そんな現実を受け止めたくなくて私は一人、無心で男坂を登った。
北風が私の髪を優しく撫ぜては遠くに消えていく。
それはリアムが教えてくれたリアムが妹によくする癖のように優しいものだった。
私が空井戸に到着すると、井戸の中には風呂敷や布団、竹筒やらが乱雑に投げ込まれていた。
血痕は見当たらない。
あの日、リアムの姿はどこにも見当たらなかった。
そして私は、跳ねる心臓を抑え込みながらキツネの神様に願いを叶えてもらう為にお社に戻った。
パンパン
「キツネの神様……お願いです。私が今日ここに来るのは、あの日からちょうど100回目です。だからお願いします。私の願いは叶わなくても構いません。だから、リアムと夏菜子ちゃんの願いを聞き入れてください……」
シャラン……
グラ グラ グラ……
お社の前の鈴に私が手をかけた瞬間。
辺りは、ひっくり返るような強い揺れに襲われた。
「きゃっ!」
グラ グラ グラ ドカン!!!
昭和19年12月7日。
13時35分。
後に『昭和東南海地震』と言われる大地震が起こったのだ。
私は、あまりの大きな揺れに耐えきれず、お社の鈴のついた紐にしがみつき必死に目を瞑った。
「きゃっ!」
(あっ、もうダメかも。誰か助けて……)
目の前が白い靄に包まれる。
「アイシテル。夏菜子……」
「Me too.リアム……」
意識を失う直前。
私は、リアムと夏菜子ちゃんの寂しそうな声が遠くで聞こえた気がした。
揺れる景色の中、私は意識が遠くなるのを感じ、無気力に紐から手を離した。
真っ白な世界が広がる。
私の体は崖から下へ無重力の空間に投げ出される時のように力が抜けた。
生きているのか、死んでいるのか私には分からない。
でも、私にはそんな事どうでもいい。
二人が本当に幸せなら……。
私はそんな事を考えながら、無気力な甘い匂いの漂う世界にただ体を委ねる事にしかできないのであった。