この想いの名前を僕たちはまだ知らない

4、戦争と平和

私と夏菜子ちゃんとが出会った日。

今日から私は夏菜子ちゃんのおばあちゃんの家で下宿(疎開)させてもらうこととなった。

夏菜子ちゃんの家は、お社のある小山のすぐ下にあるようだ。 

場所は街の大通りのちょうど真ん中。 

家に│併設《へいせつ》されている店の前には『田中化粧店』という手入れされた大きな看板が掛けられていた。

夏菜子ちゃんの通っている女学校は、夏菜子ちゃんの家から徒歩10分程。

池の向こう側にあるらしい。 

西洋風の背の高い建物が林の中から頭をひょっこりと出しているのが大通りからでも見てとれた。

夏菜子ちゃんのおばあちゃんは、元・化粧品のアドバイザー。  

3年程前に国から公に化粧品を売ってはいけないという法律が出来てから表向きは化粧品は仕入れていないらしい。

家の前の大通りには木で出来た電柱や街灯があり、街に電気は通っているようだ。
  
家の中の電球はお勝手(キッチン)や居間。

それに夏菜子ちゃんの部屋の天井からも、ぶら下げてはいるが、それらは皆、白い和紙で灯りが外にもれないように覆われていた。   

なので日が暮れた部屋の中は現代でいうとダウンライトをつけているのと同じで、かなり薄暗い。 

この時代、家の窓ガラス戸には全て十字に✕印の形をした薄い和紙が貼られているらしかった。

最後に案内されたのは家の裏側にある土間(どま)にある木の(ふた)のついた大きな“防空壕(ぼうくうごう)”。

防空壕は3軒に1つずつあるらしい。

広さは大体、大人が10人くらい座って入れる大きさだ。

学校や役場から空襲の警報が聞こえる度に(ふた)は持ちあげられ、夏菜子ちゃんの家族。

それと近所の1人暮らしのおばあさん、トメさん。

あと隣のおじいさんの│源《げん》さんを含め毎度4人くらいが入るらしい。  
 
場合によっては来客も入る。 

私が防空壕の中をのぞき込むと中には、食べ物が少しと薬箱。

そしてラジオが壁際に寄せてあった。 

* 

日が暮れて私は、明日から借りる予定の部屋が掃除できるまで、夏菜子ちゃんの部屋に泊めてもらうことになった。 

私は友達の家に1人で泊まったりするのは初めての事で、2人で内湯(うちゆ)に入った後も胸が少しドキドキしていた。 

去年、訪れた合宿形式のホームステイとは違う胸の高鳴りに今夜は眠れそうにない。

そして消灯時間(7時)も過ぎた時刻。

この家の夜の灯りは部屋の片隅に置かれた行燈(あんどん)でしのぐらしい。
   

 シュッ ボッ


柔らかな揺れるみかん色の火に油をさすと、菜種の独特の弾ける酸っぱい香りが部屋中に広がった。
 

「おやすみなさい。おばあちゃん……」

「はい、おやすみ。夏菜子。ミラちゃんも今日は、疲れたやろ。ゆっくりおやすみ……」

「夏菜子ちゃんのおばあちゃん。クレンジング……じゃなかった化粧落とし。それと保湿剤ありがとうございました。おやすみなさい」 
 
「はい、おやすみ」

「スース スース……」 


夏菜子ちゃんは、おばあちゃんと私が短い会話をしている間。

布団を頭まで被り、わざとらしい寝息を立てて横になった。
 
行燈の灯りは油がなくなったら勝手に消える仕組みらしい。


「2人ともおやすみ……」 


 ガタン カタン 

 トン トン トン……

 ガラガラ…… 
 

「……ミラちゃん。おばあちゃん行ったか?」 

「うん」

私は廊下をゆっくりと進む夏菜子ちゃんのおばあちゃんの足音が遠ざかるのを確認すると、首を縦に振り夏菜子ちゃんの問いに、小さく返事をした。
 

 ガタン 


そして私達は扉が閉まるまで高鳴る胸の音を抑え込みながら、夏菜子ちゃんのおばあちゃんが自分の部屋に入り扉を閉める音に耳をそば立てていた。

夏菜子ちゃんは扉が閉まる音を確認すると私に背を向け、物音を立てないように壁際のタンスの方へと静かに、はっていった。 

そして引き出しの取手に手を掛け、私の方を振り返ると小さな声で、こうつぶやいた。 
 

「……な、ミラちゃん、見て見て!この制服、素敵やろ?私のなんだ」


私が藤の枕でからまった髪を手ぐしで()かしていると、夏菜子ちゃんは(きり)のタンスから“制服”だと言う紺色(こんいろ)の洋服を取り出し胸の前に当て、部屋の真ん中に立つと体を右へ左へと、ゆっくり揺すった。
 

「素敵な制服だね!」

「そうやろ。私のおばあちゃんもな、私と同じ女学校に通っとったんよ。明日から“勤労奉仕”でミラちゃんも通うことになる学校。さっき大通りから見たやろ。西洋風の塔のある立派な学校」  


夏菜子ちゃんはそう言うと制服を胸に当て、くるりと1周りした。


「おばあちゃんが女学校に通っとった時……。明治の時代の話なんやけどな。当時は、まだ(はかま)だったんやけど、今は袴の代わりに入学するとこのセーラーが着られるんよ」  

 
夏菜子ちゃんは早口でそう言うとうれしそうに制服に顔を埋め、制服の匂いをかぐと薄灯りに幸せなそうな笑みを浮かべた。 


「だけどな……戦争が始まって制服を着られんようになってしもうたんよ……。勤労奉仕にはスカートは動きにくいから、しかたなし。だから今は学校に行くのにもこんなモンペを着とるんよ。私は去年、越してきたから1ぺんも学校には制服を着て行ったことがないんよ……」
 

夏菜子ちゃんはそう言うと制服をタンスに丁寧に仕舞いながら壁のハンガーに掛けられたモンペを見上げた。


「着るものだけじゃない。戦争が始まったら運動会ではな、薙刀(なぎなた)の演舞やったり、救護訓練の成果を披露したり……。今年に入って運動場が畑になったから運動会もなしじゃろな。あ~、それに私もうすぐ卒業(18歳)なのにお婿(むこ)さんも決まっとらん!このままじゃ私は行き遅れてまう!!」  


夏菜子ちゃんはそう言うとタンスを背に真ん中に置かれたちゃぶ台の前に座り(ひじ)をつき、深いため息をついた。  


「戦争は私の家族や青春、おばあちゃんの仕事さえも奪っていった。けんど、何も返してはくれん。この前な(こわ)けた飛行機が小牧(こまき)の方に牛車で運ばれてったんよ。牛車だってみんな言うとるけど、実際は大八車(だいはちぐるま)や。トラックじゃのうて大八車を繋げて壊けた飛行機運ぶって……。それを見た街の人たちは皆、日本の旗色はよくなかろうって影でうわさしちょる」
 

夏菜子ちゃんのわき水のごとくあふれる愚痴を背に私は去年、中学校で学んだ平和学習の1ページを思い返していた。 


「……夏菜子ちゃん。今、何年?」 

「だから昭和19年じゃ」
 
私の記憶では戦争が終わるのは昭和20年8月15日。

私達はとりあえず後1年は何としてでも生き延びないといけない。

この夜。

私たちは夏菜子ちゃんが戦争が始まる直前に流行ったメイクや髪型。

それに服などの雑誌をスクラップした夏菜子ちゃんお手製の“禁書”を見ながら長い間、ガールズトークに花を咲かせた。

会話は弾み、気が付けば辺りは鈴虫の鳴く優しい音に包まれている時刻になっていた。

私が目をつむり虫の音に聞きほれていると、ここが戦時中の名古屋であることを忘れてしまうくらいに静かだ。


「夏菜子ちゃんの将来の夢って何?」


私は突然、未来に置いてきた“進路希望調査表”の存在を思い出し、少し年上の夏菜子ちゃんに問いかけてみた。


「私の夢?夢か。んー。もうすぐ私も卒業だかんね。もう決まっとるよ。おばあちゃんの跡を次いで“地主さん”と言いたいとこだけど……」 
 

あの夜。

夏菜子ちゃんはそう言うと、ふふふっと笑って大切な言葉を誤魔化したのだった。
< 4 / 15 >

この作品をシェア

pagetop