この想いの名前を僕たちはまだ知らない
4、戦争と平和
私と|夏菜子ちゃんとが初めて出会った日。
タイムスリップしたであろう日から私は夏菜子ちゃんのおばあちゃんの家で下宿させてもらうことになった。
夏菜子ちゃんの家は、街の大通りのちょうど真ん中辺りに位置している。
夏菜子ちゃんの通う女学校は、ここから10分程歩いた池の向こう側にあるらしい。
西洋風の背の高い建物が森の中から頭を出しているのが大通りからでも見てとれた。
夏菜子ちゃんのおばあちゃんは、元呉服屋さん。
家の前の大通りには、木でできた電柱や街灯もあり、電気は通っているが、灯りは夜7時迄に消す決まりらしい。
家の中の電球はお勝手や居間、それに夏菜子ちゃんの部屋の天井からも、ぶら下げてはいるが、それらは皆、白い和紙で灯りが外にもれないように覆われていた。
なので日が暮れた部屋の中は現代でいうとダウンライトをつけているのと同じで、かなり薄暗い。
家の窓ガラス戸には全て十字に✕印の形をした薄い和紙が貼られ、家の裏側にある土間には、木の蓋のついた簡易的な“防空壕”が作ってあった。
防空壕は3軒に1つずつあるらしい。
広さは大体、大人が10人くらい座って入れるくらいの大きさだ。
学校や役場から空襲の警報が聞こえる度にこの蓋は持ち開けられ、夏菜子ちゃんの家族。
それとご近所の一人暮らしのおばあちゃん、トメさん。
あと隣のおじいちゃんの源さんを含め毎度4人くらいが入るらしい。
場合によっては来客も入る。
私が中を覗き込むと防空壕の中には、少しの食べ物と薬箱が壁際に寄せてあった。
*
日が暮れて私は、明日から借りる予定の“離れ”が掃除できるまで、夏菜子ちゃんの部屋に泊めてもらうことになった。
私は友達の家に一人で泊まったりするのは初めての事で、内湯に入った後も胸が少しドキドキしていた。
去年、訪れた合宿形式のホームステイとは違う胸の高鳴りに今夜は眠れそうにない。
そして消灯時間も過ぎた時刻。
この家の夜の灯りは部屋の片隅に置かれた行燈でしのぐらしい。
シュッ ボッ
柔らかな揺れるみかん色の火に油をさすと、菜種の独特の弾ける酸っぱい香りが部屋中に広がった。
「おやすみなさい。おばあちゃん……」
「はい、おやすみ。夏菜子、ミラちゃんも今日は、疲れたやろ。ゆっくりおやすみ……」
「ありがとうございます」
「スース スース……」
夏菜子ちゃんは、おばあちゃんが部屋を出て行くまでの短い間。
布団を被り、わざとらしい寝息を立てていた。
行燈の灯りは油がなくなったら勝手に消えるらしい。
「二人ともおやすみ……」
ガタン カタン
トン トン トン……
ガラガラ……
「……ミラちゃん。おばあちゃん行ったか?」
「うん」
私は廊下をゆっくりと進む夏菜子ちゃんのおばあちゃんの足音が遠ざかるのを確認すると、首を縦に振り夏菜子ちゃんの問に小さく返事をした。
ガタン
そして夏菜子ちゃんのおばあちゃんが自分の部屋に入り扉を閉める音を二人で確認する。
すると夏菜子ちゃんは、私に背を向け物音を立てないように壁際の箪笥の方へと静かに這っていった。
そして枕元の行燈に再び火を点け、引き出しに手を掛けると私の方を振り返り、こう呟いた。
「……な、ミラちゃん、見て見て!この制服、素敵やろ?私のなんだ」
私が藤の枕で絡まった髪を手櫛で梳かしていると、彼女は桐の箪笥から“制服”といった紺色の洋服を取り出し胸に当て部屋の真ん中に立ち体を揺すった。
「私のおばあちゃんもな、私と同じ女学校に通っとったんよ。お母ちゃんも。明日から“勤労奉仕”でミラちゃんも通う学校だよ。さっき大通りから見たやろ。西洋風の塔のある立派な学校」
夏菜子ちゃんはそう言うと制服を胸に当てくるりと一周回った。
「おばあちゃんが女学校に通っとった時……。明治の時代の話なんやけどな。当時は、まだ校章がなくてな、赤い袴に黒い線を入れて校章の代わりにたらしいよ。でな、今は袴の代わりに入学するとこのセーラーが着られるんよ」
夏菜子ちゃんは早口でそう言うと嬉しそうに制服に顔を埋め、制服の匂いを嗅ぐと、薄灯りに幸せなそうな笑顔を浮かべた。
「だけどな……戦争が始まって制服を着られんようになってしもうたんよ……。勤労奉仕にはスカートは動きにくいから、しかたなし。だから今は学校に行くのにもこんなモンペや古い着物を着回しとるん」
夏菜子ちゃんはそう言うと制服を箪笥に丁寧に仕舞いながら壁のハンガーに掛けられたモンペを見上げた。
「着るものだけじゃない。戦争が始まったら運動会で先輩方が薙刀の演舞やったり、救護訓練の成果を披露したり……。今年に入って運動場が畑になったから運動会もなしじゃろな。あ~、それに私もうすぐ卒業なのにお婿さんも決まっとらん!このままじゃ私は行き遅れてまう!!あと2年も過ぎたら確実に行き遅れじゃ!」
夏菜子ちゃんはそう言うと箪笥を背に真ん中に置かれたちゃぶ台の前に座り肘をついて深い溜息をついた。
「戦争は私の家族や青春、私の大好きな甘味さえ奪っていった。けんど、何も返してはくれん。この前な壊けた飛行機が小牧の方に牛車で運ばれてったんよ。牛車だってみんな言うとるけど、実際は大八車や。トラックじゃのうて大八車を繋げて飛行機運ぶって……。それを見た街の人たちは皆、日本の旗色はよくなかろうって影で噂しちょる」
夏菜子ちゃんの湧き水のごとくあふれる愚痴を背に私は去年、中学校で学んだ平和学習の1ページを思い返していた。
「……夏菜子ちゃん。今、何年?」
「だから昭和19年じゃ」
私の記憶では戦争が終わるのは昭和20年8月15日。
私達は取りあえず後1年は何としてでも生き延びないといけない。
(あぁ、もっとひいおばあちゃんの地元の戦争の軌跡を聞いておけばよかった)と心の中で思ったが、今ではそんなことを後の祭りだ。
「ねぇ、夏菜子ちゃん、今夜は暗い話はよそう。何か明るい話はないの?」
私は自分から溢れ出す不安に蓋をするように夏菜子ちゃんに話を振った。
「明るい話か……。そうじゃ、ミラちゃんが明日から勤労奉仕する学校。あそこの1番高い塔にはな、キレイな音を奏でる8つの魔法の鐘があるんよ。こないにしてな、塔のてっぺんに紐で吊るしてある大きな鐘を裏から大きな鍵盤を使って演奏するんよ。私もばあちゃんも街の人たちはみんな、あの鐘の音が好きじゃ。今は戦争中だから鐘は戦争にしょっぴかれんように箱に入れられとるらしいがまだ学校にあるらしい。それがまだ地元にあるっていう事が私らの“明日への希望”……」
夏菜子ちゃんはそう言うと学校のある方角を優しい目で見つめた。
辺りはすっかり暗くなり鈴虫の鳴く優しい音に包まれている。
私が目を瞑り虫の音に聞き惚れていると、ここが戦時中の名古屋であることを忘れてしまうくらいに、この場所は平和だった。
明日は明日の風が吹く。
明日はみんなを待っている……。
私達はどちらともなく“明日”のついた名言を口に出しながら再び寝床に入った。
ふかふかの優しい香りの夏布団。
畳のい草のほろ苦い香り。
あの日、夏菜子ちゃんの部屋からは、ひいおばあちゃんの家に泊まっていた日と同じ優しい陽だまりの匂いがした。
タイムスリップしたであろう日から私は夏菜子ちゃんのおばあちゃんの家で下宿させてもらうことになった。
夏菜子ちゃんの家は、街の大通りのちょうど真ん中辺りに位置している。
夏菜子ちゃんの通う女学校は、ここから10分程歩いた池の向こう側にあるらしい。
西洋風の背の高い建物が森の中から頭を出しているのが大通りからでも見てとれた。
夏菜子ちゃんのおばあちゃんは、元呉服屋さん。
家の前の大通りには、木でできた電柱や街灯もあり、電気は通っているが、灯りは夜7時迄に消す決まりらしい。
家の中の電球はお勝手や居間、それに夏菜子ちゃんの部屋の天井からも、ぶら下げてはいるが、それらは皆、白い和紙で灯りが外にもれないように覆われていた。
なので日が暮れた部屋の中は現代でいうとダウンライトをつけているのと同じで、かなり薄暗い。
家の窓ガラス戸には全て十字に✕印の形をした薄い和紙が貼られ、家の裏側にある土間には、木の蓋のついた簡易的な“防空壕”が作ってあった。
防空壕は3軒に1つずつあるらしい。
広さは大体、大人が10人くらい座って入れるくらいの大きさだ。
学校や役場から空襲の警報が聞こえる度にこの蓋は持ち開けられ、夏菜子ちゃんの家族。
それとご近所の一人暮らしのおばあちゃん、トメさん。
あと隣のおじいちゃんの源さんを含め毎度4人くらいが入るらしい。
場合によっては来客も入る。
私が中を覗き込むと防空壕の中には、少しの食べ物と薬箱が壁際に寄せてあった。
*
日が暮れて私は、明日から借りる予定の“離れ”が掃除できるまで、夏菜子ちゃんの部屋に泊めてもらうことになった。
私は友達の家に一人で泊まったりするのは初めての事で、内湯に入った後も胸が少しドキドキしていた。
去年、訪れた合宿形式のホームステイとは違う胸の高鳴りに今夜は眠れそうにない。
そして消灯時間も過ぎた時刻。
この家の夜の灯りは部屋の片隅に置かれた行燈でしのぐらしい。
シュッ ボッ
柔らかな揺れるみかん色の火に油をさすと、菜種の独特の弾ける酸っぱい香りが部屋中に広がった。
「おやすみなさい。おばあちゃん……」
「はい、おやすみ。夏菜子、ミラちゃんも今日は、疲れたやろ。ゆっくりおやすみ……」
「ありがとうございます」
「スース スース……」
夏菜子ちゃんは、おばあちゃんが部屋を出て行くまでの短い間。
布団を被り、わざとらしい寝息を立てていた。
行燈の灯りは油がなくなったら勝手に消えるらしい。
「二人ともおやすみ……」
ガタン カタン
トン トン トン……
ガラガラ……
「……ミラちゃん。おばあちゃん行ったか?」
「うん」
私は廊下をゆっくりと進む夏菜子ちゃんのおばあちゃんの足音が遠ざかるのを確認すると、首を縦に振り夏菜子ちゃんの問に小さく返事をした。
ガタン
そして夏菜子ちゃんのおばあちゃんが自分の部屋に入り扉を閉める音を二人で確認する。
すると夏菜子ちゃんは、私に背を向け物音を立てないように壁際の箪笥の方へと静かに這っていった。
そして枕元の行燈に再び火を点け、引き出しに手を掛けると私の方を振り返り、こう呟いた。
「……な、ミラちゃん、見て見て!この制服、素敵やろ?私のなんだ」
私が藤の枕で絡まった髪を手櫛で梳かしていると、彼女は桐の箪笥から“制服”といった紺色の洋服を取り出し胸に当て部屋の真ん中に立ち体を揺すった。
「私のおばあちゃんもな、私と同じ女学校に通っとったんよ。お母ちゃんも。明日から“勤労奉仕”でミラちゃんも通う学校だよ。さっき大通りから見たやろ。西洋風の塔のある立派な学校」
夏菜子ちゃんはそう言うと制服を胸に当てくるりと一周回った。
「おばあちゃんが女学校に通っとった時……。明治の時代の話なんやけどな。当時は、まだ校章がなくてな、赤い袴に黒い線を入れて校章の代わりにたらしいよ。でな、今は袴の代わりに入学するとこのセーラーが着られるんよ」
夏菜子ちゃんは早口でそう言うと嬉しそうに制服に顔を埋め、制服の匂いを嗅ぐと、薄灯りに幸せなそうな笑顔を浮かべた。
「だけどな……戦争が始まって制服を着られんようになってしもうたんよ……。勤労奉仕にはスカートは動きにくいから、しかたなし。だから今は学校に行くのにもこんなモンペや古い着物を着回しとるん」
夏菜子ちゃんはそう言うと制服を箪笥に丁寧に仕舞いながら壁のハンガーに掛けられたモンペを見上げた。
「着るものだけじゃない。戦争が始まったら運動会で先輩方が薙刀の演舞やったり、救護訓練の成果を披露したり……。今年に入って運動場が畑になったから運動会もなしじゃろな。あ~、それに私もうすぐ卒業なのにお婿さんも決まっとらん!このままじゃ私は行き遅れてまう!!あと2年も過ぎたら確実に行き遅れじゃ!」
夏菜子ちゃんはそう言うと箪笥を背に真ん中に置かれたちゃぶ台の前に座り肘をついて深い溜息をついた。
「戦争は私の家族や青春、私の大好きな甘味さえ奪っていった。けんど、何も返してはくれん。この前な壊けた飛行機が小牧の方に牛車で運ばれてったんよ。牛車だってみんな言うとるけど、実際は大八車や。トラックじゃのうて大八車を繋げて飛行機運ぶって……。それを見た街の人たちは皆、日本の旗色はよくなかろうって影で噂しちょる」
夏菜子ちゃんの湧き水のごとくあふれる愚痴を背に私は去年、中学校で学んだ平和学習の1ページを思い返していた。
「……夏菜子ちゃん。今、何年?」
「だから昭和19年じゃ」
私の記憶では戦争が終わるのは昭和20年8月15日。
私達は取りあえず後1年は何としてでも生き延びないといけない。
(あぁ、もっとひいおばあちゃんの地元の戦争の軌跡を聞いておけばよかった)と心の中で思ったが、今ではそんなことを後の祭りだ。
「ねぇ、夏菜子ちゃん、今夜は暗い話はよそう。何か明るい話はないの?」
私は自分から溢れ出す不安に蓋をするように夏菜子ちゃんに話を振った。
「明るい話か……。そうじゃ、ミラちゃんが明日から勤労奉仕する学校。あそこの1番高い塔にはな、キレイな音を奏でる8つの魔法の鐘があるんよ。こないにしてな、塔のてっぺんに紐で吊るしてある大きな鐘を裏から大きな鍵盤を使って演奏するんよ。私もばあちゃんも街の人たちはみんな、あの鐘の音が好きじゃ。今は戦争中だから鐘は戦争にしょっぴかれんように箱に入れられとるらしいがまだ学校にあるらしい。それがまだ地元にあるっていう事が私らの“明日への希望”……」
夏菜子ちゃんはそう言うと学校のある方角を優しい目で見つめた。
辺りはすっかり暗くなり鈴虫の鳴く優しい音に包まれている。
私が目を瞑り虫の音に聞き惚れていると、ここが戦時中の名古屋であることを忘れてしまうくらいに、この場所は平和だった。
明日は明日の風が吹く。
明日はみんなを待っている……。
私達はどちらともなく“明日”のついた名言を口に出しながら再び寝床に入った。
ふかふかの優しい香りの夏布団。
畳のい草のほろ苦い香り。
あの日、夏菜子ちゃんの部屋からは、ひいおばあちゃんの家に泊まっていた日と同じ優しい陽だまりの匂いがした。