この想いの名前を僕たちはまだ知らない

7、二人だけの秘密

「ミラちゃん、お(みゃぁ)さん敵国(アメリカ)の言葉、分かるんかね?」 
  

タイムスリップ2日目の夜。

私は夏菜子ちゃんとお(そろ)いの木綿の浴衣を着て縁側に座り、夕涼みをしていた。

そんな最中(さなか)、夏菜子ちゃんは離れに並べた自分の布団の中に隠れながら小さな声で私に、こう問いかけてきた。 
 
布団の中から(のぞ)く月の淡い青色の光に照らされた夏菜子ちゃんの黒い双眼は、低い声色とは裏腹に怒っていると言うよりも好奇心に輝いているかのように見える。  
 

敵国(アメリカ)……。そうだよね。ここがもし戦時中(太平洋戦争の最中)の日本だったら英語は敵国の言葉。今、英語が喋れる人はスパイと思われて当然だ……) 
   

私はそんな事を考えながら静かに(うつむ)くと、浴衣の袖を少し引っ張って体を強張(こわばらせ)らせた。
 
程なくして夏虫の声を背に、私は月を見上げ、こう口火を切ることにした。
   

「……わ、私スパイでは、ないよ」と。 


夏菜子ちゃんの目を見ながら私がやっと口にした一言。

タイムスリップした事をまだ受け入れられない今の私には、その言葉を絞り出すのが精一杯だった。

私は本当の事(タイムスリップして来た事)を親切にしてくれる夏菜子ちゃんには話したい。  

でも話した所で多分、信じてもらえないだろうと言う気持ちが自分心の何処(どこ)かでわだかまっていた。

だって今の私には未来から来た事を証明する手段がが1つも見当たらないのだから……。 

結局、今日私がお社の扉に手を掛けても何も変化はなかった。

私は本当に元の世界に戻る術がなくなってしまったらしい。


(これから、どうしよう……)


私がそんな事を心の中で長々と事を考えている間。

夏菜子ちゃんは縁側で月を見上げる私の隣に座り、私に寄りかかりながらハニカムように笑って、こう言った。


「そんな深刻な顔しなさんな。私、ミラちゃんのことスパイ?じゃないって信じとる。とりあえず悪い人じゃないって信じてる」 


夏菜子ちゃんはそう言うと私の()を握った。


「私のお父ちゃんもなここだけの話、少しだけ英語が喋れるんよ。昔、横浜で奉公しとってな。そん時に覚えたんだと。なぁ、ミラちゃん。ミラちゃんは混血児なんか?お父ちゃんは横浜には混血児が住む“孤児院”っていう大きな家あるって言ってたが、ミラちゃんはそこ出身か?」 


夏菜子ちゃんはそう言うと内下駄を履き、外に出ると私の前にしゃがみ、こう続けた。


「ミラちゃんの()……。太陽の下だと青く見えるもんね。お父ちゃんかお母ちゃんが異人さんだったなら敵国の言葉が話せるのは不思議な事ではないし?……」  


夏菜子ちゃんは、私が押し黙っている間にもマシンガンのように次から次へと私を質問攻めにした。
 
私の返答なんかはどうでもいいと言わんばかりに。


「……!夏菜子ちゃん。夏菜子ちゃん!落ち着いて。落ち着いて。質問には1つずつ(こた)えるね。えっと、実は……実はね私。自分でも自分がなんで青い()で生まれたか分かってないんだよ!」   
  

私がそう言うと夏菜子ちゃんは驚いて少し気の毒そうに目を()らした。

その直後から、夏菜子ちゃんは私の話に静かに耳を傾けてくれるようになった。

とりあえず、私は夏菜子ちゃんに自分は日本人の両親の間に生まれた生粋の日本人であること。 

両親は今も健在だということ。

私の暮らしていた街では、みんな小学生から英語を勉強するということ。 

それと昨日と同じような簡単な身の上話をした。

夏菜子ちゃんは私の話に初め、半信半疑のように(うなず)いていただけだった。

だが、話の最後の方は何となく納得したように深く(うなず)くようになっていった。 


「そうなんだ。あんね、ミラちゃん。あんた今日、ハナちゃんに「勤労奉仕で何作っとるか?」って聞いたよね?」 


夏菜子ちゃんはそう言うと辺りを見渡し私の耳に手をあて小さな声で、こう話を始めた。 


「私もハナちゃんから(かわや)で聞かれたのよ。ハナちゃんには私が知っとる事は秘密やよ。「知らん」って言ってしもうたから……」 


そう言うと夏菜子ちゃんは私の耳に口を(さら)に近づけ話を続けた。


「あんね、実は私。本当は自分らが何を造っているか知ってるんだ。“気球(フ号)爆弾”っていう大きな風船爆弾。それをな、アメリカまで偏西風にのせて届けるんだと。前に先生達がプールで話してるのを立ち聞きしてしもうて……」  


夏菜子ちゃんはそう言うと右手の()を固く結んだ。  


「ミラちゃん。私のお父ちゃんもな今、戦争に行っとるんよ。今は“満州”ってとこにおるらしいけど、手紙を書く度にお父ちゃんの配属先が変わるんだわ。手紙も墨で所々、文章が消されとることもある。だけど、この前もお父ちゃんの手紙に書いてあった。もう少しの辛抱やね。欲しがりません!勝つまでは!!ってね……」 
 

夏菜子ちゃんはそう言うと、小さくガッツポーズを作り一筋の涙を(こぼ)した。  
 

(夏菜子ちゃん……。本当はお父さんに会えなくて寂しんだ……)
 

私は夏菜子ちゃんの柔らかな体温を受け止めるように木の柱にもたれかかりながら、彼女を支えた。
 
その夜、私達は長い間。 

たくさんの身の上話に花を咲かせた。
 

「……ミラちゃん。私な。昨日も言ったけんど、お母ちゃんを去年亡くしてるんよ。だから、ここに疎開してきたんだ。お母ちゃん方の親戚は今は誰もおらん。私、本当に戦争は大嫌じゃ!」


そう言うと夏菜子ちゃんは涙を浴衣の袖で拭いた。そして、


「そんでな。今日、異人さんの()を見て私は確信した。私は異人さんの青い()を見て敵国(アメリカ)の事を知りたいと思ったんや。敵国(アメリカ)のこと知ったらなんで戦争しとるのかも分かる。原因が分かればキツネの神様の力借りんでも戦争止められるかもしれん」 


そう言うと夏菜子ちゃんは私の拳を強く握り、こう言った。


「だから……。だからな、ミラちゃん私に異人さんの話す言葉、教えてぇな」 


夏菜子ちゃんは私の耳元で小さな声でそう言うと私の()を更に強く握り、私の()を真っ直ぐに見つめた。 
 
彼女の黒曜石のような黒い()は真っ直ぐに澄んでいて月の光の下、爛々(らんらん)と輝いている。 

彼女の決意は本物だ。

それが分かるような強い意思を持った()を今の彼女はしていた。 
 
こんな夏菜子ちゃんの真っ直ぐな思いを無下には突き放す事はできない。

そんな風に考え私は、こう返事をした。


「夏菜子ちゃん……うん。いいよ。でもね、夏菜子ちゃん。私もまだ英語、勉強している最中だから全部は分からないのよ」 

「うん。うん。分かる言葉だけでいいから。ありがとう、ミラちゃん。じゃあ、まずはこれや。さっき言ってた“スパイ”って何?あとな明日、異人さんに聞きたい事。「異人さん、あなたに家族は……」」  


夏菜子ちゃんは私が英語を教える事を快諾した後、すぐに私を自分の布団の中へと引き込むと明日、異人さんに話す英語を暗唱するように何度も何度も唱えはじめた。

私は夏菜子ちゃんの話すひいおばあちゃんに似たカタコトの英語。

それと夏虫の優しい音色を聴きながら長い長い(時間)を過ごした。
 
そして夜も深くなり月はてっぺんに昇った頃。 

夏菜子ちゃんは私より先にかわいい寝息を立て眠ってしまったのだった。
 
* 
 
次の日の朝。 

夏菜子ちゃんと私は夏菜子ちゃんのおばあちゃんに麦飯のおむすびを昨日より二つ多めに作ってもらい女学校へと向かった。  

夏菜子ちゃんおばあちゃんの家は地主の為、物のないこんな時代でも食べるのには不自由がないらしい。  

余分なおむすびを頼むと嫌な顔一つせずに、すぐに(こしら)えてくれた。

* 

昨夜、夜も深くなる頃。

ハナちゃんのお母さんだと言う()せた若い女性が泣いた赤ちゃんを背負い、裏庭で飼っているのヤギの乳をもらいに来た。 

夏菜子ちゃんのおばあちゃんはハナちゃんのお母ちゃんがお乳が出ない話を聞くと笑顔でヤギの乳を絞っていった。

そしてハナちゃんのお母さんには蒸かしたイモを食べさせ落ち着かせると、その間に自ら赤ちゃんにヤギの乳を飲ませていた。
 
号泣していた()せた赤ちゃんはお腹がいっぱいになると安心したのか、夏菜子ちゃんのおばあちゃんの腕の中で小さなゲップをした後、すやすやと寝息をたてていた。 

ハナちゃんのお母さんはヤギの乳のお礼にと紙の束を渡そうとしたようだった。
 
だが夏菜子ちゃんのおばあちゃんは頑として受け取らず付き返していたのを見かけた。 

夏菜子ちゃんのおばあちゃんは、本当に聖人のように優しい人だ。
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