綺麗な花には毒がある
#000 プロローグ
風に舞う桜の花びらが、静かに蓮の頬を撫でる。彼の目の前に広がるのは、かつて自分が育った美しい花咲家の領地。だが今、その輝きは失われ、廃墟と化していた。過去の栄光と悲劇が交差するこの地で、蓮は自身の運命に向き合う決意を固めていた。
「蓮、もっとしっかりと刀を握れ」
僕の父、花咲桔梗が声を張り上げる。父の声は厳しくも、どこか温かみを帯びていた。父は花咲家の当主としての誇りを持ちながら、僕に護身術や刀の扱いを教えてくれた。父の動きは一つ一つが正確で、刀を振るう姿はまるで舞を踊るかのように美しかった。父の教えを受けながら、僕も同じように美しく強くなりたいと心に誓った。
僕の母、花咲ゆりかは庭のベンチに腰掛け、僕たちの稽古を見守っていた。時折、母の優しい笑顔が僕に向けられ、その度に僕は勇気づけられた。母の声が響くたび、僕の心は穏やかになり、どんな困難も乗り越えられる気がした。
夕陽が花咲家の広大な庭園を金色に染めるころ、僕は今日の稽古を終えて疲れ切っていたので草花の中で寝っ転がって夕日を眺めていた。使用人はベッドの上ではなく草木に寝っ転がっている僕をじーと見つめている。
(服が汚れるのでやめてくださいよ! それ私が洗うんですからね!!)
使用人は口では言わないが、視線が物語っていた。使用人の視線から逃れるべく視線を逸らすと父と母が庭園をゆっくりと散歩する姿が見える。両親の優しい声が風に乗って僕の耳に届いてきた。どうやら今日の夕食について話しているようだ。
花咲家の屋敷は小さな貴族のものでありながらも、気品と美しさが溢れていた。屋敷のすぐ横にある庭園には季節ごとに異なる花々が咲き乱れ、春には桜の花が、夏には紫陽花が、秋には紅葉が庭園を彩った。
夕食の時間が近づくと、母が厨房から呼びかける声が聞こえた。
「蓮、食事の準備ができたわよ」
その声に応じて、僕は父と共に屋敷の中に戻った。母の手料理はいつも絶品で、温かいスープとふわふわのパン、そして新鮮な野菜が食卓を彩っていた。母の料理は家庭の味そのもので、僕の心と体を満たしてくれた。
「今日は蓮の大好きなプリンも作ったのよ。ご飯を食べ終わったらデザートに食べましょうね」
プリンという単語を聞いて僕は喜びのあまり飛び跳ねた。プリンは僕の好物で、プリンに勝る料理は存在しないと思っている。もちろん母の料理はどれも美味しくて好きなのだがその中でも特に好きなのがプリンなのである。
食卓では家族三人が揃い、笑い声が絶えなかった。父の仕事の話や、母の趣味のガーデニングの話題に花が咲き、僕は二人の話を興味深く聞き入った。家族で囲む食卓は、何よりも幸せであり、僕にとっての日常の一部だった。この穏やかな時間が永遠に続くと思っていた。
しかし、その平和は永遠ではなかった。ある日、領地の片隅で奇妙な病が流行し始めた。人々の体に花が咲くという不可解な症状が現れ、それは「花咲病」というものだった。 病にかかった者は体のあちこちに花が咲き、次第に力を失い、最終的には命を落とすという恐ろしい病であった。治療はあるものの、花咲領は辺鄙な場所で医者を呼んでもなかなか来ない。医者が来るまで待つことしかできなかった。
花咲病の流行は領民たちの間に恐怖をもたらし、次第に不安と疑念が広がっていった。風に乗って花の香りが漂うたびに、人々の心には恐怖が広がり、日常の生活は次第に暗い影を帯びるようになった。領地の美しい風景は、今やその美しさの裏に潜む恐怖を象徴するものとなっていた。 花咲家が魔女の呪いを振り撒いたとする噂は瞬く間に広まり、領民たちは恐怖と怒りに駆られて花咲家を襲撃する計画を立て始めた。彼らは蓮の両親が魔女であり、領地に花咲病 をもたらしたと信じ込んでいた。
「蓮、すぐにここを出るんだ!」
その目には普段見せない焦りと恐怖が映っていた。何が起こっているのか尋ねる間もな く、父は僕の手が痛いくらいに力強く引っ張り、屋敷の裏口へと急がせた。父の手から緊張が伝わり、僕もつられて緊張した。
屋敷の外はまさに地獄絵図だった。領民たちが松明を手にし、この屋敷に火をつけていた。
「魔女だ、魔女を殺せ!」
彼らはそう叫びながら、花咲家当主を魔女と決めつけて大騒ぎしている。燃え上がる炎が夜空を赤く染め、屋敷の美しい庭園も無惨に焼き尽くされていった。
裏口で待っていた母は、涙を浮かべながらも強い意志を持って僕を抱きしめた。
「蓮、あなたはここから逃げなさい。父様と母様があとはなんとかするから……」
その言葉が最後の別れになることを予感させた。視界がぼやけて、あったかいものが頬を伝ってゆくのを感じた。母は僕に母が愛用していた小さなペンダントを託し、優しく背中を押した。母の涙に濡れた頬が今も鮮明に記憶に残っている。
父の指示で森の中へと逃げ込んだ。僕は振り返ると、屋敷が炎に包まれ、領民たちの怒号が響く中で、父と母の姿が小さくなっていくのが見えた。心が引き裂かれるような痛みと、家族を失う恐怖が胸に込み上げたが、僕はだんだんと意識が遠のいていくのを感じながらそのまま指示に従って必死に走り続けた。