人生詩集・青少年編

第二章 海外放浪編(1)

 この詩集を見るならばいまでも心が痛みます。こうまでした若き日の自分を、その求めた姿勢を忘れることはできません。忘れ去り、葬り去っては自分に申しわけがない。そのあたりは章を変えた「人生詩集・中年実年編」あるいは「人生詩集・老年編」以降に綴ってまいりますので、こちらもぜひご高読のほどを…。

 1973年~1975年におけるわたしの海外放浪時につづった詩群です。かのアルチュール・ランボーに魅せられて、ホイットマンの詩に触発されて、また英国女流作家デュ・モーリアの小説「わが青春は再び来たらず」にも触発されて…等々放浪へのきっかけと必然性はいろいろと云えますが、要はランボーの人生を繰り返してしまったということです。畢竟彼は人生とみずからのありかたに行き詰ったのです。まるで逃げるがごとくフランスに、また詩人としての自分に別れを告げて故国から旅立ちました。わたしもまったくそのごときだったということです。それゆえに確固たる人生と云うにはほど遠い、脆弱性と根無し性が詩群の全編にあふれています。しかし人生を旅と見るならばかの松尾芭蕉の「この道や行く人なしに秋の暮れ」の指向だったと言い訳せぬでもありません。誰でも人はやがて必ずひとりで逝きます。生まれてくる時もそうです。その旅をレールの上を行くのではなく、みずからの足で果たしたかった…だったのやも知れません。まあ、わたしがつべこべ云わずに、どうぞ詩群をご検証ください。

  【わたしのヨーロッパへの旅立ちの地、横浜・山下公園にある〝水の守護霊像〟です】
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