Deception〜私たちの恋の裏にはそれぞれの思惑が渦巻いている〜
序章

 さっきまで感じていた恐怖がすっかり遠のいていた。

 仕事から帰宅したばかりの想乃(その)は靴を脱ぐ暇すらなく、今もなお三和土(たたき)に立ち尽くしている。

 開けっぱなしにした扉の玄関先に、男が立っていた。その背後ではパトカーの赤色灯がくるくると回り、目にチカチカと眩しい。対面する男の姿かたちをはっきりと脳で認識し、やはり呆然と見つめてしまう。

 「どうして、あなたが……?」

 乾いた唇からは当然の疑問がこぼれ落ちた。玄関の奥にある廊下の先で弟が声を上げる。「姉ちゃん、この人だよ!」。その男に指を差し「僕に名刺をくれた人」と続ける。

 名刺と聞いて、先日見たお洒落なカードを思い浮かべた。そこに書かれたフルネームを知らず知らず口に出してしまう。名指しされた男は「そう」と言ってこくりと頷いた。

 「とんだ邪魔が入ったけれど。今日はきみに大事な話があって来たんだよ」
 「……話?」

 何が何やらわからない。困惑から眉を寄せる想乃(その)に男がにこりと微笑んだ。

 「浅倉(あさくら)想乃(その)さん。結婚を前提に、俺とお付き合いしてもらえませんか?」
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