Deception〜私たちの恋の裏にはそれぞれの思惑が渦巻いている〜
「もう郷も帰ってきてるし。そろそろ私も帰るね。また時間が空いたら絶対に会いに来るから。待っててね?」

 母の乾燥した髪に触れ、まぶたが熱くなった。歳より若く見られる母の髪は、もっとみずみずしく艶があったはずなのに。

 そろりと病室の引き戸を開けて、静かに閉めた。

 想乃は小さく洟をすすり、一度お手洗いに立ち寄った。

「今日も404号室の娘さん、来ていたわね」
「ええ。健気というか不憫というか……」

 お手洗いに入る手前の廊下で病室の数字を耳が拾い、想乃の足はぴたりと止まった。数人だと思われる会話はトイレの向こうにあるリネン室から漏れ聞こえてくる。

「浅倉さんの回復って絶望的なんでしょう?」
「そうみたい。娘さんがかわいそう……」
「聞いた話だと在籍していた音大を辞めてアルバイトの掛け持ちをしているそうよ?」
「何それ、かわいそう」
「せめてお母さんの意識が戻ってくれたら、娘さんも報われるのにねぇ」

 想乃の足は知らず知らずのうちに踵を返していた。視界の下半分に水気が溜まり、頬に涙の粒が落ちる。そのままエレベーターホールへと向かった。

 ***

 小走りに去って行く想乃の小さな背を見つめ、ひとりの男がグッと歯を食いしばった。下ろした両手を拳にして「このままじゃいけない」とぶつぶつぼやく。

「僕が想乃を救ってあげないと……!」


< 24 / 154 >

この作品をシェア

pagetop