Deception〜私たちの恋の裏にはそれぞれの思惑が渦巻いている〜
「あ……。いえ。このところ寝不足が続いてしまって……なのでこんな、ミスを」
「それはいけないな」

 彼は困ったように眉根を下げた。

「慢性的な睡眠不足は健全な心を乱すからね。不安や心配事を増長させる元にもなる」
「そう、ですね……」
「仕事は? もう上がり?」
「あっ、はい。これを片付けたら終わりで」

「そう」と言って彼が微笑んだとき。彼のスーツの内ポケットでスマホが鳴った。

「ああ、残念。電話だ」

 彼は柏手を作り、懐に手を入れた。

「邪魔してごめんね。気をつけて帰るんだよ?」

 スイーツプリンスが想乃とすれ違い、颯爽と去っていく。すれ違いざまにふわっといい香りが漂い鼻腔をくすぐった。想乃は振り返った状態で彼の後ろ姿を見つめる。

 スマホを耳に当て「お疲れ様です」と電話を受ける彼を、恍惚な瞳で見つめてしまう。

 やっぱり、素敵な人……。

 ここの社員、だったのかな?

 濡れた床を何度もモップで拭き取り、バケツに汚水を戻した。

 まだ仕事中で。あんな高そうなスーツを急に汚されたのに。あの人は嫌な顔ひとつしなかった。

 なんて優しい。なんて心が広い人なんだろう。私みたいな小娘を気にかけて、体調まで気遣ってくれて。優しく微笑んでくれた。
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