秋の逸話
秋の小径
「ようこそ 宇佐花ゆうえん」
誠と由美子が遊園を訪れたのは、今回で2回目である。
前回に来たのは紫陽花が美しい季節で、梅雨の晴れ間の五月晴れを地でいく好天だったので、かなりの人出だった。
窓口で入場料600円を払うとスタンプカードを渡され、1年間有効の年間パスポートになる。
そんな驚くような料金設定の「宇佐花ゆうえん」は、誠たちが住む市のかなりはずれの方にあったので、2人は駅から1時間に1本だけ出ているバスに15分揺られ、ここにやってきた。
四季折々の花を楽しみながら散歩をして、軽食を食べたり、土産を買ったりすることもできる。そして入場料も「手頃のち無料」なのだから、デートコースとしてはなかなか悪くないが、こういうところに好んでくる高校生カップルはあまりいない。
友人たちに話しても、「そんなところ退屈しないの?」「そこ、小学校の遠足で行ったきりだよ」という反応ばかりだ。
+++
由美子も誠も、他愛もない話をしながら、施設内をくまなく歩くのを心から楽しんでいた。
学校では同じクラスだし、電話やチャットツールでもひんぱんに会話をしているから、共通の話題が多いが、だからこそ「何度も何度も同じ話をする」という状況さえ楽しんでいる、そんな時期だったのだろう。
今回は紅葉と山茶花の花が美しく、園全体が温かな色に満ち溢れていた。
時々お気に入りの紅茶飲料で水分を補給し、見たばかりのアニメの話などをしながら池の周りを歩いていたら、大きく枝を広げた楓(通称「秋の女神」で親しまれているらしい)の木の下に、ベージュ色の何か布っぽいものが落ちているのを由美子が見つけた。
手に取ってみると、それは動物のぬいぐるみだった。
ネズミのような顔をしていて、ほぼ正方形の薄っぺらい体の四隅に、小さな手(厳密には足か)のようなものがついている。頭の部分には、少し長目のひもがついていた。
「これ、何の動物だろ?」
「あ、きっとタイリクモモンガだよ」
「モモンガか――ってか、そこまで特定できるの?」
「うん。多分これと全くおんなじやつ、中学の修学旅行で買ったことがあるんだ」
誠と由美子は違う中学校の出身だった。
同じ市内ではあるが、修学旅行の行先が微妙に違っていたので、そう言われてもすぐにはピンとこない。
「ひょっとして動物園に行ったの?上野?」
「うん、由美子たちは行かなかったの?」
「博物館しか行かなかったな」
「うちの学校は動物園は行ったけど、博物館はなかった。そっちのがよかったな」
誠は妹のお土産にそれを買ったという。
2年経った今も、大喜びで部屋の天井に吊るしているらしい。
そういうふうにすると、まるでモモンガが滑空しているように見えるのだ。
「あ、それで長いひもがついてるのか」
「そうそう」
さて、ぬいぐるみの出自は推定されたとして、それがどうしてここにあるのか、それは2人に共通の疑問だ。
真新しいわけではないようだが、さほど汚れてもいないし、割とそっくりしている。
ということは、ここに誰かが落としたか何かしたとしても、さほど時間は経っていないのではないだろうか。
というより、落とし主はまだ近くにいる可能性もある。
お互いがそんな想像を話し合い、ひとつの結論に達した。
すなわち「邪魔にはならないが、目立つ場所に置いておく」である。
落とし物を見つけたとき、そのように対処する人が多いのではないだろうか――と思われるやり方だ。
いろいろ考えて、結局もとあった場所に置くことにした。
「持ち主すぐ戻ってくるといいな。ばいばい」
誠はモモンガに向かって手を振った。
由美子はそんな様子を見て、くすっと薄く笑った。
本当をいえば、可愛らしいぬいぐみを少し気に入っていて、持ち帰ろうかなとも考えたのだが、口に出さなくてよかったと思った。
あとは持ち主のもとに帰ってくれれば、それでいい。
+++
2人がその後遊園を訪れたのは、藤棚が可憐な小花で満たされた季節だった。
もうすぐ年間パスポートの期限が切れるので、また行ってみようかという話になったのだ。
2人は相変わらず仲がよかった。
その後は本格的な受験勉強が始まり、励まし合いながら勉強したが、翌春それぞれが逆方向の土地で大学生活を始めると、カップルとしての関係は自然消滅した。
よくあることである。
◇◇◇
モモンガのぬいぐるみをみつけたあの日から、何度も春夏秋冬を繰り返し、2人とも大人になって、それぞれ結婚した。
由美子は「優しくて思いやりがある」と思った男性と結婚した。
由美子の夫は酒もあまり飲まず、仕事を真面目にこなし、金のかかる趣味があるわけでもないし、浮気もしない。
幸せな家庭にこだわりを持っていたが、その分、自分の理想からずれたことが起きると、ひどく不機嫌になった。
子供を欲しがっていたので、由美子が「ごめん、今月も《《来ちゃった》》」と言うと、殊更大きな音で舌打ちし、「…またかよ」とため息をついた。
由美子は生理が来たことをいちいち報告すること、そしてそれに「ごめん」と一言添えることに疲れ切っていた。
夫のそういう態度がいわゆるモラルハラスメントだと分かっているが、抗議して改めさせるわけでもなく、離婚する気もなかった。ただ、うんざりはしていた。
時々、高校時代付き合っていた誠のことを思い出す。
大学時代も現夫とは違う男性と付き合ったことはあったが、記憶の糸の先にたどり着くのは、誠と歩いた遊園の風景や、スニーカーの底の落葉の柔らかな感触だった。
そして、「もしあのときモモンガのぬいぐるみを持ち帰っていたら、何か運命が変わっていたのかな?」などと、根拠もないことを考えたりする。
もしゲームのセーブポイントみたいに、人生のある場面に戻れるなら、モモンガのぬいぐるみを見つけたあの日に戻り、そこからやり直すだろうなと漠然と思った。
◇◇◇
誠は大学で知り合った会社経営者の娘と学生結婚した。
ざっくばらんにいうと、妊娠がきっかけだったが、次期社長というのにも魅力を感じていた。
卒業後は義父の会社で無難に働いていた。
社長との関係を知ってやっかむ者も多少はいたが、温厚な性格と誠実さで上司に可愛がられ、同僚に親しまれていた。また、社内では愛妻家の子煩悩としても知られていた。
一方で、適度に要領よく女性と遊ぶこともあった。
妻も子も大切にしていたが、都合よく刺激を求める気持ちも否定できなかった。
妻はそれに薄々感づいてはいるものの、家庭をないがしろにしない限り目をつぶっていようと思った。
休みの日には、家族で動物園に行くこともある。
中学生の頃に買ったものとは違うが、モモンガのぬいぐるみを園内のショップで見つけ、ふと高校時代の記憶がよみがえった。
「元気にしてるかな」程度の話だが、由美子のことをうっすらと思い出したのだ。
「パパ、ぬいぐるみ買うの?」
「違うよ。お前は何か欲しいものないか?」
「これがいいな。アルマジロ!」
小さな娘は屈託ない表情で、耳に特徴のある、自分の顔よりも大きなぬいぐるみを両手で大きく掲げた。
「へえ…よくできてるし、なかなかかわいいな」
「でしょ?」
「大事にするんだぞ」
「もっちろん!」
【『秋の小径』了】
誠と由美子が遊園を訪れたのは、今回で2回目である。
前回に来たのは紫陽花が美しい季節で、梅雨の晴れ間の五月晴れを地でいく好天だったので、かなりの人出だった。
窓口で入場料600円を払うとスタンプカードを渡され、1年間有効の年間パスポートになる。
そんな驚くような料金設定の「宇佐花ゆうえん」は、誠たちが住む市のかなりはずれの方にあったので、2人は駅から1時間に1本だけ出ているバスに15分揺られ、ここにやってきた。
四季折々の花を楽しみながら散歩をして、軽食を食べたり、土産を買ったりすることもできる。そして入場料も「手頃のち無料」なのだから、デートコースとしてはなかなか悪くないが、こういうところに好んでくる高校生カップルはあまりいない。
友人たちに話しても、「そんなところ退屈しないの?」「そこ、小学校の遠足で行ったきりだよ」という反応ばかりだ。
+++
由美子も誠も、他愛もない話をしながら、施設内をくまなく歩くのを心から楽しんでいた。
学校では同じクラスだし、電話やチャットツールでもひんぱんに会話をしているから、共通の話題が多いが、だからこそ「何度も何度も同じ話をする」という状況さえ楽しんでいる、そんな時期だったのだろう。
今回は紅葉と山茶花の花が美しく、園全体が温かな色に満ち溢れていた。
時々お気に入りの紅茶飲料で水分を補給し、見たばかりのアニメの話などをしながら池の周りを歩いていたら、大きく枝を広げた楓(通称「秋の女神」で親しまれているらしい)の木の下に、ベージュ色の何か布っぽいものが落ちているのを由美子が見つけた。
手に取ってみると、それは動物のぬいぐるみだった。
ネズミのような顔をしていて、ほぼ正方形の薄っぺらい体の四隅に、小さな手(厳密には足か)のようなものがついている。頭の部分には、少し長目のひもがついていた。
「これ、何の動物だろ?」
「あ、きっとタイリクモモンガだよ」
「モモンガか――ってか、そこまで特定できるの?」
「うん。多分これと全くおんなじやつ、中学の修学旅行で買ったことがあるんだ」
誠と由美子は違う中学校の出身だった。
同じ市内ではあるが、修学旅行の行先が微妙に違っていたので、そう言われてもすぐにはピンとこない。
「ひょっとして動物園に行ったの?上野?」
「うん、由美子たちは行かなかったの?」
「博物館しか行かなかったな」
「うちの学校は動物園は行ったけど、博物館はなかった。そっちのがよかったな」
誠は妹のお土産にそれを買ったという。
2年経った今も、大喜びで部屋の天井に吊るしているらしい。
そういうふうにすると、まるでモモンガが滑空しているように見えるのだ。
「あ、それで長いひもがついてるのか」
「そうそう」
さて、ぬいぐるみの出自は推定されたとして、それがどうしてここにあるのか、それは2人に共通の疑問だ。
真新しいわけではないようだが、さほど汚れてもいないし、割とそっくりしている。
ということは、ここに誰かが落としたか何かしたとしても、さほど時間は経っていないのではないだろうか。
というより、落とし主はまだ近くにいる可能性もある。
お互いがそんな想像を話し合い、ひとつの結論に達した。
すなわち「邪魔にはならないが、目立つ場所に置いておく」である。
落とし物を見つけたとき、そのように対処する人が多いのではないだろうか――と思われるやり方だ。
いろいろ考えて、結局もとあった場所に置くことにした。
「持ち主すぐ戻ってくるといいな。ばいばい」
誠はモモンガに向かって手を振った。
由美子はそんな様子を見て、くすっと薄く笑った。
本当をいえば、可愛らしいぬいぐみを少し気に入っていて、持ち帰ろうかなとも考えたのだが、口に出さなくてよかったと思った。
あとは持ち主のもとに帰ってくれれば、それでいい。
+++
2人がその後遊園を訪れたのは、藤棚が可憐な小花で満たされた季節だった。
もうすぐ年間パスポートの期限が切れるので、また行ってみようかという話になったのだ。
2人は相変わらず仲がよかった。
その後は本格的な受験勉強が始まり、励まし合いながら勉強したが、翌春それぞれが逆方向の土地で大学生活を始めると、カップルとしての関係は自然消滅した。
よくあることである。
◇◇◇
モモンガのぬいぐるみをみつけたあの日から、何度も春夏秋冬を繰り返し、2人とも大人になって、それぞれ結婚した。
由美子は「優しくて思いやりがある」と思った男性と結婚した。
由美子の夫は酒もあまり飲まず、仕事を真面目にこなし、金のかかる趣味があるわけでもないし、浮気もしない。
幸せな家庭にこだわりを持っていたが、その分、自分の理想からずれたことが起きると、ひどく不機嫌になった。
子供を欲しがっていたので、由美子が「ごめん、今月も《《来ちゃった》》」と言うと、殊更大きな音で舌打ちし、「…またかよ」とため息をついた。
由美子は生理が来たことをいちいち報告すること、そしてそれに「ごめん」と一言添えることに疲れ切っていた。
夫のそういう態度がいわゆるモラルハラスメントだと分かっているが、抗議して改めさせるわけでもなく、離婚する気もなかった。ただ、うんざりはしていた。
時々、高校時代付き合っていた誠のことを思い出す。
大学時代も現夫とは違う男性と付き合ったことはあったが、記憶の糸の先にたどり着くのは、誠と歩いた遊園の風景や、スニーカーの底の落葉の柔らかな感触だった。
そして、「もしあのときモモンガのぬいぐるみを持ち帰っていたら、何か運命が変わっていたのかな?」などと、根拠もないことを考えたりする。
もしゲームのセーブポイントみたいに、人生のある場面に戻れるなら、モモンガのぬいぐるみを見つけたあの日に戻り、そこからやり直すだろうなと漠然と思った。
◇◇◇
誠は大学で知り合った会社経営者の娘と学生結婚した。
ざっくばらんにいうと、妊娠がきっかけだったが、次期社長というのにも魅力を感じていた。
卒業後は義父の会社で無難に働いていた。
社長との関係を知ってやっかむ者も多少はいたが、温厚な性格と誠実さで上司に可愛がられ、同僚に親しまれていた。また、社内では愛妻家の子煩悩としても知られていた。
一方で、適度に要領よく女性と遊ぶこともあった。
妻も子も大切にしていたが、都合よく刺激を求める気持ちも否定できなかった。
妻はそれに薄々感づいてはいるものの、家庭をないがしろにしない限り目をつぶっていようと思った。
休みの日には、家族で動物園に行くこともある。
中学生の頃に買ったものとは違うが、モモンガのぬいぐるみを園内のショップで見つけ、ふと高校時代の記憶がよみがえった。
「元気にしてるかな」程度の話だが、由美子のことをうっすらと思い出したのだ。
「パパ、ぬいぐるみ買うの?」
「違うよ。お前は何か欲しいものないか?」
「これがいいな。アルマジロ!」
小さな娘は屈託ない表情で、耳に特徴のある、自分の顔よりも大きなぬいぐるみを両手で大きく掲げた。
「へえ…よくできてるし、なかなかかわいいな」
「でしょ?」
「大事にするんだぞ」
「もっちろん!」
【『秋の小径』了】
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