君がくれた眠れない夜に
第十一話
何故気がつかなかったのか、最初はわからなかった。
おじちゃんもお母さんも何も言っていなかった。何故か? わたしははたと気づいた。写真がないのだ。家のどこにも写真がなかった。あるのは瑠璃子おばさんの若い頃のポートレートだけ。家族の写真が1枚もない。蓮くんの話を聞いて、あとで考えてみると確かにそうだった。それは亡くなってしまったからだろう。
たぶん。悲しみが消えなくて飾れなかったのだろう。たぶんの憶測だけがわたしの心を支配した。旦那さんは軍人だったこと。亡くなったのは新婚の頃。アメリカ人。それだけはわかった。部屋がどこか外国のようだった理由も納得できた。
蓮くんとはそれから連絡先を交換して別れた。
わたしはもう終電をのがしていたので、瑠璃子おばさんの家で過ごした。ロウソクがあったのでそれをお気に入りのアンの部屋で灯した。なにか音楽を聴こうかと思ったが、葬送行進曲の話が耳に残っている。頭の中でその曲が鳴り響く。怖いと思った。瑠璃子おばさんがこの家で、どんな思いをして一人過ごしてきたのかと思うと胸が痛んだ。
同時に空間に物音がこだましておばさんもきっと怖かったに違いないと思った。外から枝のわざわざと揺れる音がする。唯の身じろぎが部屋に響く。窓の外は真っ暗だ。わたしだったら庭に灯を灯すだろうと、そう思った。
わたしだったら⋯⋯わたしだったら、どうだというんだろう? まるでこの家の新しい主みたいなことを考えてしまった。わたしはここに住む事になるなんだろうか? まだわからなかった。迷っていた。この大きな置物の所有者になることに。わたしは不安になりバスタブで丸まって眠った。
次の日は、外がしらじらと明るくなる頃に始発の電車に乗って新宿まで帰った。寝不足だったけどレインドロップは皆勤賞で休むわけにはいかない。わたしは何事もない素振りで店に入った。
「おはよう、月子ちゃん」
「おはようございます」
平凡な一日が始まった。
始めに昨日の夜の話をどうすればいいのか悩んだ。特に春菜ちゃんには気を使う。あのイケメンくんと知り合いになって連絡先まで交換したのだ。いや、そこじゃないだろうという自分もいた。
第一に、みんなにどう説明すればいいのかということだ。あのブーケの説明とおばさんの結婚の話が頭の中でショートしそうなくらい錯綜した。何を伝えて何を秘密にするのか考えた。秘密なんておかしな響きだけれどわたしにとっては大きな選択だ。
わたしの異変に気がついたのは小林さんだった。
「はろはろー」
「なんですそれ」わたしは吹き出しそうになった。
「元気ないね、なんかあった? 昨日とか? もしや菅野がなにかしでかしたか?」
「ち、違います」
扉の鈴が連続して鳴った。
「いらっしゃいませ、お好きな席に⋯⋯」
信じられない事に、イケメンくん、とその友人らしき人物二人だった。わたしは凍りついた。すぐに春菜ちゃんがまだ出勤していないことを目で確認した。
「月子ちゃん、ちわ!」洋子さん、小林さんが即反応して注目した。
「月子ちゃんっていうの? ボーイッシュで、かわいいね」友人はなんとも軽いノリだ。と言って私の顔を覗き込む。
「やめろよ、お前たち」蓮くんが二人を押さえてくれた。わたしはたぶん顔が真っ赤だ。
三人はカウンターの方に入っていった。洋子さんは目を白黒させている。小林さんはにたにたしていた。エプロンをつけようと入ってきた菅野くんが唖然としていた。まだ益子さんは着ていないのでコーヒーを作るのは洋子さんだ。
「メニュー見ます?」
「あ、お願いします」
「なにがいい?おすすめある?」髪の毛をポニーテールにしている男の人が蓮くんに訊いた。
「俺はいつもモカだけど、他にも種類あるし好きなの選んだら?」
「ふーん、あ、俺、これにしようかな。キリマン」
「俺、ブレンド。初めての店はブレンドからっていうだろ?」大きな黒縁眼鏡の人が言った。
「え?そうなの?」蓮くんが笑った。
メニューを洋子さんに返すと三人は静かな声で話し出した。
わたしはテーブル席の接客にいかなくてはならなくなったので菅野くんと二人で目配せした。
(なんでこんな日に来たんだろう? 何時も火曜日なのに⋯⋯)
わたしは胸がどきどきして煩いくらいだった。
1時間くらい過ぎて、お店を出て行く時、蓮くんがわたしに話しかけてきた。
「今日は臨時のバイトってわけ」
「バイト?」
「ドームでライブがあるんだ。その設営」
「そ、そうなんですね」
「また敬語」
「で、でも、今仕事中ですから」
他のみんなが聞き耳を立てているのを感じた。わたしは恥ずかしくなって急いで
「ありがとうございました」と言った。蓮くんは仲間にからかわれながら出ていった。
すると洋子さんが顔を赤くして私の耳に声を当てた。
「あれ、セントハウスの子達よ?!」
「え?」
「芸能人じゃないの!月子ちゃん、知らないの?」
「えーーー!!!!」
私は再び驚いた。
おじちゃんもお母さんも何も言っていなかった。何故か? わたしははたと気づいた。写真がないのだ。家のどこにも写真がなかった。あるのは瑠璃子おばさんの若い頃のポートレートだけ。家族の写真が1枚もない。蓮くんの話を聞いて、あとで考えてみると確かにそうだった。それは亡くなってしまったからだろう。
たぶん。悲しみが消えなくて飾れなかったのだろう。たぶんの憶測だけがわたしの心を支配した。旦那さんは軍人だったこと。亡くなったのは新婚の頃。アメリカ人。それだけはわかった。部屋がどこか外国のようだった理由も納得できた。
蓮くんとはそれから連絡先を交換して別れた。
わたしはもう終電をのがしていたので、瑠璃子おばさんの家で過ごした。ロウソクがあったのでそれをお気に入りのアンの部屋で灯した。なにか音楽を聴こうかと思ったが、葬送行進曲の話が耳に残っている。頭の中でその曲が鳴り響く。怖いと思った。瑠璃子おばさんがこの家で、どんな思いをして一人過ごしてきたのかと思うと胸が痛んだ。
同時に空間に物音がこだましておばさんもきっと怖かったに違いないと思った。外から枝のわざわざと揺れる音がする。唯の身じろぎが部屋に響く。窓の外は真っ暗だ。わたしだったら庭に灯を灯すだろうと、そう思った。
わたしだったら⋯⋯わたしだったら、どうだというんだろう? まるでこの家の新しい主みたいなことを考えてしまった。わたしはここに住む事になるなんだろうか? まだわからなかった。迷っていた。この大きな置物の所有者になることに。わたしは不安になりバスタブで丸まって眠った。
次の日は、外がしらじらと明るくなる頃に始発の電車に乗って新宿まで帰った。寝不足だったけどレインドロップは皆勤賞で休むわけにはいかない。わたしは何事もない素振りで店に入った。
「おはよう、月子ちゃん」
「おはようございます」
平凡な一日が始まった。
始めに昨日の夜の話をどうすればいいのか悩んだ。特に春菜ちゃんには気を使う。あのイケメンくんと知り合いになって連絡先まで交換したのだ。いや、そこじゃないだろうという自分もいた。
第一に、みんなにどう説明すればいいのかということだ。あのブーケの説明とおばさんの結婚の話が頭の中でショートしそうなくらい錯綜した。何を伝えて何を秘密にするのか考えた。秘密なんておかしな響きだけれどわたしにとっては大きな選択だ。
わたしの異変に気がついたのは小林さんだった。
「はろはろー」
「なんですそれ」わたしは吹き出しそうになった。
「元気ないね、なんかあった? 昨日とか? もしや菅野がなにかしでかしたか?」
「ち、違います」
扉の鈴が連続して鳴った。
「いらっしゃいませ、お好きな席に⋯⋯」
信じられない事に、イケメンくん、とその友人らしき人物二人だった。わたしは凍りついた。すぐに春菜ちゃんがまだ出勤していないことを目で確認した。
「月子ちゃん、ちわ!」洋子さん、小林さんが即反応して注目した。
「月子ちゃんっていうの? ボーイッシュで、かわいいね」友人はなんとも軽いノリだ。と言って私の顔を覗き込む。
「やめろよ、お前たち」蓮くんが二人を押さえてくれた。わたしはたぶん顔が真っ赤だ。
三人はカウンターの方に入っていった。洋子さんは目を白黒させている。小林さんはにたにたしていた。エプロンをつけようと入ってきた菅野くんが唖然としていた。まだ益子さんは着ていないのでコーヒーを作るのは洋子さんだ。
「メニュー見ます?」
「あ、お願いします」
「なにがいい?おすすめある?」髪の毛をポニーテールにしている男の人が蓮くんに訊いた。
「俺はいつもモカだけど、他にも種類あるし好きなの選んだら?」
「ふーん、あ、俺、これにしようかな。キリマン」
「俺、ブレンド。初めての店はブレンドからっていうだろ?」大きな黒縁眼鏡の人が言った。
「え?そうなの?」蓮くんが笑った。
メニューを洋子さんに返すと三人は静かな声で話し出した。
わたしはテーブル席の接客にいかなくてはならなくなったので菅野くんと二人で目配せした。
(なんでこんな日に来たんだろう? 何時も火曜日なのに⋯⋯)
わたしは胸がどきどきして煩いくらいだった。
1時間くらい過ぎて、お店を出て行く時、蓮くんがわたしに話しかけてきた。
「今日は臨時のバイトってわけ」
「バイト?」
「ドームでライブがあるんだ。その設営」
「そ、そうなんですね」
「また敬語」
「で、でも、今仕事中ですから」
他のみんなが聞き耳を立てているのを感じた。わたしは恥ずかしくなって急いで
「ありがとうございました」と言った。蓮くんは仲間にからかわれながら出ていった。
すると洋子さんが顔を赤くして私の耳に声を当てた。
「あれ、セントハウスの子達よ?!」
「え?」
「芸能人じゃないの!月子ちゃん、知らないの?」
「えーーー!!!!」
私は再び驚いた。