君がくれた眠れない夜に
第八話
それから一週間が過ぎたけど、瑠璃子おばさんの家には行けていなかった。
電話でお母さんに相談したかったが、できなかった。
お母さんとわたしの隔たりが邪魔していた。わたしはお父さんと最後の別れをした時、お父さんはこう言った。
「お母さんと仲良くな。元気でいなさい。⋯⋯本当にごめんな」
その言葉をお母さんに伝えたいけれどできないでいる。それはお母さんが仕事を優先させて看取らなかったからだった。わたしはどうしても納得できなかったし、でもだからといってその事を追求する勇気も持てなかった。
おじいちゃんに瑠璃子おばさんの話を聞いてみたかったが、それもできなかった。わたしがお母さんを差し置いて連絡すれば、私たちの仲はもっと遠くなってしまうからだ。
火曜日のイケメンくんが帰ったあと、わたしが憂鬱な顔をしていたのに春菜ちゃんが気付いて声をかけてきた。
「どうしたんですか? 芙蓉さん。今日は元気ないですね?」
「そう?」
「そうですよ、話なら聞きますよ? どうです? 一杯」
おじさんみたいな仕草で春菜ちゃんが誘った。ということでその日は、珍しく二人で飲みに行くことにした。
商店街の裏手にある飲み屋、提灯というお店に入った。ここは常連とまではいかないけれど、二人だけの時たまに来る居酒屋で、個室タイプだから大きな声じゃなければ会話が隣に聞こえることもないのが気に入っていた。
わたしは憂鬱の原因でもある理由を、さっそく春菜ちゃんにかいつまんで話した。
「へーそんなことがあったんだ。なんだみんな黙っててわたしだけのけ者じゃん」
春菜ちゃんが納得と同時に閉口した。
「ごめん、隠してたわけじゃないけど、みんなもわたしが悩んでたから気を使ってくれたんだと思う」
「それにしても誘ってくれたらいいのに」
「ごめん」
「いいよ、いいですよ、わたしの立ち位置ってこんなもんでしょう」
気まずい雰囲気になって、どうしようと思っていたら思いのほか春菜ちゃんがけろっとした様子で、すかさず訊いてきた。
「で、決まりました?」
「え? なにが?」
「家、貰っちゃうんですか?」
「うん、それもそうなんだけど」
「あのさ、瑠璃子おばさんがなんで芙蓉さんに家を残したのか知りたいんですよね?」
「そうなんだよね」
「それなら調べてみましょうよ」
「どうやって?」
「手がかりは、あるでしょう?」
春菜ちゃんが、うふふと不敵な笑みを作った。
「まずは、そのあきる野さんを探しましょうよ」
「あきる野さんを?」
「絶対、なんか知ってるって」
「そうかな」
「そうですよ、芙蓉さん」
それにしてもこれはずっと思ってきたことだけど、春菜ちゃんはどうしてわたしのことを「芙蓉さん」というのだろうか。ちょっと訊いてみようと思った。
「あのさ」
「うん」
「前々から思ってたんだけど、春菜ちゃんはどうしていつもわたしのこと苗字で言うの?」
「え? 今それ?」
「うん」
「それはですねー。うーん」春菜ちゃんが唸ってから言った。「尊敬してるから。わたしリスペクトしている人には敬語使うんです」
わたしは驚いた。
「どこが?」ちょっと大きな声が出た。
「だって動じないじゃないですか。わたしと年齢もひとつしか違わないのに落ち着いてるし、いつも余裕があるっていうか」
「それはおおいなる誤解だと思うけど」
「え? なんで?」
「わたしはさ、失敗するのが怖いだけ。誰かに後ろ指を指されるのがイヤなんだよ。だから守りに入ってるっていうか⋯⋯」
春菜ちゃんはそれ以上何も訊かなかったし言わなかった。わたしは軽い気持ちで本心をさらしてしまったような気がして落ち着かなかった。
次の日の水曜日、当然のように二人で町田の家まで行くことになった。お店の前で待ち合わせをしたわたしたちだったが、どういうわけか、春菜ちゃんがお店の中に入った。
何故か鍵が開いている。すると突然の大きな音。クラッカーの音だった。
みんなが勢ぞろいしている。店の中は金や銀のプレートで賑やかに飾られていた。
「お誕生日、おめでとう!」
みんなが口を揃えてわたしに言った。どうやらこれはわたしの誕生日会のようだ。忘れていた。そういえば後二日で二十二歳だ。いたるところに赤い風船が浮かんでいる。それから奥から洋子さんがケーキを持って出てきた。薔薇の花が散っている美しいケーキだ。
「サプラーイズ!」
小林さんと菅野くん、益子くんがまたクラッカーを鳴らした。十九本のロウソクを吹き消すとわたしは嬉しくて舞い上がった。
「どうどう? びっくりした?」春菜ちゃんが頬を赤くしている。
「月子ちゃん、これだけじゃないよ」
みんなからの贈り物が待っていた。ブルーのリボンに銀色のラッピング。開けるとモスグリーンのサマーセーターだった。あまり自分では選ばない上品な色合いだ。
「凄い、ありがとうございます!」
わたしはすごく嬉しくて泣きそうになった。
「月子ちゃん、一言!」
小林さんが、はやし立てた。マイクを持ったようなこぶしをわたしの口元に押し付けてくる。
「えっと、ありがとうございました。まさかこんな事があるとは思わず⋯⋯。感激です。それからプレゼントもこんな高価なもの悪いっていうか、その⋯⋯」
わたしが涙ぐむと益子くんが肩に手をあてて叩いてくれた。
テーブルには食べ物がいっぱい乗っていた。砂糖菓子でできた小さなクッキーが山盛り、あつあつのコロッケに唐揚げチキン、わたしの好きな小林さんのおにぎり、大きな鍋に入った美味しそうなオニオンスープ。
「これ、みんな小林さんと益子さんが作ったのよ」洋子さんが言った。
「まあ、このくらいは、おちゃのこさいさいだけどね」小林さんが腕を組んだ。
「なにそれ」菅野くんがすかさず突っ込みを入れる。
みんなで笑った。わたしたちは、その日、お昼過ぎまで騒いで、お腹いっぱいになったところでお開きにした。
それから春菜ちゃんと二人で町田に行くことを、みんなに言った。益子くんは話を知っていたらしく他の三人と一緒に頷いていた。春菜ちゃんがおちゃめに笑った。
「菅野くんもね」菅野くんに当然のように言った。
「え? なんで?」菅野くんは慌てて驚いて春菜ちゃんを凝視した。
「探偵くんがいるの」
「探偵? どういうこと?」
「あの、謎があって」
「謎?」
わたしが言った。
「ピアノの上に写真と花束があって、それが誰からのものなのか、知りたいんです」
「え?そうなの?でもそんな、突然言われても困るよ」
「そうだよね、そうですよね、わかりました。ごめんなさい」春菜ちゃんが声を上げた。
「芙蓉さん、なんで、そこで引き下がるの? 菅野くん、こないだ女と歩いてたの、あれ誰?」
菅野くんが春菜ちゃんの言葉に、ひいっと声をあげた。
「あ、あれはその」
「あれ、彼女? 違うよね。だってあの人、前お店に彼氏と来てたもん」
「い、いや、その」
「人のものに手をだしたら、いかんな」隣で聞き耳を立てていた小林さんだった。
「ち、違う。あれは道を聞かれてただけで⋯⋯」
「へー」
「わかったよ、行けばいいんでしょ行けば。でも解決するかわからないよ?」
そんなこんなでお誕生日会は終わり、早速三人で町田に向かうことになった。
電話でお母さんに相談したかったが、できなかった。
お母さんとわたしの隔たりが邪魔していた。わたしはお父さんと最後の別れをした時、お父さんはこう言った。
「お母さんと仲良くな。元気でいなさい。⋯⋯本当にごめんな」
その言葉をお母さんに伝えたいけれどできないでいる。それはお母さんが仕事を優先させて看取らなかったからだった。わたしはどうしても納得できなかったし、でもだからといってその事を追求する勇気も持てなかった。
おじいちゃんに瑠璃子おばさんの話を聞いてみたかったが、それもできなかった。わたしがお母さんを差し置いて連絡すれば、私たちの仲はもっと遠くなってしまうからだ。
火曜日のイケメンくんが帰ったあと、わたしが憂鬱な顔をしていたのに春菜ちゃんが気付いて声をかけてきた。
「どうしたんですか? 芙蓉さん。今日は元気ないですね?」
「そう?」
「そうですよ、話なら聞きますよ? どうです? 一杯」
おじさんみたいな仕草で春菜ちゃんが誘った。ということでその日は、珍しく二人で飲みに行くことにした。
商店街の裏手にある飲み屋、提灯というお店に入った。ここは常連とまではいかないけれど、二人だけの時たまに来る居酒屋で、個室タイプだから大きな声じゃなければ会話が隣に聞こえることもないのが気に入っていた。
わたしは憂鬱の原因でもある理由を、さっそく春菜ちゃんにかいつまんで話した。
「へーそんなことがあったんだ。なんだみんな黙っててわたしだけのけ者じゃん」
春菜ちゃんが納得と同時に閉口した。
「ごめん、隠してたわけじゃないけど、みんなもわたしが悩んでたから気を使ってくれたんだと思う」
「それにしても誘ってくれたらいいのに」
「ごめん」
「いいよ、いいですよ、わたしの立ち位置ってこんなもんでしょう」
気まずい雰囲気になって、どうしようと思っていたら思いのほか春菜ちゃんがけろっとした様子で、すかさず訊いてきた。
「で、決まりました?」
「え? なにが?」
「家、貰っちゃうんですか?」
「うん、それもそうなんだけど」
「あのさ、瑠璃子おばさんがなんで芙蓉さんに家を残したのか知りたいんですよね?」
「そうなんだよね」
「それなら調べてみましょうよ」
「どうやって?」
「手がかりは、あるでしょう?」
春菜ちゃんが、うふふと不敵な笑みを作った。
「まずは、そのあきる野さんを探しましょうよ」
「あきる野さんを?」
「絶対、なんか知ってるって」
「そうかな」
「そうですよ、芙蓉さん」
それにしてもこれはずっと思ってきたことだけど、春菜ちゃんはどうしてわたしのことを「芙蓉さん」というのだろうか。ちょっと訊いてみようと思った。
「あのさ」
「うん」
「前々から思ってたんだけど、春菜ちゃんはどうしていつもわたしのこと苗字で言うの?」
「え? 今それ?」
「うん」
「それはですねー。うーん」春菜ちゃんが唸ってから言った。「尊敬してるから。わたしリスペクトしている人には敬語使うんです」
わたしは驚いた。
「どこが?」ちょっと大きな声が出た。
「だって動じないじゃないですか。わたしと年齢もひとつしか違わないのに落ち着いてるし、いつも余裕があるっていうか」
「それはおおいなる誤解だと思うけど」
「え? なんで?」
「わたしはさ、失敗するのが怖いだけ。誰かに後ろ指を指されるのがイヤなんだよ。だから守りに入ってるっていうか⋯⋯」
春菜ちゃんはそれ以上何も訊かなかったし言わなかった。わたしは軽い気持ちで本心をさらしてしまったような気がして落ち着かなかった。
次の日の水曜日、当然のように二人で町田の家まで行くことになった。お店の前で待ち合わせをしたわたしたちだったが、どういうわけか、春菜ちゃんがお店の中に入った。
何故か鍵が開いている。すると突然の大きな音。クラッカーの音だった。
みんなが勢ぞろいしている。店の中は金や銀のプレートで賑やかに飾られていた。
「お誕生日、おめでとう!」
みんなが口を揃えてわたしに言った。どうやらこれはわたしの誕生日会のようだ。忘れていた。そういえば後二日で二十二歳だ。いたるところに赤い風船が浮かんでいる。それから奥から洋子さんがケーキを持って出てきた。薔薇の花が散っている美しいケーキだ。
「サプラーイズ!」
小林さんと菅野くん、益子くんがまたクラッカーを鳴らした。十九本のロウソクを吹き消すとわたしは嬉しくて舞い上がった。
「どうどう? びっくりした?」春菜ちゃんが頬を赤くしている。
「月子ちゃん、これだけじゃないよ」
みんなからの贈り物が待っていた。ブルーのリボンに銀色のラッピング。開けるとモスグリーンのサマーセーターだった。あまり自分では選ばない上品な色合いだ。
「凄い、ありがとうございます!」
わたしはすごく嬉しくて泣きそうになった。
「月子ちゃん、一言!」
小林さんが、はやし立てた。マイクを持ったようなこぶしをわたしの口元に押し付けてくる。
「えっと、ありがとうございました。まさかこんな事があるとは思わず⋯⋯。感激です。それからプレゼントもこんな高価なもの悪いっていうか、その⋯⋯」
わたしが涙ぐむと益子くんが肩に手をあてて叩いてくれた。
テーブルには食べ物がいっぱい乗っていた。砂糖菓子でできた小さなクッキーが山盛り、あつあつのコロッケに唐揚げチキン、わたしの好きな小林さんのおにぎり、大きな鍋に入った美味しそうなオニオンスープ。
「これ、みんな小林さんと益子さんが作ったのよ」洋子さんが言った。
「まあ、このくらいは、おちゃのこさいさいだけどね」小林さんが腕を組んだ。
「なにそれ」菅野くんがすかさず突っ込みを入れる。
みんなで笑った。わたしたちは、その日、お昼過ぎまで騒いで、お腹いっぱいになったところでお開きにした。
それから春菜ちゃんと二人で町田に行くことを、みんなに言った。益子くんは話を知っていたらしく他の三人と一緒に頷いていた。春菜ちゃんがおちゃめに笑った。
「菅野くんもね」菅野くんに当然のように言った。
「え? なんで?」菅野くんは慌てて驚いて春菜ちゃんを凝視した。
「探偵くんがいるの」
「探偵? どういうこと?」
「あの、謎があって」
「謎?」
わたしが言った。
「ピアノの上に写真と花束があって、それが誰からのものなのか、知りたいんです」
「え?そうなの?でもそんな、突然言われても困るよ」
「そうだよね、そうですよね、わかりました。ごめんなさい」春菜ちゃんが声を上げた。
「芙蓉さん、なんで、そこで引き下がるの? 菅野くん、こないだ女と歩いてたの、あれ誰?」
菅野くんが春菜ちゃんの言葉に、ひいっと声をあげた。
「あ、あれはその」
「あれ、彼女? 違うよね。だってあの人、前お店に彼氏と来てたもん」
「い、いや、その」
「人のものに手をだしたら、いかんな」隣で聞き耳を立てていた小林さんだった。
「ち、違う。あれは道を聞かれてただけで⋯⋯」
「へー」
「わかったよ、行けばいいんでしょ行けば。でも解決するかわからないよ?」
そんなこんなでお誕生日会は終わり、早速三人で町田に向かうことになった。