あまく翻弄される
「──鳴さん?」
聞きなれた声がふいに耳をかすめる。
うそ。それこそこんな運命みたいな偶然があるわけがない。
ぼやけそうになる瞳を閉じる。
もう一度、
もう一度だけ瞳を開けてそこにいるのなら、
「鳴さん」
ふわりと香るよく知っている石鹸の匂い。
どうしようもなく縋りつきたくなった。
もしも、運命があるなら。
「──伊織くん……」
この人がいい。素直にそう思った。
掴まれて痛い手も何もかもどうでも良くなった。
伊織くんの顔を見たら心底安心した。
「何してるんです?」
「……なんだよ彼氏持ちかよ。だる。帰るわ」
「……」
舌打ちをしてイラつきを抑えきれないように手を振り払われる。
さっきまでの上機嫌な彼とは思えないほど冷たい態度に凍りついたまま、彼を見る。
違う女の子をナンパしながら歩く彼に、私は何を見ていたんだろう。冷静になった頭で間違えたことを知った。
あのままだったら私きっと後悔していた。
その男の後ろ姿を冷ややかな瞳で伊織くんは見続けた。