ヤンキー高校のアリス
第二章
テスト勉強開始
※ ※ ※
「あれ」からのことを、ちょっとだけ話そう。
三人の謹慎中、わたしはすごくさみしくて、心細かった。今まであれほど大仰だと思っていた護衛が三人ともぱったりと消えてしまったことが、わたしをひとりぼっちにさせた。
【姫】という肩書きは意外にも丈夫で、硬い鎧のようで、ヤンキーたちは誰一人手を出してこなかった。あの足立が、あの千住が、あの八王子が、手を掛けている【姫】だから、入学直後のような嘲りや、冷やかしの言葉は全くなく、むしろみんな腫れ物にさわるようにやさしかった。わたしにはかえってそれが、孤独に思えた。
考えるのはあの三人の事ばかり。
足立くんと千住くんのけがは治っただろうか。そして、八王子くんは――
人を殺しかねなかった八王子くん。あの凶悪な喧嘩の仕方。
身震いするほど恐ろしかったのに、間に入って止めずには居られなかった。
『ひめ、よかった』
血まみれの拳、抱きすくめる腕の強さ。それから、それから――。あのとき感じた沢山の気持ちの中で一番強かったのは、恐怖だ。
この人は、わたしのために人を殺してしまえるんじゃないだろうか?
そんな、わたしにしては思い上がった、感情だった。
※ ※ ※
八王子くんがAクラスに復帰してきたのは2週間後だった。久しぶりに見る彼の顔はいつも通り柔和で穏やかで、あのときの殺気をみじんも感じさせなかった。
「おはよう、八王子くん――」
「……おはよう、【姫】」
八王子くんはにこやかに挨拶をしたあと、ふいと視線をそらした。もうクラスメイトたちとの会話に入っていってる。わたしのことはどうでも良いかのような振る舞いに、ずきんと心臓が痛む。
「八王子くん、あの」
「【姫】。ごめんね」
穏やかに笑う瞳の奥にあの狂気が見えたような気がして、わたしは目を見開いた。彼はわたしの恐怖まで予期していたかのように唇の端を曲げて、
「ごめんね」
また寂しそうに笑った。
「八王子がよ」
おっきなおむすびを片手にCクラスから出張してきた足立くんが、わたしの前の席に座る。
「少し頭冷やしたいから? なんか昼の護衛を頼まれてくれってさ」
「……うん」
「ま、思うとこあるんだろ。問題は、いつまで続くかだけど」
千住くんはゼリー飲料をもう飲み干してしまっている。「あいつの面倒くささは折り紙付きだ」
「千住あいつの知り合いだったっけ?」
「見ればわかる」
向かいに座っておにぎりを頬張る足立くんと、机の角に寄りかかってゼリー飲料のパッケージをぶらぶらさせている千住くんと、
そして、食欲湧かないわたしが手つかずのお弁当をぼんやり眺めている。
「おひい、食べないの?」
「おいしそうなのにな。ありす、手作りだろ?」
「え、そうなんだ」
「そうだぞ。ありすは料理が得意なんだ」
二人がわいわい仲良くやりとりをする間で、わたしは箸を置いた。
「……食べる気がおきないな」
「もったいねえ」
「食べる? わたしの手作りだからそんなにおいしくないかもだけど」
「おいしいに決まってる!」
足立くんは口を開けた。
「食べないんならオレが食べる!」
「ずるい、俺もちょっと気になる」
「じゃあわけっこするか」
千住くんの顔が引きつった。
「わけっこって、ガキかよ」
「えー? わけっこって言わねえ?」
「絶対言わないよ。俺は――卵焼き一切れでいいや。ほかは足立にやって」
「いいの? 食べてもらっちゃって」
「捨てるよりましでしょ」
白くて無骨な指が卵焼きをつまむ。そして、整った唇が開き、白い歯がわたしの卵焼きを咀嚼した。
「ど、どうかな?」
「…………あまい」
千住くんはそれだけ言って黙った。おいしくなかったのかもしれない。
「じゃああとはオレがもらう! やった! ありすの手料理久々!」
「ひさびさ?」
わたしが首をかしげると、
「あっ……わり、今の冗談、冗談だから忘れてくれ」
足立くんは何か誤魔化すみたいに手を振って、わたしのお弁当箱を片手で持った。
手が大きいな。
「うひょーうめえ! ミニハンバーグ最高!」
「……ふふ」
わたしの代わりにおいしそうにお弁当を食べてくれる足立くんを見ていると、忘れそうになっていた「可笑しい」って気持ちが戻ってきたみたいだった。
「おひいは笑ってるのが一番」と千住くん。
「その点、この馬鹿は一番よく効く」
「うるせーぞ千住。馬鹿言うな。馬鹿になるから」
「馬鹿だよね?」
千住くんはめんどくさそうに髪を掻き上げた。
「次のテスト、俺らが赤点取ったら面倒だって、八王子が言ってた」
「あれ」からのことを、ちょっとだけ話そう。
三人の謹慎中、わたしはすごくさみしくて、心細かった。今まであれほど大仰だと思っていた護衛が三人ともぱったりと消えてしまったことが、わたしをひとりぼっちにさせた。
【姫】という肩書きは意外にも丈夫で、硬い鎧のようで、ヤンキーたちは誰一人手を出してこなかった。あの足立が、あの千住が、あの八王子が、手を掛けている【姫】だから、入学直後のような嘲りや、冷やかしの言葉は全くなく、むしろみんな腫れ物にさわるようにやさしかった。わたしにはかえってそれが、孤独に思えた。
考えるのはあの三人の事ばかり。
足立くんと千住くんのけがは治っただろうか。そして、八王子くんは――
人を殺しかねなかった八王子くん。あの凶悪な喧嘩の仕方。
身震いするほど恐ろしかったのに、間に入って止めずには居られなかった。
『ひめ、よかった』
血まみれの拳、抱きすくめる腕の強さ。それから、それから――。あのとき感じた沢山の気持ちの中で一番強かったのは、恐怖だ。
この人は、わたしのために人を殺してしまえるんじゃないだろうか?
そんな、わたしにしては思い上がった、感情だった。
※ ※ ※
八王子くんがAクラスに復帰してきたのは2週間後だった。久しぶりに見る彼の顔はいつも通り柔和で穏やかで、あのときの殺気をみじんも感じさせなかった。
「おはよう、八王子くん――」
「……おはよう、【姫】」
八王子くんはにこやかに挨拶をしたあと、ふいと視線をそらした。もうクラスメイトたちとの会話に入っていってる。わたしのことはどうでも良いかのような振る舞いに、ずきんと心臓が痛む。
「八王子くん、あの」
「【姫】。ごめんね」
穏やかに笑う瞳の奥にあの狂気が見えたような気がして、わたしは目を見開いた。彼はわたしの恐怖まで予期していたかのように唇の端を曲げて、
「ごめんね」
また寂しそうに笑った。
「八王子がよ」
おっきなおむすびを片手にCクラスから出張してきた足立くんが、わたしの前の席に座る。
「少し頭冷やしたいから? なんか昼の護衛を頼まれてくれってさ」
「……うん」
「ま、思うとこあるんだろ。問題は、いつまで続くかだけど」
千住くんはゼリー飲料をもう飲み干してしまっている。「あいつの面倒くささは折り紙付きだ」
「千住あいつの知り合いだったっけ?」
「見ればわかる」
向かいに座っておにぎりを頬張る足立くんと、机の角に寄りかかってゼリー飲料のパッケージをぶらぶらさせている千住くんと、
そして、食欲湧かないわたしが手つかずのお弁当をぼんやり眺めている。
「おひい、食べないの?」
「おいしそうなのにな。ありす、手作りだろ?」
「え、そうなんだ」
「そうだぞ。ありすは料理が得意なんだ」
二人がわいわい仲良くやりとりをする間で、わたしは箸を置いた。
「……食べる気がおきないな」
「もったいねえ」
「食べる? わたしの手作りだからそんなにおいしくないかもだけど」
「おいしいに決まってる!」
足立くんは口を開けた。
「食べないんならオレが食べる!」
「ずるい、俺もちょっと気になる」
「じゃあわけっこするか」
千住くんの顔が引きつった。
「わけっこって、ガキかよ」
「えー? わけっこって言わねえ?」
「絶対言わないよ。俺は――卵焼き一切れでいいや。ほかは足立にやって」
「いいの? 食べてもらっちゃって」
「捨てるよりましでしょ」
白くて無骨な指が卵焼きをつまむ。そして、整った唇が開き、白い歯がわたしの卵焼きを咀嚼した。
「ど、どうかな?」
「…………あまい」
千住くんはそれだけ言って黙った。おいしくなかったのかもしれない。
「じゃああとはオレがもらう! やった! ありすの手料理久々!」
「ひさびさ?」
わたしが首をかしげると、
「あっ……わり、今の冗談、冗談だから忘れてくれ」
足立くんは何か誤魔化すみたいに手を振って、わたしのお弁当箱を片手で持った。
手が大きいな。
「うひょーうめえ! ミニハンバーグ最高!」
「……ふふ」
わたしの代わりにおいしそうにお弁当を食べてくれる足立くんを見ていると、忘れそうになっていた「可笑しい」って気持ちが戻ってきたみたいだった。
「おひいは笑ってるのが一番」と千住くん。
「その点、この馬鹿は一番よく効く」
「うるせーぞ千住。馬鹿言うな。馬鹿になるから」
「馬鹿だよね?」
千住くんはめんどくさそうに髪を掻き上げた。
「次のテスト、俺らが赤点取ったら面倒だって、八王子が言ってた」