ヤンキー高校のアリス
※ ※ ※

雨の音と、冷たいキスで、思い出したことがある。
わたしのファーストキスは、もっとずっと前だったこと。

『キスっていうのはな、ありす』

 幼い声が言う。

『ケッコンするふたりがするもんなんだ。だから、おれとありす、ケッコンしよう』
『るいくんとわたし、ケッコンするの?』
『……ありす。おれとケッコンしてください』
『うん!』

 シロツメクサの指環。シロツメクサの花冠。
 二人っきりの結婚式。秘密のキス。

「……、るいくん」
「おひい?」

 一瞬で今に引き戻されたわたしは、つぶやきを千住くんに聞きとがめられて慌てた。
「あっ、わたしいま、なんか言ってた?」
「……ううん」

 雨の音がわたしたちの間に割って入ってくる。どこかへ逃げたい。その気持ちが本当なのは、千住くんの思いの丈を聞けばよく分かる事だった。
 ふたりで、どこかへ。

「おひい、すきなやつ、いるの」

「えっ……いや、その……」
 わたしは先ほどしたキスの冷たさを思い出した。唇に触れて、うつむく。

「すきなひとは、……いないよ」
「そうなんだ」

 不思議と燃えるようだった心臓は静かで、雨音の方がうるさくて、だから、わたしは少し、嘘をついた。

「まだ、いないよ」
「なら、俺にして」

 なめらかに、彼は言った。

「俺の人生には、おひいだけ居れば良い。おひいが俺の、生きる理由」

それは、あまりにまっすぐで、重たくて、
愛とか恋とかから長らく遠ざかっていたわたしを押しつぶすには、充分だった。

「……ごめん。考えさせて」

「いつまでも待つ。待ってる」

「うん、……ごめん」

 雨音がすごい。千住くんの肩が濡れ続けている。
「とりあえず、……どこか雨をしのげるところに行こうか」



 わたしは知らない。

 足立くんが静かにその場を去ったこと。

 八王子くんが一部始終を聞いていたこと。

 千住くんがそのどちらにも気づいていたこと。


 何も知らないのは、いつもわたしだけだ。


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