ヤンキー高校のアリス
※ ※ ※

「晴れててよかったね」

 屋上は立ち入り禁止になっていたはずなのに、気づいたら鍵が壊されていた。慣れた様子で鍵を外した八王子くんは、どうぞ、とばかりに手を延べる。わたしはそれにしたがって、おずおず屋上に足を踏み入れた。

「ここは僕の秘密の場所」

「鍵を壊したのは八王子くん?」

「まあ、そうかも。頻繁に鍵が付け替えられるから、そのたびピッキングしてる」

わあ。
「でも、ここを出入りしてるのは僕ばかりじゃないよ。先輩がたがやることやるために使ってたりね」

「やることやるって……」

「今日は先客がいないから、そんな醜いもの見なくて良さそうだ」

 屋上はからりと晴れた青空の下、コンクリートの床にちょっとした水たまりができている他は、特にこれといって特徴のない場所だった。

「座って、姫。ハンカチならあるよ」

 ご丁寧にハンカチを敷いてくれる八王子くん。わたしはお言葉に甘えて、座ることにする。
 正直、八王子くんのことを信じたい気持ちと、ちょっとこわいと思う気持ちとがない交ぜになったまま、ここまで来てしまった。

「さて。よっこいしょ」

 ごろん。
 八王子くんは、肩からかけていた学ランをぽいと放ってから、わたしの膝の上に頭を乗せた。
 無防備に。

「あいつらがやり合ってる間、僕は僕で姫を堪能するか」
「やり合ってるって……」
「喧嘩だよ」
「えっなんで?」

「男には譲れない闘いがあるのさ。言い合いで解決しないことは拳で解決するに限る。……それが【ヤンキー道】らしいよ? 僕にはわからないけど」
「【ヤンキー道】って、確か、足立くんの提唱している謎の……」
「そう。彼と勉強してる間、いろんな話を聞いたよ」

 八王子くんは目を細めた。

「いろんな」
「……たとえば?」
「彼の昔の話とか、いろいろね。興味深かったよ」
 
 笑んだ顔がわたしをじっと見つめてくるから、わたしも見つめ返す。
だんだん恥ずかしくなってくる。

「あの、……そんなに見ないで」
「やだよ。……今だけ姫は僕のものなんだから、好きにさせて」

 手が伸びてくる。前みたいに、唇をなぞられる。


「姫。やっぱり――僕が、こわい?」

「……こわい気持ちと、信じたい気持ちと、半々」

「そっか。君にとって僕がバケモノじゃないだけ、ましかな」

 彼の手は髪を撫でて、頬を撫でて、唇をなぞる。わたしの顔の形を確かめるみたいに。まるでそれが、幻かなにかだと思い込んでいるかのように。執拗に。

「姫はさ、僕のこと、ちょっとは良いなって思ってくれてる?」

「……それは」

「ないか」

 八王子くんは苦笑した。わたしは慌てて首を横に振る。

「ちがう、そういうことじゃないって! わたし、まだあの、……喧嘩の時の八王子くんと、今の八王子くんが、同一人物じゃないような気がしてて」

「そう?」

 八王子くんは前髪をざっと掻き上げた。そこに、額に、傷がついていた。

「暴れると手のつけられない猛獣だって言われる。ただ、本気なだけなのにね」
「ほん、き……」
「これは家の窓ガラスを額で突き破ったときの痕だよ」

 わたしはおずおず手を伸ばして、八王子くんの額に、その傷跡にふれた。

「僕は本気になると、人を傷つけることにためらいがなくなるみたいだ。どうでもよくなるというのかな。タガが外れてどうしようもなくなる。だから――」

 八王子くんは手を伸ばして、額に触れるわたしの手に自分の手を重ねた。

「本気になるつもりはなかったんだよ」

「……八王子くん」

「本気になったら僕はきっと……傷つける」

 手を強く握りしめられる。なのに、こんなに優しいのはなんでだろう。力強いのに――。

「八王子くんは、」

 わたしは言葉を選んだ。

「好きな人がいるの?」
「うん」

 つきん、と、心臓が痛んだ。

「好きになるつもりなんかなかった。とんだ世間知らずだと思ってた。顔は普通よりちょっと良いくらいかな。それなのに、たくましくってさ――」

「それは――」

「【姫】はみんなの【姫】だから」

 歌うように八王子くんは言った。

「そう言ったのは僕だったのにね。ねえ、姫」

 手が、八王子くんの心臓の上に導かれる。まるで心臓を握っているみたいに――彼の心臓はどくどくと鼓動を主張している。
ドキドキしているんだ。

「……なに?」
「僕を嫌ってくれる?」

 一瞬、何を言われているか分からなかった。

「なんて?」
「僕を嫌いになってくれる? 冷たくしてくれる?」
「そんな……なんで?」

 このシチュエーションで?

「そうじゃないと、僕は君を殺しちゃうかもしれない」

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