ヤンキー高校のアリス
わたしは言葉に詰まって、八王子くんの端正な顔を見下ろすしかない。
彼は自嘲気味に続けた。
「僕は君を傷つけたくない、殺したくない。だから――」
「わたしは、やだ」
心臓の鼓動が指先に伝わってくる。激しい鼓動。
「嫌いになんかなれない」
「僕の両親や兄や親族みたいに、きっぱり嫌ってくれたらいいのに」
わたしはそれを聞いて言葉に詰まってしまったけれど、なんとか言葉を絞り出した。
言わなきゃいけないと思ったから。
「だって、八王子くんのこと、わたし、信頼してるもの」
わたしは首を横に振る。
「一緒に居て、楽しいもの。足立くんと、千住くんと、八王子くんと、四人でいるのが……楽しいもの」
「……姫」
八王子くんのこんなに悲しい顔、初めて見た。
「それなのに、八王子くんの事だけ嫌いになるなんて……無理だよ」
「……冷たくしてくれるだけでいいんだよ?」
「できない」
わたしは八王子くんの頭をゆっくり撫でた。嫌だったらごめん、八王子くん。でも――わたしはさっきの言葉を思い出す。
『僕の両親や兄や親族みたいに、』
きっと八王子くんは家族に好かれていない。お義父さんから聞いた話のこともある。嫌われているというのも、嘘だとは思えない。
でも、八王子くんがだめな人間だとは思わない。中間テストの学年トップだって、並大抵のことじゃ獲れない。わたしよりずっとずっと努力して勝ち取ったものだ。
「ねえ、八王子くん。八王子くんは、ほんとうは」
ゆっくり、赤い髪を梳きながら、わたしは彼の目を見た。
「誰よりも頑張り屋さんなだけなんだよね」
根回し上手も、人の顔色を読むのも得意で。困ってると助けてくれて。見えないところでも、手を回してくれて。わたしがAクラスで滞りなく暮らすことができているのは、八王子くんのおかげだ。間違いなく。
「八王子くんは、わたしのために、ほんとに頑張ってくれたよね」
緑色の瞳に、涙の膜が張っていく。
「守ってくれてありがとう」
「あ」
小さなつぶやきとともに、涙が次々こぼれていく。熱い涙だった。
わたしは彼の涙を拭い続ける。涙を拭うためのハンカチがないから。
驚愕の表情のまま、八王子くんは泣き続けた。自分がなぜ泣いているのか分からないといった風だった。これって涙? とわたしへ問いかけてきそうなくらい。
「ひめ、」
「うん」
片腕を伸ばした八王子くんは、濡れた指先でわたしの頬を包んだ。
「もういっかい、撫でて……頭、」
「うん、……」
わたしは、八王子くんがねだるままに頭をなで続けた。彼の気が済むまで、ずっと。ずっと。
六月にしては珍しい晴れ間が、わたしたちを見守っていた。