ヤンキー高校のアリス
※ ※ ※

「有朱ー? お友達来てるよー?」
 お母さんがそう玄関から叫んできたのはなんと、朝の八時。前日は確かに千住くんと勉強の約束をしていたけれど、さすがに八時は図書館も開いてない。
「千住くん、早い……、……」
 言いかけた言葉が引っ込んでしまった。千住くんが口の端に絆創膏を貼っていたから。
「どうしたの、それ」
「あの女に殴られた」
 お母さんが背後から「このヤンキー誰よ」とか言い出さないのは、ひとえに「せんじゅくん」がこの前わたしを送り届けてくれたからだ。多分。さすがに、娘を負ぶって送り届けてくれた「せんじゅくん」を邪険にするお母さんではない。さすがにそこまではしないと思う。
 
「でもまあ、あいつ、俺の顔見ればいつもだし。気にしないで、おひい」
「……」
 あの女に該当する人を私は一人しか知らない。
 気にするよ。とは言えず。
 わたしは、視線を下に落した。千住くんは制服に比べて露出が高くラフな格好をしている。黒いタンクトップの上に薄手のパーカーを羽織り、ぶかぶかのズボンを穿いている。全体的に黒い。彼の頭を彩る金髪だけが、きらきらまぶしい。

「とりあえず、勉強の準備してくるね」
「ん。待ってる」

 と、自室に引っ込もうとしたわたしをお母さんがさっと捕まえた。

「ねえカレシ?」
「ちがうよ!!」

 告白はされたけど。キスもしたけど、その、返事待たせてるけど。でもわたし、わたしはそうじゃなくって。
 頭の中でいろんな言い訳がぐるぐるする中、お母さんはにやりと笑った。
「あの有朱が青春かぁ」
「違うってば!」
 わたしは事細かく経緯を説明した。千住くんにはしっかりと勉強を教えていること。千住くんは本来頭が良いこと。でも勉強のやる気が最近出てきたばかりで、まだまだなこと。その他諸々。
「本当にそれだけかな~」
「違うってば!」
 わたしは数学と英語の参考書と教科書、それからルーズリーフだけを雑に放り込んだトートバッグを肩に引っかけた。
「彼、かわいい顔してるものね。有朱はああいうイケメンが好みなの?」
 わたしは反射的に返していた。
「お母さん! 千住くんはね、顔より中身がイケメンなんだから!」
「……うふふ」
「だから違うって!」

 千住くんは玄関の外で待っていた。風に揺れる金髪に目を奪われる。

「千住くん、待たせてごめんね。お母さんが」
「……顔より中身がイケメン?」
 わたしはずっこけそうになった。それから、さっき勢いで口走ったあれこれが、頭の中でぐるぐる回り出した。顔がかあっと真っ赤になっていくのを感じる。わたしは思わず顔を覆った。
「聞かれてたの、恥ずかしいんだけど……」
「ねえ、――違うの?」
 
 千住くんはさらりと髪を耳の後ろにかけた。

「俺、おひいの恋人にはなれない?」
「……あ、あのね」
「俺はおひいの恋人になりたいけど、おひいは、そうじゃない?」
 静かな声だった。悲しんでいるとか落ち込んでいるとかそうしたマイナスの感情は一切見えなかった。
 わたしは、言葉を選ぶ。必死に選ぶ。
「……千住くんには、これから素敵な恋が待ってると思う」
「やっぱり、足立が好きなんだ?」

 わたしはびっくりして目を見開いた。

「八王子が言ってた。足立とおひいは運命的な再会だったんだって。おひいが、足立のことに気づいたら勝ち目ないよって言われた。……もう気づいたんだね」

八王子くんが?
なんで?

よほど顔に出てたのか、千住くんは笑って、「八王子は足立から聞いたんだって」と付け加えた。
「ほら、鬼の赤点回避勉強会。あのときに、根掘り葉掘り聞いたらしいよ、八王子。なんていうか、ハイエナみたいな嗅覚だよね。王子なんて柄じゃない」
「そ、そうなんだ」
「おひいは、さっきああ言ってくれたけど」
 千住くんはわたしのとなりに並ぶ。夏を象徴する入道雲が遠くから立ち上っている。
「俺の恋はこれが最初で最後」
「……千住くん」
「だから言わせて、おひい」

 冷たい手がわたしの手をつかむ。繋ぐ。

「好きです」

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