冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
 

「あわわわ、すみません!!!」

 廊下で転んだら、抱えていた資料を全部落としてしまった。ひええ、よりによって氷の副騎士団長と呼ばれるアルバート様に向かってばら撒くなんて。さあ、と血の気が引いていく。

「はあ、随分と派手に落としましたね。これでは一歩も歩けないのですが」

「ひっ、あの、今すぐ片付けますので……っ」

 呆れた声色と眼鏡をなおす仕草に心臓が縮こまった。冷ややかな眼差しに、慌てて散乱した用紙を拾い始める。とにかくアルバート様が通れる道ができればそれでいい。早く拾って帰ってもらおう。

「どうぞ」

「へっ?」

 ぬっと視界に現れた紙の束にまぬけな声が漏れた。驚いて顔をあげるとアルバート様と目が合った。

「要らないのですか?」

「い、要ります。拾っていただいて、ありがとうございます……」

 受け取った時にアルバート様と手が触れる。しまったと思った時には遅かった。


(驚かせてしまっただろうか? リリアン嬢の肩が震えて小動物みたいでかわいいですね。実家で飼っていたハムスターを思い出します。怯えさせないように遠くから見るだけで我慢していたのに、リリアン嬢から近づいてきたのですから仕方ありません。はあ、近くで見ると可愛さと癒しが融合しています。ああ、見上げる表情もかわいい。髪を耳にかけているのは珍しいですね。うむ、耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうですね……いや寧ろ齧りたい……)


「……っ、ひゃあ」


 ちょっと待って、アルバート様の心の声が思っていたものと違いすぎて、ちょっと待ってほしい。わたしは触った人の心の声が聞こえてしまう体質で、絶対呆れていると思って身構えていたのに。

 えええ、今、絶対アルバート様、耳舐めたいって齧りたいって言ったよね?! 絶対言った!!

(声もかわいい。リリアン嬢は小さいから、このままポケットにしまって連れて帰ってしまいたい……) 


「っ、あわわわ、あの、あ、ありがとうございました──っ!」


 脳が処理しきれなくなったわたしは、書類を奪うように受け取り、ものすごい速さで残りを集めて逃げるように自室に戻った。


 ◇◇◇


 結論──あれは幻聴だった。



 自室であれこれ考えたけど、無駄をとことん嫌い冷酷な判断をすると評判のアルバート様の心の声なわけない。たまたま幻聴が聞こえたのだろう。それに副団長のアルバート様に会う機会などそうそうないから、忘れてしまおうと思っていたのに──!



「ううう、どうしよう……やっぱり討伐隊の資格試験の秘伝必勝書が見つからない」


 せっかく先輩聖女さまからいただいたのに、失くしたなんて言えるわけない。騎士団の討伐隊に同行できるようになれば、資格手当で毎月いただくお金が増えて、実家に仕送りできる金額も増やせる。うちの貧乏子沢山子爵家には、腹ペコモンスター化してる弟と妹がいるから受ける気満々だったのに。

 秘伝必勝書を落とした廊下、自室も隅から隅まで探したのに見つからなくて、もうアルバート様が持っている可能性に賭けるしかなくなった。この前聞こえたアレは幻聴に決まっているし、そもそも触れなければ心の声なんて聞こえない。




 覚悟を決めて、騎士団棟を訪ねる。入り口にいた騎士様にアルバート様の執務室に案内してもらう。
 

「どうぞ」


 ノックするとアルバート様の許可する声が聞こえて、入室。

「なんの用だ?」

 書類に目を向けたまま低い声で尋ねられる。

「聖女のリリアンです。先日は落とした書類を拾ってくださりありがとうございました」

「……要件はそれだけですか?」

 眼鏡をくいっと直しながら顔を上げたアルバート様に射抜かれた。キラリと光ったような気がする眼鏡フレームに喉の奥が、ひゅ、と鳴って声が上擦る。

「あ、あの、書類の一部が見つからなくて、アルバート様がお持ちではないか確認に参りましたが、アルバートさまが持っているわけないですよね。勘違いしてたみたいなので失礼します。お仕事の邪魔をしてしまってすみません……」

 凍てつくような空気に耐えられなくて、ひと息に言い終わって背中を向けた。ドアノブに手を掛けようとしているのに手がぷるぷる震えてしまって上手く握れない。ようやくドアノブを掴んだと思った時、


「持っていますよ」


 反射的に振り返るとアルバート様の引き出しから秘伝必勝書が出てきた。隠密のようにサササッと近づいて「ありがとうございます」と言って受け取ろうと手を伸ばしたら、スッと秘伝必勝書が避けられた。なぜかアルバート様がパラパラとめくり始める。

「これを返却することはできません」

「えっ、なんで?」

 思いっきり素の声が漏れた。
 はあ、と大きなため息を吐いたアルバート様が眼鏡を外して目頭を押さえる。いやいや、ため息つきたいのはわたしですよ? あのですね、秘伝必勝書がないと合格できる気がしないんです。自慢じゃないけど勉強は苦手なので、今すぐ絶対に返してほしいんですけども?

「あ、アルバート様、わたし、それがないと困るんです。だから、返してください」

「駄目です。この資料、バカなくらい間違っています」

「…………へ?」

 赤くチェックされた秘伝必勝書をひらひらさせながら向けられて、ぽかんとした。えっ、バカなくらい間違ってるの? えっ、待って、アルバート様、今バカって言った?!

「情報が古すぎます」

「そ、そうなんですか?」
 
 騎士団討伐隊の資格試験まであと一ヶ月しかないのに、絶望的な状況にうなだれる。はあああ、ごめん、お姉ちゃん仕送り額を増やせそうにないよ。ごめんよ、腹ペコモンスターズ。また来年挑戦してみるからね。


「教えてさしあげますよ」

「え?」

 今、アルバート様の口から都合のいい言葉を聞いた気がする。いやいや、副団長で多忙で効率魔で冷酷と噂のアルバート様がそんなこと言うわけないよね。うんうん、よしっ、とりあえず帰って寝よう。

「リリアン嬢、考えていることが全部口に出ています」

 びっくりして慌てて口を両手で押さえた。

「騎士団に帯同する聖女の質が落ちては困りますから。特別に教えてさしあげますよ、リリアン嬢」

「えっ、あっ、でも、あの、アルバート様は忙しいのでは? えっと、試験まで一ヶ月しかありませんし、また来年でも、いいかなって思わなくもないんですけど……?」

「今は丁度暇ですし、来年受けるなら今年受けたらいいでしょう。それとも私が指導役では不満だと言いたいのでしょうか?」

 首をぶんぶん左右に動かして、腕も高速で振る。

「不満なんて、とんでもないです! アルバート様から教わるなんて畏れ多すぎるだけです!」

「それでは、神官長には伝えておきましょう」

 眼鏡のフレームを人差し指で上げながらと告げられた。えっ、あれ、今ので教わることが決まっちゃったの? んん、あれれ、待って、アルバート様ってクールな見た目なだけで、実はいい人なんじゃないの?!

 わたしはアルバート様にお礼を言いながら、ぺこりと頭を下げた。


 ◇◇◇
 

 ぷすぷすぷす──…



「休憩にしましょう」



 アルバート様の執務室で勉強を教えてもらうようになって一週間。
 魔物の種類や特性、それに掛けるべき支援魔法や浄化魔法を容赦なく叩き込まれる。だけど、わたしの限界になりそうなタイミングで休憩を取ってくれて。

「カボチャプリン食べますか?」

「っ、食べます!」

 疲れたときに甘い物を取ると効率が上がるからと、いつもおやつを用意してくれている。アルバート様は噂と違って、すごくいい人だし、問題が解けるとフッと笑ったり褒めてくれるのだけど。

 ただ、困っていることがあって──


「おいしい〜〜〜」


 濃厚なカボチャのざらりとした舌触り。添えられた生クリームと混ざりあい、下に控えていたほろ苦カラメルソースとベストマッチ。いや、最高のマリアージュに口の中がしあわせいっぱい。

 んん〜美味しくて甘くて、疲れた頭がふわああと蕩けていく。


「リリアン嬢、付いてます」


 スッと伸びてきたアルバート様の指先が唇の端を拭う。しまったと思ったときには、

(今日もかわいいですね。小さな口でカボチャプリンを頬張る姿もハムスターすぎて癒される。このまま執務室から出れなくしてしまいたい……)

「ひゃあ……っ!」

 アルバート様の心の声にドキドキして、肩が跳ねる。気をつけて食べているのに、毎回おやつを口のまわりに付けてしまってアルバート様に触れられてしまう。ううう、今日こそは触られないように気をつけていたのに、ばかばかわたし。

 どうしよう、この一週間、毎日触られる度にかわいいって言われてアルバート様を意識しないなんて、そんなの無理〜〜〜〜っ!


 ◇◇◇


 アルバート様との勉強会は続いて、試験まで残り三日。
 一般的な魔物のスライムや一本角の生えたウサギは終わり、存在が伝説みたいなドラゴンやケルベロスにまで及ぶ。騎士団討伐隊の資格の難しさに頭が()だる頻度が増えていた。


 ぷしゅう──…


「休憩にしましょう」

「……はい」


 新しい知識でパンパンに飽和した頭は、瞬きひとつで溢れそう。無言のまま執務室のソファに移動した。おやつなんて食べる気がしないのに、テーブルに置かれたクッキーがわたしを誘う。

 あああ〜糖分が疲れた頭に沁み渡る。


「リリアン嬢、付いてます」


 アルバート様の親指と人差し指で頬を優しくつままれた。

(今日もかわいいですね。問題が難しくて眉を寄せてる姿も愛おしかった。両手でクッキーを持つ姿は癒されハムスターだし、頬もやわらかくてずっと触っていたい。ああ、気合いを入れておでこを出しているのも可愛いですが、誰にも見せたくないので執務室から出れなくしても許されますよね……リリたん?)

「ひゃああ……っ!」

 突然のリリたん呼びに、身体がびくんと飛び跳ねる。毎日おやつと一緒にアルバート様の甘い心の声を聞いているので、もう触れられるのは慣れていたというか、ちょっと期待してしまっていた。ちょっとだけだけどね! でも、えっ、リリたん?! えっ、待って、それだとアルバート様は──

 
「アルたん?」


 はわわわ、しまった〜〜〜〜っ!
 どうしよう、アルバート様のリリたんにびっくりして声に出しちゃった。ど、どうしよう、心の声が聞こえるなんて知られたら気持ち悪く思われるってわかってるのに、ばかばかばか。


(まさか。もしかして、リリたんに心の声が聞こえている?)


 どうしよう、どうしよう。誤魔化さなきゃだめだって思うのに、毎日聞いていた甘い声と言葉が、わたしのすべてを受け入れてくれるかもしれないと期待してしまう。

 
「…………は、はい。触っているときだけ、聞こえます」




 アルバート様の指が頬から離れた。



 
 沈黙が重たくて、眼鏡を外す音に反応して視線を動かす。眉間をほぐすような仕草をしたアルバート様が大きなため息を吐く。その態度にすべてを悟る。
 この力を疑った人から散々気持ち悪いって思われてきた。今さらアルバート様ひとりが増えたからといって大して変わるわけない。そう思うのに──


「泣かないでください」


 涙がぽろぽろ溢れて頬を伝う。アルバート様の指が伸びてきて、わたしに触れる寸前でピタッ止まった。ああ、やっぱりもうだめなんだ……


「っ、……気持ち悪いですよね。ごめんなさい。できるだけ触れないように気をつけてるんです……っ、もうアルバート様に近づきませんから、今までありがとうございました……っ!」


 アルバート様の指を避けるように執務室を出た。自室のベッドに潜り込んでからも、もうアルバート様に触れてもらえないと思うだけで、涙がバカみたいに流れた。


 聖女の仕事をこなし、残りの時間をぐずぐず泣いて過ごす。気付いたら騎士団討伐隊の資格試験当日になっていた。



 ◇◇◇



 解けるわけないって思ってたのに──!


 テストを書き終えたわたしは、アルバート様の執務室に駆け出した。こんな、こんなことってありえない!
 アルバート様に文句の一つや二つや三つでも言ってやらないと気が済まなくて、気配消しの魔法を使って執務室の扉の前で待ち伏せする。


 すぐに扉が開いて、アルバート様が出てきた。まだだ、まだ逃げられてしまう。息を殺して、近づいて、扉が閉まるのを確認、よしっ、今だ!



「アルバート様っっ!!」


 ドンッとアルバート様に触れないように、壁ドンを決めた。眼鏡の奥に見えるアルバート様の青い瞳が見開いている。まあ、近づかないと言ったのに近づいてちょっとは悪いとは思うけど、でも、これはアルバート様のせいなんだから!


「アルバート様、どういうことですか?」

「何がでしょうか?」

「とぼけないでください! 試験の問題、アルバート様に最初に習ったスライムと一角ウサギの初級魔物しか出てこなかったじゃないですか! あんなに勉強したのに、ドラゴンのドの字も出てこなかった〜〜〜っ!」


 あんなに頭が沸騰するくらい勉強したのに、初級魔物しか出てこなかったなんて信じられない! そりゃあ余裕の余裕の綽綽(しゃくしゃく)だったけど、回答しながら段々腹が立ってしかたなくなってきた。

 だんまりのアルバート様を睨みつける。


「も〜〜〜っ! なにかひと言くらいあってもいいじゃないですか! そりゃあ、アルバート様はわたしのことなんて嫌いになっちゃったんでしょうけど!! わたしは、あんな心の声をずっと聞かされて、好きになっちゃったのに!!!」

「…………ふっ」


 あああ、鼻で笑った! 信じられない、あんな甘い心の声でわたしに話してたくせに! ああ、もう、泣きたくないのに涙がせり上がってくる。これ以上、アルバート様を想って泣きたくなんてない──



「本当、バカですね。教えてさしあげますよ」



 アルバート様の親指の腹が目尻を拭う。


(ああ、私のことを想い泣いているリリたんの涙の甘そうなこと。いっそ涙と一緒に美しい瞳も舐めてしまいたい。試験範囲より多く教えたのは、リリたんに何かあったら嫌だからです。リリたんに秘密を告白されたときに触れなかったのは、リリたんの能力を利用しようとする者が現れる想定と抹殺法を想像してしまったからなのに……私がリリたんを嫌うなんて有り得ないでしょう?)

「えっ、わたし、嫌われたんじゃないの……?」

(リリたんを嫌いになるなんて絶対ありえません。もう、今だって私に壁ドンしようと精一杯背伸びしているリリたんに尊いが止まらないのに。震えている脚を目に焼き付けながら、マッサージしてあげたい。はあああ、リリたんの匂いを嗅いでいるだけで会えなかった時間の辛さが消えていきます……リリたん、好きです。愛しています)

「ひ、ひゃあ……っ!」

 アルバート様の端正な顔が近づいて、耳朶に唇が触れた。

「好きにさせてしまった責任は、一生をかけて取りますから」

(リリたん、好きです。愛してます。好きです。かわいい。かわいいです。今すぐに結婚しましょう)


「まま、待って、そんないきなり、順番とかあるので今すぐは無理です…………わたし、それに、」


「──それに?」



「わたし、アルバート様に好きって言われてません!」


(好きです、好きです。リリたん、愛しています。かわいい、かわいい……好きです)

「もうっ、心の声じゃなくて、ちゃんと言ってほしいんです……」

(はあ〜〜〜かわいすぎます。天使すぎます、リリたん。好きです。愛しています。ああ、怒って頬を膨らませている顔もかわいいです)


「アルバート様、揶揄わないでくださいっ!!」


 アルバート様が眼鏡をスッと直すと、まっすぐに見つめられる。クールな青い瞳から熱っぽさが揺らめいていて、胸がドキドキの最高潮。


「リリアン嬢、好きです。愛しています。私と結婚してください」

「〜〜はいっ!」


 



 それから結婚するまで、わたしが騎士団の討伐隊に加わることはなくて。あっという間に初夜を迎え、わたしが出れなくなったのは、執務室じゃなくて夫婦の寝室だった。




(リリたん、好きです。愛しています)







 おしまい
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