風のまにまに ~小国の姫は専属近衛にお熱です~
行き違い
(おかしい。どういうことなんだ?)
暗い廊下を進みながら、デュラはもう一度頭から今回の縁談話を思い返してみた。
ジーアは、グランティーヌが縁談話を立ち聞きしていたことを知っている。いや、わざと聞かせていた節さえある。カナチスに足を向けさせるための策略だった。双子たちに会わせて、どうするつもりだったのか? そもそもこの縁談自体が、ジーアにとって何のメリットが?
「……わからん」
不自然な点が多すぎて、全くわからなかった。明日になればこの地を出発し、フラテスへ帰る。それでいいのだろうか?
カチャ、
近くで扉が開いた。ふと、目をやると寝巻き姿の女性が一人、ふらりと部屋から出てきた。そしてデュラの姿を見るや、おいでおいでをし始めたのだ。
「私ですか?」
思わず聞き返す、デュラ。女性がこくりと頷く。が、時間も時間である。女性の部屋に入り込むのは常識外れだ。デュラはとりあえずその女性に近づき、訊ねた。
「どうかなさいましたか?」
女性は何も言わず、ただ黙って妖艶な笑みを浮かべている。そしてデュラの手を取ると、強引に中へ入れようとするのだ。
「え? ちょっと、」
(もしかして誘われてるのか? 俺は)
抗いながら、ぼんやりとそんなことを考える。さすがに力で振りほどくことも出来ず、デュラは丁重にお断りすることにした。
「申し訳ありませんが、手をお放しください。お邪魔するわけには参りませんから」
が、女性はひるむことなくデュラの腕を引き、中へ連れ込もうとする。
……困った。
「あの、」
「入ってください。お話があるのです」
高く、澄んだ声。男なら、ここで入らずにいられるものかっ、という場面ではあるのだが、デュラはあくまでも首を振る。
「駄目ですよ。どうぞお休みください。お話なら明日伺いますから」
子供をあやすかのように優しく、言う。と、女性が突然胸を抑えてその場に座り込んでしまった。
「えっ? あの、大丈夫ですかっ?」
慌てる、デュラ。女性は部屋の方を指差し、小さな声で「薬を、」とだけ言った。
デュラは暗い室内に入り、彼女が指差したベッド近くのテーブルを見遣った。水差しと、その隣には確かに薬が置いてある。
「これですかっ? うわっ」
薬を手に取り振り向いたのだ。そこにはさっきの女性の顔があった。それも、すぐ目の前に、だ。
(騙された!)
デュラは大きくため息をつくと、手にした薬を女性に突き出し、言った。
「悪ふざけはおやめください。心配したじゃないですかっ」
「優しいのね」
女性はデュラの手を取り、頬擦りをした。
「だーっ、もぅっ。駄目ですって」
慌てて手を引き、踵を返す。
「失礼しましたっ」
「待って!」
「待ちませんっ」
「あなたの大切なグランティーヌがどうなってもいいのねっ?」
ピク、
デュラの動きが止まる。
「何ですって?」
「グランティーヌは私が預かってます。彼女の居場所を知りたくはないの?」
一瞬「まさか」と思い、だがすぐに思い直す。あの、グランティーヌがそう簡単に捕まるわけがない。
「あなたは誰です?」
「私? 私はエリーナ・ザムエ」
(……ほぇ?)
思わず体から力が抜けてゆくデュラ。どうしてカナチス王女がグランティーヌを?
「何でグランティーヌ様を? 私をどうしたいのです?」
「一晩、私と共に過ごしてください」
「は?」
一体どういう意味なのだろう? つまり、その、そういう意味なのか?
「あの、それは…、」
しどろもどろになるデュラに、エリーナが凭れ掛かる。
「どういうことか、わかるでしょう?」
(わからんっ)
デュラは少しずつ後ずさりしながら、エリーナから離れようとした。と、突然エリーナが全体重を掛けデュラを押し倒す。
「わわっ」
幸いにも後ろにはベッドがあった。頭を打たずに済んだのはいいが、まるっきり押し倒された状態であり、格好いいものではない。しかもエリーナの顔がものっすごく近くにあるのだ。熱い、吐息。
「言うことをおききなさい」
「ちょっ、すみません、あのっ」
慌てるデュラ。……と。
「ええいっ、やめい、やめーい!」
部屋のどこからか、声。
「グランティーヌ様?」
バン! とタンスが開き、中からグランティーヌが飛び出してくる。
「なんとみっともない! エリーナ殿、早くそこをどきなさい!」
鬼の形相だ。怒っている。しかも相当。
「…どう……して…?」
「睡眠薬入りの飲み物で眠らせてる間に紐でくくっておいたのに、か? 馬鹿者。わらわには睡眠薬など効かぬ。それに縄抜けは得意じゃ。それよりエリーナ殿。一体どういうことなのか説明願うぞ!」
「……くっ」
エリーナは唇を噛み締め、グランティーヌを睨みつけた。そして素早く枕の下に手を伸ばすと、グランティーヌに向かってナイフを振りかざした。
「危ないっ!」
デュラが飛び起き、エリーナに掴みかかる。
「デュラ!」
ポタリ、鮮血が流れ落ちる。デュラがナイフの切っ先を握っていた。その、切れた掌から血が滴り落ち、みるみる床に赤い水溜りが広がる。
「デュラ! デュラっ!」
少しも慌てることなく、デュラはゆっくりエリーナの手からナイフを取り上げた。エリーナは放心状態で、その場に座り込んでいる。デュラはシーツを一枚剥がすと、ビリビリ破き、切れたところを止血した。
「うわぁぁぁぁん」
グランティーヌは大声を張り上げてデュラに抱きつき、泣いた。さすがにデュラも驚いた。こんな風に泣くグランティーヌを見たことがなかったからだ。
「姫、大丈夫ですよ」
目線を合わせ、何とかなだめようとするのだが、一向に泣き止む様子はなかった。
「デュラ、デュラ!」
しがみついて来るグランティーヌの背中をそっと抱きしめる。血が、付かないよう気をつけながら。
「大丈夫です。ちゃんと止血しましたから。もう泣かないでください」
「……ほん…とうか?」
しゃくりあげながら、グランティーヌ。
「当然です。私に何かあったら、誰が姫をお守りするのです?」
「……デュラ、」
グランティーヌが顔を赤らめ、嬉しそうに微笑んだ。そして目を閉じ、顔を近づける。
(……え?)
この光景は、つまり、アレをせがまれている? デュラは一瞬躊躇ったが、なんとなくその場のノリというやつでつい、フラフラっと自分も瞳を閉じる。
成り行き、というやつだ。
魔が差す、というやつだ。
きっと、それだ。
暗い廊下を進みながら、デュラはもう一度頭から今回の縁談話を思い返してみた。
ジーアは、グランティーヌが縁談話を立ち聞きしていたことを知っている。いや、わざと聞かせていた節さえある。カナチスに足を向けさせるための策略だった。双子たちに会わせて、どうするつもりだったのか? そもそもこの縁談自体が、ジーアにとって何のメリットが?
「……わからん」
不自然な点が多すぎて、全くわからなかった。明日になればこの地を出発し、フラテスへ帰る。それでいいのだろうか?
カチャ、
近くで扉が開いた。ふと、目をやると寝巻き姿の女性が一人、ふらりと部屋から出てきた。そしてデュラの姿を見るや、おいでおいでをし始めたのだ。
「私ですか?」
思わず聞き返す、デュラ。女性がこくりと頷く。が、時間も時間である。女性の部屋に入り込むのは常識外れだ。デュラはとりあえずその女性に近づき、訊ねた。
「どうかなさいましたか?」
女性は何も言わず、ただ黙って妖艶な笑みを浮かべている。そしてデュラの手を取ると、強引に中へ入れようとするのだ。
「え? ちょっと、」
(もしかして誘われてるのか? 俺は)
抗いながら、ぼんやりとそんなことを考える。さすがに力で振りほどくことも出来ず、デュラは丁重にお断りすることにした。
「申し訳ありませんが、手をお放しください。お邪魔するわけには参りませんから」
が、女性はひるむことなくデュラの腕を引き、中へ連れ込もうとする。
……困った。
「あの、」
「入ってください。お話があるのです」
高く、澄んだ声。男なら、ここで入らずにいられるものかっ、という場面ではあるのだが、デュラはあくまでも首を振る。
「駄目ですよ。どうぞお休みください。お話なら明日伺いますから」
子供をあやすかのように優しく、言う。と、女性が突然胸を抑えてその場に座り込んでしまった。
「えっ? あの、大丈夫ですかっ?」
慌てる、デュラ。女性は部屋の方を指差し、小さな声で「薬を、」とだけ言った。
デュラは暗い室内に入り、彼女が指差したベッド近くのテーブルを見遣った。水差しと、その隣には確かに薬が置いてある。
「これですかっ? うわっ」
薬を手に取り振り向いたのだ。そこにはさっきの女性の顔があった。それも、すぐ目の前に、だ。
(騙された!)
デュラは大きくため息をつくと、手にした薬を女性に突き出し、言った。
「悪ふざけはおやめください。心配したじゃないですかっ」
「優しいのね」
女性はデュラの手を取り、頬擦りをした。
「だーっ、もぅっ。駄目ですって」
慌てて手を引き、踵を返す。
「失礼しましたっ」
「待って!」
「待ちませんっ」
「あなたの大切なグランティーヌがどうなってもいいのねっ?」
ピク、
デュラの動きが止まる。
「何ですって?」
「グランティーヌは私が預かってます。彼女の居場所を知りたくはないの?」
一瞬「まさか」と思い、だがすぐに思い直す。あの、グランティーヌがそう簡単に捕まるわけがない。
「あなたは誰です?」
「私? 私はエリーナ・ザムエ」
(……ほぇ?)
思わず体から力が抜けてゆくデュラ。どうしてカナチス王女がグランティーヌを?
「何でグランティーヌ様を? 私をどうしたいのです?」
「一晩、私と共に過ごしてください」
「は?」
一体どういう意味なのだろう? つまり、その、そういう意味なのか?
「あの、それは…、」
しどろもどろになるデュラに、エリーナが凭れ掛かる。
「どういうことか、わかるでしょう?」
(わからんっ)
デュラは少しずつ後ずさりしながら、エリーナから離れようとした。と、突然エリーナが全体重を掛けデュラを押し倒す。
「わわっ」
幸いにも後ろにはベッドがあった。頭を打たずに済んだのはいいが、まるっきり押し倒された状態であり、格好いいものではない。しかもエリーナの顔がものっすごく近くにあるのだ。熱い、吐息。
「言うことをおききなさい」
「ちょっ、すみません、あのっ」
慌てるデュラ。……と。
「ええいっ、やめい、やめーい!」
部屋のどこからか、声。
「グランティーヌ様?」
バン! とタンスが開き、中からグランティーヌが飛び出してくる。
「なんとみっともない! エリーナ殿、早くそこをどきなさい!」
鬼の形相だ。怒っている。しかも相当。
「…どう……して…?」
「睡眠薬入りの飲み物で眠らせてる間に紐でくくっておいたのに、か? 馬鹿者。わらわには睡眠薬など効かぬ。それに縄抜けは得意じゃ。それよりエリーナ殿。一体どういうことなのか説明願うぞ!」
「……くっ」
エリーナは唇を噛み締め、グランティーヌを睨みつけた。そして素早く枕の下に手を伸ばすと、グランティーヌに向かってナイフを振りかざした。
「危ないっ!」
デュラが飛び起き、エリーナに掴みかかる。
「デュラ!」
ポタリ、鮮血が流れ落ちる。デュラがナイフの切っ先を握っていた。その、切れた掌から血が滴り落ち、みるみる床に赤い水溜りが広がる。
「デュラ! デュラっ!」
少しも慌てることなく、デュラはゆっくりエリーナの手からナイフを取り上げた。エリーナは放心状態で、その場に座り込んでいる。デュラはシーツを一枚剥がすと、ビリビリ破き、切れたところを止血した。
「うわぁぁぁぁん」
グランティーヌは大声を張り上げてデュラに抱きつき、泣いた。さすがにデュラも驚いた。こんな風に泣くグランティーヌを見たことがなかったからだ。
「姫、大丈夫ですよ」
目線を合わせ、何とかなだめようとするのだが、一向に泣き止む様子はなかった。
「デュラ、デュラ!」
しがみついて来るグランティーヌの背中をそっと抱きしめる。血が、付かないよう気をつけながら。
「大丈夫です。ちゃんと止血しましたから。もう泣かないでください」
「……ほん…とうか?」
しゃくりあげながら、グランティーヌ。
「当然です。私に何かあったら、誰が姫をお守りするのです?」
「……デュラ、」
グランティーヌが顔を赤らめ、嬉しそうに微笑んだ。そして目を閉じ、顔を近づける。
(……え?)
この光景は、つまり、アレをせがまれている? デュラは一瞬躊躇ったが、なんとなくその場のノリというやつでつい、フラフラっと自分も瞳を閉じる。
成り行き、というやつだ。
魔が差す、というやつだ。
きっと、それだ。