甘苦とコンプレックス・ラブ

#5 忍び寄るのは

#5 忍び寄るのは
○週明けの朝、大教室
 まな、長机が教壇に向かって階段式に設置された大教室の後方に座っている。背後から悟に話しかけられる。
悟「まなちゃん、隣いい?」
まな「悟くん、おはよう」
悟「おはよ。今日はあの子と一緒じゃないんだね。いつも一緒にいる」
 悟、まなのすぐ隣の席に腰を下ろす。
まな「さゆ?」
悟「そうそう。あの子も可愛いよね。俺はまなちゃんのほうが好みだけど」
 悟のストレートな物言いに、まながどきっとする。
まな「悟くん、お世辞上手だよね。口がうまいっていうか」
まな(可愛いなんて、凛太郎は一度も言ってくれたことがない。あの日キスしたのが、まるで夢みたいだ)
悟「お世辞じゃないよ。どうして凛太郎と付き合ってるんだろうなって思ってる」
 まな、思わず悟の方を向く。悟、真剣な表情を一瞬見せて、すぐ笑顔に戻る。
悟「まなちゃんにお願いがあるんだ。凛太郎には内緒にしといてほしいんだけど」
まな「お願い?」
悟「俺ね、先週のライブのおかげでまたバンドが増えちゃって。次のライブでどの曲やろうか迷ってるの」
 悟、リュックからワイヤレスイヤホンを取り出す。
悟「このバンドなんだけど、ちょっと聴いてみてくれる?」
 まな、戸惑いながらイヤホンを受け取る。耳につけると、知らない音楽が流れてくる。
 悟の好きなスリーピースバンドの曲。伸びやかなハイトーンボイスに夢中になっていると、悟に優しく肩を叩かれる。
悟「俺、この曲は絶対にやりたいんだよね。歌えると思う?」
まな「うん」
悟「まなちゃんって、俺の歌声、嫌いじゃないでしょ」
まな「嫌いじゃないっていうか……歌、すごく上手いよね」
悟「素直に言えばいいのに。ライブのとき、俺のことめちゃくちゃ見つめてなかった?」
まな「そう、かな」
悟「まあいいや。単刀直入に言うね。曲を選ぶの、手伝ってほしいんだ」
まな「わたしに?」
悟「うん。音楽とかバンドをあまり知らない人の意見を聞いてみたくて」
 教室に教授が入ってきて、悟が悪戯っぽい顔をして声を潜める。
悟「練習が入ってないときに部室に呼ぶから、LINE教えてもらっていい?」
まな「えっ」
悟「凛太郎には内緒にしとくから。ね?」
 悟、「お願い」と拝むようなポーズ。まなは迷うが、悟がQRコードを表示した画面を見せてくる。まな、迷いながらも読み取る。まなのスマホの画面に、悟のアカウントが表示される。
悟「スタンプかなんか送ってみて」
まな「う、うん」
 まな、戸惑いながらスタンプを送信する。
悟「そういえば、凛太郎もバンド、増えたみたいだよ。正式に留依さんと組むんだって」
 まな、不安そうな表情を浮かべる。スマホをぎゅっと握りしめる。

○木曜日の3講目、軽音楽部の部室前
 まな、部室前でスマホを握りしめて迷っている。悟からのLINEを読み返している。「木曜の3講って授業入ってる?ちょうど部室が空いてるんだけど」。
まな(結局、凛太郎に言えなかった。悪いことしてるわけじゃないのに)
まな(でも、いちいち気にしたりしないよね。わたしのことをどう思ってるかもわからないままだし)
 部室のドアが開いて、悟が出てくる。
悟「ごめんねー、わざわざ。汚いけど、入って入って」
 まな、部室に入る。

○部室内
 10 畳ほどの広さの室内に、本棚や機材が置いてある。雑然とした雰囲気。
 悟、アコースティックギターを抱えて、カーペットが引かれた床の上であぐらをかいている。まなは少し離れたところに正座する。
まな「今日は赤いギターじゃないんだね」
悟「うん。ちょっと歌いながら曲決めできたらいいなって思って、アコギにしたんだ」
 悟、スマホとイヤホンを取り出してまなに渡す。
悟「俺の中で有力候補なのは、これとこれと……」
 プレイリストをスクロールしようとした悟と手が触れて、まなが慌てて引っ込める。スマホが床に落ちる。
悟「可愛い反応するなぁ。見た目とのギャップ、すごいよね。まなちゃん」
 悟がまなの手首をぐっと掴んで、なにかを含んだような表情で言う。まな、怖くなって悟を見つめる。
悟「そんな顔しないでよ。なにもしないって」
悟「ここから5曲くらい選んでもらってもいい? 俺は本棚のスコア整理してるから」
 悟が立ち上がって、ドア近くの本棚に近づいていく。まな、ドキドキしながらイヤホンを装着する。
まな(わたし、やっぱりこのバンド、好きかも。ポップでキラキラしてて、聴いているだけで楽しくて)
まな(この曲を悟くんが歌ったら、どんな感じになるんだろう)
 まな、夢中で曲を聴き続ける。そんなまなの様子を悟が見ている。
 30分ほど経ち、まながイヤホンを外す。
悟「めちゃくちゃ楽しそうに聴いてたね。そんなに幸せそうな顔してるまなちゃん、初めて見た」
 悟がまなのすぐ隣に座り込んで、まなの顔をじっと見つめる。
悟「5曲、無事に決まった?」
まな「あ、うん……」
悟「凛太郎といるときは、あまり笑ってないよね」
まな「えっ」
悟「一緒にいて楽しい? いつも、凛太郎の少し後ろを歩いてるよね」
まな「そ、んなこと……」
悟「そうだよ。だって俺、何回も見てるもん。二人で一緒にいるところ」
 悟がじりじりと迫るように、まなに近づいてくる。まな、後ずさろうとして尻餅をつく。
悟「あとさ、そんなに化粧濃くする必要ないよね。まなちゃん、元が悪いわけじゃないでしょ」
 悟がまなの髪の先にそっと指を絡ませてくる。
悟「髪も、服も──それ、凛太郎に合わせてるの?」
まな「だから、そんなこと……」
悟「無理してるよね。凛太郎と一緒にいて、楽しい?」
 まな、さらに後ずさりして、埃を被ったアンプに背中が当たる。
まな「どうして悟くんに、そんなこと言われなきゃなんないの」
悟「うん、そうだよね。でも俺、思ったことは全部言わないと気が済まなくて」
 まな、悟の言葉と雰囲気に圧倒されて目元が潤んでくる。
まな(どうしよう。逃げ場がない。このままじゃ……)
悟「あれ、泣くの? 可愛いなぁ。気が強そうなのに、これくらいで泣いちゃうなんて」
 悟がまなの頬に手を伸ばした瞬間、部室のドアノブが回る音がする。ドアが開いて、凛太郎が立っている。
凛太郎「……おまえら、なにやってんだよ」
悟「あ、凛太郎。3講終わったの? 早かったね」
 悟、まなからパッと離れて、床に放置されたままのスマホとイヤホンを拾い上げて立ち上がる。
悟「まなちゃん、ありがとね。選んだ曲、あとでLINEしといて」
凛太郎「おい、どうしてまなが部室にいるんだよ」
悟「新しいバンドの曲、一緒に選んでもらってたんだよ」
凛太郎「だから、どうしてまなとそんなことしてんだよ」
 凛太郎、その場にへたり込んだままのまなを睨みつけ、大股で近づいてくる。まなの腕をぐっと引っ張る。
凛太郎「行くぞ」
悟「そんなに怒らないでよ。まなちゃんはなにも悪くないよ」
凛太郎「うるせえな、おまえに関係ないだろ」
 まな、ふらふらと立ち上がって凛太郎についていく。ドアのところで、留依とすれ違う。
留依「あれ? 凛太郎、4講は練習だよ?」
凛太郎「すいません、今日は休みます」
 凛太郎、留依の顔も見ずに言い放つ。まなの腕を掴んだまま歩いていく。

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