問題:同僚准教授が偽装結婚を迫ってきた場合、受けるべきか否か。ただし、准教授は変人で学内ストーカーであるが御曹司とする。

一章 認知的不協和理論


(1)認知的不協和の解消


 木造アパートというのはよく燃える。
 防火だの耐火だのと建築基準法をクリアした建材を使っていようが、古来より野生動物が恐れ、浄化の力を持つとされる火は、恋と同じで一度燃えてしまえば消防士でさえ止めることは困難で、もうもうと黒煙をあげ、鼻につく異臭を撒き散らしながら何もかもを燃やし尽くす。
 視界がじわりとにじむのは、きっと煙が目に染みるせいだ。

 東北のド田舎から大学進学のために上京して以来、十四年弱世話になった安アパートが火災に遭った。

 出火元は私の階下の部屋だったそうだ。連絡を受け帰宅したときには、すでに何台もの消防車が駆け付け決死の消火作業を行っている最中で、私──三池(みいけ)さくらは、野次馬と共に、離れた場所から真夏の夜空に赤々と燃え上がるアパートを眺めた。
 我が母校であり現在の職場でもある帝信大学からほど近く、近隣に激安スーパーがあり、学生街ゆえに安価な飲食店も多く、立地的にはかなり便利だった我が家。私が研究留学のため渡英している間は、もはや顔見知りとなった大家さんに断って、専門学校に通っていた妹や弟の就活時の拠点として活躍し、助教として舞い戻ってからは経済的に自立するうえで役立ってくれた我が家。
 ワンルームに毛が生えた程度の、狭いながらも楽しい我が家。

 やはり三十路を過ぎた立派な社会人が住むには、共益費込みで家賃四万二千円、玄関入って即キッチン、独立洗面所なしで風呂とトイレはユニットバスというのはあまりに安っぽく、住み替えを検討するには良いタイミングだったのだろう。家具も家電も、衣服の一式も、心機一転デザインを年相応のものに見直すには丁度いい。そうだ、ついに念願のペット可物件で猫を飼おう!
 蔵書なら大学の助教室に運んであって無事だし、小説や漫画の類も、近年は置く場所に困ってほとんど電子書籍にしておいて良かった。
 貯金だって多少ある。火災保険も賃貸契約の際に加入していた。
 だから、家が、家の全てが、クローゼットの奥の思い出の品も何もかもが燃えようとも、問題ない──問題、ない。

「──このように、人は、矛盾する認知を抱えた時、不快感を覚えます。これが、認知的不協和という心理状態で、この状態を解消するために、人は認知を変えようとします。物の捉え方を変えたり、目の前の物事を過小評価したりすることがそれですね。よく言われるのが、イソップ童話にある酸っぱいぶどうの話ですが、みなさんご存じですか。……はい、知ってる人も知らない人も話を聞いていない人もいるみたいですね。えー、高い位置にあるぶどうをとる事ができなかったキツネが、ぶどうが欲しいという理想の認知と、とれなかったという現実の認知、この心理的葛藤状態から逃れるために、あのぶどうは酸っぱかったのだと考える心の動きのことで、みなさんの中にももしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、喫煙者が煙草は身体に悪いと知りながら、癌になるようなことは自分には起こらないと禁煙から目をそらす行為も、同じくこの認知的不協和の解消に該当します。では、ここからは、具体的な実験を例にあげて考えていきましょう」

 講義に出席したうちの七割は私の話など聞いていない。
 私立女子大の教養授業など大方こんなものだ。スマホに夢中か、はげかけたネイルを眺めているか、隣の友達とのおしゃべりか、居眠り。最悪髪を巻いている。私の講義もつまらないのだろうという自覚はある。ただ、興味をひこうとして演習や実験を取り入れるとコストがかかり、ちゃんと聞いてもらっているか確認するために小テストを入れるとあからさまに不満が出るのだ。
 彼女たちにとって、私の講義に出席する目的は、卒業のために必要な単位を得ることだ。テストのときにノートやテキストの持ち込みが可能で、負担の重いレポート課題が少なく、厳しいことを言われず、欠席が多くない限り成績が下がらない講義というのは学生の出席率が高い。講義への出席率が高いと、私のような他大の兼任講師は、きちんと講義をしていて学生からの受けも良いという評価につながり、来期以降の講師契約が確かなものとなる。

 常勤の教員として正職員採用をされていても、うちは本業に支障のない範囲ならば他大学との講師契約や監修などの企業依頼を受けることができた。
 籍を置いている帝信大学文学部心理学科は、伝統ある基礎心理学から認知、知覚、発達、社会心理学、比較行動学までを網羅し、八人の教授陣を抱え、関東国公立大学の中では名の知れたものだった。ここで学ぶために全国各地からやってくる学生も多く、入試に必要な偏差値の高い、いわゆる難関校のひとつである。

 私はこの心理学科に認知心理学を専門とする助教として勤務している。研究室を構えて学生を受け持つことまではしないものの、肩書きとしては教員に当たり、大学と大学院の授業を担当し、学生指導と独立した研究を行う権限を持つ。
 法改正によってアシスタントである助手とは立場も給与も大きく変わった。ただ、現実的には一番の下っ端であって、学科の通例として助教のポストは何でも屋に該当する。
 お茶くみから会議の準備、授業や実験の補助、教授から依頼されればコピーを取って資料も作り、備品の発注から飲み会の幹事まで何でもやった。

 二か月ほど前、アパートが全焼した私には何も残されていないのだから、仕事という確かな収入源は何よりも大切にすべきものだ。

 本当に、見事なほどに何も無い。
 火災があったその日は、二十四時間営業の大学にいそいそ戻り、キラキラキャンパスライフと縁遠い死んだ目をした院生たちに寝袋を借りて、彼らと共に床に転がって一晩過ごした。憐れんだ学生たちからお下がりの衣服とか、購買で売っている肌着とパンツを差し入れられた時には涙が浮かんだ。
 スマホと財布、私物のノートPCは持って出ていた帰りだったから、それだけは焼けずに幸運と言えた。

 残されたわが身は、三十二歳、独身、──彼氏なし。

 実家は遠い他県の辺鄙な田舎。当然転がり込むような宛はなく、次の日からは恩師であり現学科長でもある我妻(あがつま)教授のご自宅に「来い」と言われて二日ほどご厄介になった。
 見た目は屈強な熊そのもので、学生時代から絶対服従の我が師、その我妻先生(くま)の奥様は、私の境遇を大層不憫がって、娘ができたみたいでうれしいからいつまでもいてくれて構わないのよと言ってくれたが、ただでさえ先生(くま)はポスドクとして行先にあぶれていた私に、おまえは俺の弟子の中では使えるほうだ、使ってやるという恐ろしい誘い方で助教という就職口を斡旋してくれたのだ。
 迷惑料としていくばくか包んだものの、バカタレと怒鳴られてしまい、毎度豪華で温かな食事も出てくるし、これ以上借りを作ると一生この熊の言いなりになりかねないと──いや、社会人の端くれとしてこれ以上恩師に迷惑をかけるわけにはいかないと思って、私は数人の女友達に家賃を負担するから少しの間ルームシェアさせてもらえないかと相談を持ち掛け、快諾してくれたうちのひとりの元に身を寄せたのだった。

< 1 / 32 >

この作品をシェア

pagetop