問題:同僚准教授が偽装結婚を迫ってきた場合、受けるべきか否か。ただし、准教授は変人で学内ストーカーであるが御曹司とする。

 (2)ゴルディロックスの効果


 ストーカーっぽい相手と暮らしているとことに、改めて疑問というか疑念というか、そこはかとない不安を覚えたものの、そんなことも頭から吹き飛ぶほど、東雲先生の妹さん──美津さんから紹介された店は、私が人生でお世話になったことのないような高級店であった。

 美津さんからはすでに、彼の実家に挨拶に行くための服を一式探しているとブティック側に告げており、通された一室に入ると、すでに上から下まで揃ったものが三パターンほど用意されていた。服を買うにあたり、こんな対応をされたことなど初めてだ。
 数年前に結婚したために名字が変わっていると道中聞かされたが、一体何者なのか。東雲妹はどれだけの御贔屓なのか。

 気遣いのできる妹さんは、おそらくはモサくてダサい感じの猫背の男が東雲であるということも伝えていたようで、挙動不審の珍獣の存在もスタッフのみなさんは温かく迎え入れてくれた。

「三池様のスタイルや髪、お顔の色などを改めて拝見したうえですと、こちらのコーラルのワンピースなどはいかがでしょうか」
「わぁ、素敵ですね」
「このデザインに、アイボリーの柔らかなカーディガンを重ねていただいて」
「へぇ」

 東雲先生をダサいなどと言っているが、かくいう私も、学生の頃からほとんど服装が変わっていない。
 大学に長くいると、改まった格好をする機会が式典くらいになっていく。もちろん、きちんとした格好の、きちんとした先生もいらっしゃるが、服装規定にビジネスカジュアルといった縛りもないから、学会でもない限りスーツも着ないし、普段は学生で混み合うエレベータを見送って階段を駆け上がる場面も少なくないから機動性を重視するあまりジーンズばかり。夏休み期間など、ラフなTシャツで行くことさえも許される。
 まわりが若い学生ばかりで、同僚の半数以上が服装に無頓着とくれば、気づけばクローゼットに増えていくのは、取り回しと入れ替えが楽なファストファッションが中心になってしまっていた。

 ぜひ試着をことで、勧められるがまま、まずはパールの装飾がされたツーピースを手に試着室に入り、どうやって着るんだこれ、ともたついているとありがたくも所作の優美なスタッフさんの手ほどきを受けながら着せて頂いた。
 よれよれの下着姿を見られ顔から火が吹き出しそうなほど恥ずかしかったが、手触りのよいインナーを借りつつ、普段にないほど褒めちぎられ、試着室のカーテンを開く度、世界の終わりを迎えた絶望から主人を見つけた犬のように一気に表情を明るくする東雲先生に苦笑するうちに時は過ぎた。

 ──つ、疲れた……。

「三池先生、ど、どれもすごく! とてもすごく似合ってました! 気に入ったのありましたか?」
「いろいろ着せていただきましたけど、この三つだと、最初に勧められたこのコーラルのワンピースのセットがシンプルですけど、品があっていいなと思ってまして。でも、さすがにこの色は若すぎですかね」
「そんなことないですよ。さっき試着されたときもとてもよく似合ってましたし、三池先生、小柄で、か、かわいいので」
「そりゃ東雲先生から見るとたいていの人が小柄になりますよ。私、女性としてはそれなりに背丈あるし」
「で、でも、かわいいはダントツです!」

 声を張った彼にぎょっとして、一気に顔が熱くなる。
 そういえば恋人設定なのだった。律儀に守っているらしい。

「言わなくて、いいですから」
「えっあっ、す、すみません……」

 すると、微笑ましそうに笑って「本当に仲睦まじくていらっしゃいますね」とここまでずっと接客についてくれているスタッフの女性が近づいてきた。

「失礼ながらお話を伺っていますと、おふたりとも先生と呼びあっていらっしゃいますが」
「わ、私たち教員で、職場が一緒なのでつい……」
「まぁ左様でございましたか。先生同士、お互いを尊敬できるご関係で素敵ですね」
「私は助教なので彼とは立場が」
「そ、そんな、僕、三池先生のこと心から尊敬しています。准教授も助教も変わりませんし、同じ研究者です!」
「し、東雲先生、も、もういいから!」

 ここは流すところだ。とはいえ、ストレートな言葉が心にバカスカ刺さって顔が熱い。
 ささやかな笑い声を聞きながら、私は慌てて「これにします」とコーラル色のワンピースを示した。

「承知致しました。ありがとうございます。他はいかがなさいますか?」
「こ、こっちのカーディガンもあわせて着るんですよね? あと、このネックレスと、それから靴も、サイズとか大丈夫でしたら」
「えっ、ちょ、ちょっと東雲先生──」私は先生の腕を引いて顔を寄せ、声を潜める。「私、そんなお金ないです。あのワンピースだけでいくらすると思ってるんですか」
「ですから、それは僕が出すので気にしなくていいんです」
「ええっ」
「お願いして連れてきたのは僕ですし、良いものには、それ相応の価値がついているものです。僕のプレゼントしたものを三池先生が着てくださるというなら、お金なんていくらかかっても構いません。普段の、カジュアルな三池先生も素敵ですけど、こういう装いもよくお似合いだと思いました。とても素敵でしたよ。せっかくですので、店員さんのおすすめの通り買いましょう」
「は……え……」

 しっかりとした口調で言われてしまうと、不思議とそれ以上食い下がることが出来なかった。
 スタッフの人がダメ押しとばかりに最後に「お求め頂きやすい価格のもの」として勧めてきたコートは目玉が飛び出るような金額だったが、確かに質もデザインもいいものではあって、東雲先生はそれも合わせて本当に買ってしまった。カードの上限に引っ掛からないか不安になる。

「──せ、先生、本当によかったんでしょうか。あんな……月収より高い買い物を……」

 丁寧なお見送りにペコペコ頭を下げながら、私たちはもはや二度と来ることはないであろうブティックを後にした。
 涼しい秋風で火照った顔を冷やしながら、私はいたたまれない気持ちで視線を下げる。

「いいんです。でも、気持ちはわからないではないですから、もしかしたら、これを聞けば三池先生にも安心してもらえるかもしれません」

 誘われて顔を上げると、大きな紙袋を肩に下げた東雲先生は、どことなしドヤ顔で言った。

「印税で、買いました」

 なんという……パワーワード……。

「東雲先生が……急に逞しく感じる」
「もう一度言いましょう。僕には、印税収入があります」

 普段にない得意気な様子に思わず笑ってしまった。

「本当にありがとうございます。大事にします」
「三池先生に少しでも喜んでもらえたら、それだけで、本当に、嬉しいです。変な話ですが、誰かに贈り物をするって久しぶりだったので、とても気分がいいし。そ、それに、妹の買い物に付き合うと、あんなものでは済みませんから。姪のための買い物だったりもするんですが、値札すら見ないのは僕もさすがに引くというか」
「何者……なんですか、先生の妹さん」
「妹自身は家を出て、普通の会社員をしていたはずなんですけど、出会って結婚すると決めた相手が勤め先の社長さんだったそうで、お金持ちなんですよ」
「わぁ、それもすごい話ですね」
「ですよね。旦那さん、僕からすれば義弟にあたるわけですが、かっこよくて堂々とされている方で、じ、実はいつも圧倒されてしまって、僕ほとんど話したことなくて……妹も昔から僕と違って思い切りがいいタイプだから、旦那さんにも物怖じしませんし。ああいった買い物も、気に入ったら惜しまずに買ったほうが後悔もないようなことを言っていました。元々は、旦那さんの考えなんだそうてす。半端な武器と半端な防具を纏って小手先で戦うのではなく、手に入れられるのなら最高級の武器と防具で圧倒的力を備えるべきと」
「はぁ……おっしゃることはよくわかりますし、ゲームだったら私も最高レベルの装備にバフ付けてボス戦に臨みたいところですが、現実となると、量販店のセーターをなんだかんだ三年以上着てしまう貧乏性の女を脱却するのって難しいなって感じます……」
 
 感嘆とともに吐き出すと、東雲先生は低い声で笑った。

「僕自身の感覚としては三池先生と同じです。この格好じゃ、言わずもがなというところでしょうが」
「……東雲先生、土台いいんだから、少しのことでだいぶ変わるんじゃないですか?」
「え……」
「このモサさと東雲ルックも、先生の味といえば味なんでしょうけど、そんなことで損するのも勿体無いなって」
「え」
「まずはですね、このやたら長いバッグの肩紐を調節しましょう。何なの、何で尻の下にバッグくるんです? 脚長いんだから歩きづらいでしょ、パカパカするし」
「こ、これ、調節出来るんですか?」
「知らないとかあるんですか? この金具飾りだと思ってたんです? ちょっと何処か、カフェとかで休憩して直しましょう。ダメ、ゆるせない。気になる」
「み、三池先生」

 東雲先生の腕をとって、私は見慣れた街中のカフェの看板を目指す。
 私が肩紐と格闘している間に、東雲先生にはおじいさまの介護を担当されている方から連絡があったそうで、挨拶は明日と決定した。


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