問題:同僚准教授が偽装結婚を迫ってきた場合、受けるべきか否か。ただし、准教授は変人で学内ストーカーであるが御曹司とする。
(3)フット・イン・ザ・ドア・テクニック
快晴となった土曜、朝、九時半。
「み、三池先生、ま、まって、そんな! 激しすぎます!」
「いいから脱いで!」
「で、でも僕まだ心の準備が」
「時間がないの! ぐだぐだ抜かしてないで全部脱げ!」
「ひゃ、やあぁ!」
この悲鳴が響き渡るほんの少し前、私は前日に買っていただいたワンピースにカーディガンを羽織り、品のよいコートとパールのアクセサリーを添えて、久々のフルメイクで武装を整えた。
準備を終え、いざ出陣とばかりに意気込んでいたところに、二階から軽い足音で階段を降りてきた東雲先生と顔を合わせてしばし。
「き……きれい、です。と、とても素敵です。すみません、僕、なんだかいつも以上にドキドキしてしまって、さ……さ、さくら、さん」
真顔の私と照れる彼の間に落ちる、数拍の沈黙──
「さくら、さん?」
人にちょっと余所行きの服装を求めておいて、てめぇはいつもの東雲ルックで行こうとしていた東雲先生にその瞬間ふざけんなよと喝を入れ、私は似たような暗い色の服が並ぶ彼のクローゼットから、クリーニング店のタグが付いたままのネイビーのジャケットと、薄いブルーで、でもカジュアルなワンポイントが襟元に入ったシャツ(新品未開封)を発見するに至った。
押し入った強盗のように箪笥を一段ずつ下から引き開けると、妹に買わされたものの怖くて履いたことがないという薄くチェックの模様が織り込まれたスラックスが目に留まる。スラックスの下に独り暮らしのくせに丁寧に隠されたアダルトDVDを数本発掘してしまったが、いまそんなことはどうでもいいので私はその場で東雲一蔵を押し倒し、生娘のような悲鳴を上げる彼の無駄にしっかり絞められたベルトを外して、いますぐ着替えろと命じたわけである。
行くのは自分の実家なのだから、ネクタイまでする必要はないだろう。
靴箱の奥で眠っていた革靴を履けと強要されたことで、ぐすんぐすん情けない声で啼く珍獣を連れ、送迎を頼んでおいたタクシーの運転手さんに遅刻を謝罪しながら後部座席に乗り込む。
「東雲せん……じゃなかった、一蔵さん、メガネ貸してください」
「な、なんで」
「いいから」
昨夜から、さすがに同棲するほどの恋人設定なのに互いに職場みたいに先生と呼ぶのはおかしかろうと、名前で呼び合う訓練をしている。
カツアゲされる少年のように東雲先生からおずおず差し出された曇ったメガネのレンズを、私はストッキングを買う次いでにコンビニで見つけた使い捨てタイプのメガネクリーナーで、ごりごり拭き上げた。
「このメガネってなんか特殊だったり、思い入れあったり、呪われてたりします?」
「い、いえ、しないです……呪われてるってどういうことですか?」
「お気になさらず」
多少マシになったかというところで、続いて私は東雲先生に向き直ると手を伸ばし、目を細める彼の前髪を掻きわけるようにして撫でつけた。髪質は柔らかいが、如何せんもさもさがすごい。
「髪切ったのっていつですか」
「えっと、じ、自分で、時々切っているので」
「嘘でしょ」
「えっだ、だめですか? だって、どこ行ったらいいかわからなくて、あと、床屋の人と話すの……」
「床屋って。まぁいいです。とりあえず、こんなもんでしょう」
メガネを返し、多少レンズの奥に目元が見えるようなったのを確認して頷く。額の形がいいし、堀が深くて土台がいいんだから髪に隠さず顔を出せば、東雲先生はかなり違って見える。
「あ……あの、さ、さくら、さん」
「なんですか」
「ぼ、僕も、さくらさんの髪に、ふ、触れてみてもいいですか。いつもサラサラして、きれいだなと思っていて」
「ダメですね。気合い入れてブローしてセットしたの崩れるんで」
「アッ……すみません無駄口を叩きまして……」
「ご挨拶終わったならいいですよ」
「い、いいんですか!? 終わらせましょう、すぐ!」