問題:同僚准教授が偽装結婚を迫ってきた場合、受けるべきか否か。ただし、准教授は変人で学内ストーカーであるが御曹司とする。


 顔が、引き攣る。
 富豪ドラマのセットかなと思うような豪華な調度品で飾られた東雲家本邸の一室で、安っぽいカステラを持ち込んでしまった我々の前には、東雲家現当主である東雲先生の父、その横にわざとらしい笑顔を貼り付けた母、テーブルの短辺には弟の透二さんが顔を並べている。華麗なる一族というやつだ。
 一通りの自己紹介は済ませたものの、東雲父の顔はそれが標準仕様でなければ、明らかな渋面であって、歓迎されているとは言い難い。というか、成り行きでこうなってしまったので、気まずいにも程があった。

「離れに挨拶に行っておきながら、こちらに顔も出さないつもりとはどういうことだ」
「……や、約束、していませんでしたし、お、お忙しいでしょうから、ご不在とばかり、お、思っていました。も、申し訳、ありません」
「相変わらず、耳障りで不快な話し方をする」

 たった一回で親子の距離感が垣間見える会話のラリー。
 そっと隣を伺えば、東雲先生は白くなるほど拳を強く握り締めていた。表情にも緊張が満ちている。

「一蔵さん」

 腕に触れて呼びかけると、先生ははっとしたように私を見て、メガネ越しに視線が合うと張り詰めていた緊張を解いて肩の力を抜いた。

「は……離れには、大叔母さんの家に、さくらさんと一緒に住むにあたって、許可をいただきにあがりました。あの家はおじいさまの所有物という認識なので。今日は軽い挨拶というつもりでした」

 先程よりは気負わずに言葉が出てきている。頷いてみせると、先生も口元で小さく微笑んだ。

「あら、そうだったのねえ。すみません、うちの方にまでお土産を頂いてしまって」
「おじいさまの好きな和菓子屋の品です。母さんの言う安っぽいカステラで恐縮ですが、みなさんで召し上がってください」
「や、ヤダァ一蔵ってば……ホホホ」

 父親にまで睨まれ東雲母が黙り込むと、透二さんが口を開いた。

「でも、兄さん、おじいちゃんにはさくらさんのこと結婚相手って紹介したんだろ? おじいちゃんが泣いて喜んでいたって、お手伝いさんたちもみんなもらい泣きしていたよ」
「そ……それは、そう考えているというだけで、具体的なことは、まだ何も」
「兄さんにそういう考えがあったってだけで、奇跡だ。しかもこんな美人がOKしてくれるなんて二重に奇跡」
「き、奇跡なのは認める。一緒に、いたくて、お願いしたことだから」
「付き合ってどのくらい?」

 まずい設定していなかった。咄嗟に視線を合わせ、私が「も、もう、一年、になりますよね」と言って、東雲先生ががくがく頷く。
 「ぼ、僕が、しつこく付きまとって、それで」と先生は続けたが、嘘ではない。

「さくらさん──でしたかしら、不躾に失礼ですけれど、おいくつですの?」

 首を傾げた東雲母に「三十二です」と答えると、彼女は口元にほっそりした手を当てて目を丸くした。

「まぁ、じゃあ急いだほうがいいのは確かね」
「母さん。きょうび、そういうことを言うものではないよ。人生設計は共に歩むふたりで決めるものであって、重視するのは年齢だけではない。母さんがそんなことばかり言うから、俺が結婚出来ないんだよ」
「そ、そんな、透二くんのお嫁さんになる人だったら東雲のお家として、色々考えなきゃいけないこともあるからちょっと口を出してしまっているだけで、別に私のせいでは……」

 透二さんは母親に凛々しい眉を顰めたが、こっちはこっちで色々とあるようだ。たぶんこの母親は、思ったことをすぐに口に出してしまうたちなのだろう。

「母が失礼しました。妹から聞きましたが、兄さんと同じ大学で心理学科の先生をされているとか」
「はい。と申しましても、助教の立場ですが。私自身も帝信の出身で博士号を取得後は、イギリスのリサーチグループに二年ほど参加して戻ったような形です」

 博士ね、と向かいの御仁から鼻で笑われた気がした。まるでそれが何になると言わんばかりに。

「帝信の心理学なんてかなりの名門じゃないですか、兄さんと話が合うはずだ」
 とさりげなくフォローするように透二さんが言えば、
「そこって、もしかして来栖さんていうコメンテーターの人がいるところかしら。ほら、ニュースとか出てる」
 と東雲母が両手を合わせた。

「ええ、来栖先生はこのところよくテレビにもご出演されて」
「へぇ、すごい方と一緒にお仕事されているのね。あの方、お話お上手よね」
「ですねぇ……」

 来栖先生が役に立つ日がくるとは思わなかった。

「三池せん、あ……さ、さくらさんは、来栖先生のような教授陣から信頼されているのはもちろん、学生たちからもとても慕われていて、研究者としても教員としても本当に素晴らしい人なんです。他科の僕から見ても、ひたむきで、いつも頑張っていて。なのに、僕まで助けてくれて」
「これは兄さんがベタ惚れっぽいね」

 透二さんの一言に、東雲先生は見る見る顔を真っ赤に染めて、横にいる私までつられて気恥ずかしくなってしまった。

「その素晴らしい三池先生とやらは、本当に一蔵とご結婚の意思がおありでしょうか?」

 持って回ったような言い方で口を開いたのは東雲父──目が合うと、品定めとばかりに上から下まで遠慮なしに視線を浴びた。

「聡明そうで、ずいぶんお綺麗なお嬢さんのようだ。一蔵にはもったいない。すぐに飽きてしまわれるのでは? ああそれとも、何か一蔵の持つ可能性にでも期待されていらっしゃるのでしょうか? だとしたら、親の私が言うのもなんだが、これに回る金など微々たるものですよ」
「父さん!」
「結婚するなら当然理解しておいたほうがいい。じいさんはどうだか知らんが、私は何も出来んような愚か者に一銭もくれてやるつもりはないんだからな。だいたい一蔵のようなうだつの上がらん男に寄ってくる女など、魂胆が見え透いたものだろう。本気で結婚するというなら、素性を調べさせて頂く。こちらも立場上面倒事は避けたいので、気を悪くしないでもらいたい」
「や、やめてください、父さん!」
「そうだよ、失礼だ!」

 ──ああ、そういうことか。

「まァ! 一蔵さん、もしかして私、結婚詐欺か何かだと思われているんでしょうか!」

 努めて明るく、さも意外という顔をして、私はお母様を真似て両手を合わせた。

「まさか一蔵さんのご実家がこんな立派なお家だなんて、私、ついさっきまで存じ上げませんでしたけど、こういった背景をお持ちなら、お父様がお疑いになるのも無理もないことかと思います。きっと一蔵さんも、ご自分の後ろに透けて見える余計なものを懸念して今まで何もおっしゃらなかったんでしょう。ね?」
「えっ」
「ね?」

 圧をかけると東雲先生は素直なのですぐに「はい」と頷く。

「もぅ、何も出来ないだなんて、お父様は、帝信大学民俗学准教授・東雲一蔵という人がどれほど優れた人物かご存知ないんですねえ。あっ、もしかして身贔屓だと思われたくなくてご謙遜なさっていたのかしら。やだ、ごめんなさい私ったら、真に受けてしまって。いいんですよ、堂々自慢してください。私も本当に尊敬してやまない方ですから、ぜひご家族のみなさんと、東雲先生ってすごいよねって共感したいですぅ」
「……なんだと」
「ご存知の通り、先生は帝信で、三十代前半で准教授に就かれた逸材です。ただでさえ椅子の少ない民俗学において、乞われて本校に籍を置いてくださっているのです。東雲先生を師と仰ぎ、先生の研究室に入りたいがために、地方からわざわざ狭き門を突破して入学してくる学生が毎年いるのですよ、お父様」
「そ、そんな金にならないものを」
「なっていますよ、お父様。現に一蔵さんも私も研究者であると同時に正規の大学教員ですので、給与を得て独立した生計を立てています。ご存知ですか? 我々の活動には研究費という予算がつきます。お金をあげるから、研究して欲しいと大学から言われているんですよ。もちろん、お父様たちのような莫大な金額を生み出すようなことは出来ませんでしょう。ですが、餅は餅屋と申します。我々は研究や指導を通じて、企業やその知見を必要とする方々と関わり、直接的あるいは間接的に利益を生み出しています。幅広い事業に関与され、数え切れない従業員を抱えていらっしゃるお父様なら、企業における研究の価値を十分にご理解されていらっしゃるのでは? 嫌々仕事をしてそれでも生活に苦しむ人が多い中で、夢中になって自分が出来ることで、お金を稼げて尊敬されるなんて、こんな素敵なことってあるんでしょうか?」
「な……」
「私が知り合って一緒に暮らしていくのもいいと思った相手は、家も何も関係なく、変人で優しい東雲一蔵です。どこどう見てもかわいいでしょ、目ェついてんですか?」
「貴様!」
「ああ、そうでした。遺産も支援も何も部外者の私が口出しすることではございませんので、残す残さぬはどうぞご子息とお話ください。私、東北のド田舎の農家の出身なんですけれど、まさか東雲家のご当主ともあろうお方が、私の父と同じ視点でものをみていらっしゃるなんて。両家とも仲良くできそうで、安心しましたわ」


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