問題:同僚准教授が偽装結婚を迫ってきた場合、受けるべきか否か。ただし、准教授は変人で学内ストーカーであるが御曹司とする。


「わーい! 寿司だぁ!」
「三池先生、お寿司好きですか」
「すきー!」

 出前でやってきた高い寿司は旨い。
 東雲邸を出て車で送ってくれると言った透二さんと共に小洒落たカフェで遅くなった昼を食べ、帰宅して疲れきった先生と私は、居間でぐったりしたまましばらく動けなかった。お互いせーので這うようにして自室に向かって何とか着替え、また居間に戻って、座布団を枕に倒れ込んで昼寝。薄暗くなった頃に目を覚ますと、毛布が掛けられていた。家主のくせに部屋の隅で、でかい図体を丸めて眠る東雲先生が掛けてくれたのだろうと思う。
 億劫だが夕飯の支度を考えようかというところで、「寿司をとりませんか」と言う寝癖のついた東雲先生に同意すると、先生は近所にあるという寿司屋のいいお寿司を二人前注文してくれたわけだ。
 ふたりとも黙々と食べて、寿司桶が互いにきれいになった頃合いを見計らい、私は座卓を挟んで向かい合う東雲先生に頭を下げた。

「お父様に余計なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした」

 初対面のご尊父様相手に喧嘩腰で臨んでしまった私を透二さんは爆笑し、ランチの間も爆笑しながら褒め讃え続けた。まさか反論されるなど思ってもいなかったらしい父親の顔が最高に間抜けで、最高に笑えたらしい。最初はお父上の感情を逆なでしないよう天然系を装っていたというのに、自分で言っているうちにどんどん腹が立って、最終的にお互い真顔でにらみ合って終わったのだった。

「そ、え、あっ! だ、だめです、三池先生、頭を上げてください! 謝ることなんて、何も」
「でも……実際、考えてみたら私は何かを言えるような立場ではないんです。あの時は、腹が立って思わず言い返してしまったんですけど、本当に結婚するわけでも、ましてや恋人でも何でもないわけで、金目当てでなくても詐欺みたいなものだし……」
「お願いしたのは僕です。僕のほうこそ、三池先生に失礼なことを言うあの人を制さなくてはいけなかったのに、ほとんど何も言えなくて……自分の情けなさに、自分でがっかりしました。本当に申し訳ありません」
「東雲先生……」
「それに、その……謝るより、実はお礼を言いたいんです。言い返してくれて、それもあんなふうに言ってくれて、嬉しかったから」

 東雲先生は居住まいを正すと、空になった寿司桶に目を向けた。

「うれしくて、すごくいい気分で。それで、お寿司、頼んでしまいました」

 穏やかに微笑んで、「とっさにあんな切り返しができるなんて、やっぱり三池先生はすごいですね」と東雲先生は言う。

「……私、嘘は言ってないですよ」
「そうですね。何も嘘を言ってないのがすごい。民俗学の椅子が少ないのはマイナーな学問だからで、僕の研究室を志望してくる風変わりな学生なんて毎年ひとりふたりの話ですけど、言い方ひとつであんな高尚な感じになっちゃって」
「他大の非常勤でバイトしてるくらいの助教が偉そうでしたよねえ、我々に降りてくる予算なんてカツカツで、コピー一枚無駄にできないくらいの貧乏学部なのに」
「僕、フィールドワークするときほとんど持ち出しですよ」

 ふたりして声を上げて笑った。

「ありがとうございました。三池先生のおかげで、おじいちゃんも安心させることができて、父にも言い返すことができた。け、結婚するってことになっちゃいましたけど、で、でもこれでしばらくはのらりくらり交わすことができると思いますし、三池先生にここでお好きなだけのびのび暮らしていただけると」
「何言ってるんですか、先生。まだですよ」
「はえ……まだって?」
「図らずもこうなってしまいましたが、東雲家の攻略が済んだとして、うちのほうがまだです」
「え、で、でも、け、結婚は方便というか」

 あたふたし始めた東雲先生に、私は目の前の寿司桶を端に寄せ、座卓に手をついて身を乗り出した。

「確かに方便です。ですが、私は帰り際、なんかよくわかんないけど興奮したお母様に連絡先を求められ、名刺を渡してしまいました。覚えてますか?」
「はい……」
「今回、ぼんくらな先生を誑かし金目当てで近寄ってきたあこぎな女ではないとは思ったかもしれませんけれど、とはいえ、いまだ私が素性のわからぬ相手であることは事実。お父様も仰っていた通り、東雲家ほどの良家ですから、人を使って私や私の実家がどんなんかという状況を探るのは当然と考えます。その過程で、東雲家には挨拶に行っておきながら、三池の家にその類の話が一つも届いていないとなれば怪しまれるはずです。ここまでよろしいか?」
「は、はぁ」
「私はこのあとすぐにでも、火事とかいろいろあったけど、それきっかけで彼と同棲することになり、その人と結婚しようかと思っている的なことを親に連絡します。彼のご両親にはすでにご挨拶をさせてもらったとも伝える。すると、うちの親はこう言うわけです。だったらうちにも挨拶にくるのが筋だろうと。──本当に結婚するつもりでお答えいただきたいんですが、東雲先生のお立場で、この流れ断れます?」
「まさか! 絶対にすぐにでも、何が何でも伺います!」
「それです。ここまで来たら、我々が目指すべきは完全犯罪。普段あれだけ緻密なロジックに基づくミステリーをお書きになっているんですから、おわかりですよね。先生」

 顔の前で指を組んで小首をかしげて見せた私に、東雲先生は生唾を飲み込み、そしてゆっくりと深く、神妙に頷いた。


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