問題:同僚准教授が偽装結婚を迫ってきた場合、受けるべきか否か。ただし、准教授は変人で学内ストーカーであるが御曹司とする。
(2) 自己開示と好意の返報性
「信じられますぅ? マジで笑えますよねぇ、アパート燃えて住むとこなくした友達から四百万も奪っといてごめんて、ごめんで済むかっつーの、人でなしにもほどがアッハッハッハ!」
人の金で飲む酒は旨い。
東雲先生に連れていかれた駅前の焼肉店で、久しぶりに固くない肉を食べ、ビールを飲んだことで大変気分が良くなり、グラスを握りしめた東雲先生が食い入るようにこちらを見つめてくる視線も気にせず、私は陽気に愚痴を吐いた。
アパートが燃えたこと。友人と思っていた相手に金を使い込まれ、友も金も寝床さえもなくしたこと。
「あ、あの、三池先生、では、今は、ど、どちらで寝泊まりを……」
「えぇ? あぁ、うちの学科って学生用の談話室あるんで、そこのソファで寝かしてもらったり、あとは助教室の床に寝袋ですねえ」
「ゆ、ゆか!?」
「はい。東雲せんせぇ、学生のとき学校の泊まり込みしなかった人ですか? 優秀ですねぇ。あーあとは、なんかちょっと娯楽欲しいなって時は漫喫いくし、さすがに背中痛むみたいなときは、駅前のカプセルホテルも。あそこぉ、大浴場ついてるんですよ。あと朝食もあって、七千円しないし。でもまぁ毎日となるとなぁって思って、やっぱ助教室の床に戻るって感じで、天井も見慣れてきました」
「み、三池先生……」
「あ、終わってるって思いました? 終わってんですわ、事実。聞いてくださいよ、この間なんて、ちょーっと席外したすきに助教室のデスクに、誰からかもわかんないお見舞い金置いてあって、十万も入ってたんですよ。さすがにびっくりして、先生方に聞いて回っても知らないって言うし、学生たちから“あしながおじさんじゃないですかー”とか言われて……三十過ぎの女に、寄りにもよってあしながおじさんて」
「そ、それ、それ、ぼ、僕です……」
「はい?」
「……お見舞いの、お金」
「は?」
「僕です……」
「東雲先生?! なんで?!」
「単純なお見舞い、です……すみません、なんでって言われると思って、名乗らなくて……」
沈黙が落ちて、肉の焼ける音ばかりが響く。
まさかこんなところに。いや確かに足長いけども……。
「えぇ、と……ありがとう、ございます。とてもありがたいことでしたが、お返ししますね。あれ、我妻先生に預けてあるので」
「ど、どうして!」
「どうしてって、ありがたかったですけど、……同時に凹んだんです。ああ私ってそんなみすぼらしい感じに見えるのかなって思って。まぁ確かにそうなんですけどね。服とか三着くらいで回してたし、メイクもろくにしてなくて。さすがに腰を据えて家探さなきゃって焦ってはいるんですけど。でも……ずっとそういうのやってこなかったから、勝手もよくわからなくて。みんな、いい歳した女なんだから、ちゃんとしたところにしろって言うんですよ。なのに、探そうにも、仕事多くて落ち着いて不動産屋回るような時間もなくて。かと言ってこんなことで周りに迷惑かけたくないし……あと、第一に、何するにもお金すごいかかるんだなってわかって、これから冬服も買わなきゃなのにねぇアハハッ!」
東雲先生はそこで急に手にしていたグラスの底をテーブルに叩きつけた。
はっとして目を上げると、曇った眼鏡の奥から真剣なまなざしが向けられていることに気付く。
「わ、笑いごとではないです。こんなことと過小評価するような話でもない。火災に遭われたという、三池先生の窮状はお聞きしていて、ぼ、僕も何か少しでも力になれたらと思っていました。お見舞いも、他に思いつかなくて。返ってご迷惑になっていたなら、申し訳ありませんでした。で、でも、決して三池先生がみすぼらしく思えたわけではなく、先生はいつもちゃんとしていて、す……素敵だと」
「そ、それはどうも……」
「学内でお会いしても、普段と変わりないように見えて、いつも通りに明るくしっかりされていらっしゃる様子だったので、まさかそんな事態になっているとは知りませんでした。も、もっと早くお声がけすればよかった。申し訳ありません」
「いや、別に東雲先生が謝ることでは」
「あの、よろしければという提案、なのですが、ぼ、ぼぼぼ──」
「ぼ?」
「僕のッ! 僕の家に、来ませんか!」