未来へ進む三つの絆

第1章:「初めての視線」

沙樹(さき)は、クラスの中でいつも目立たない存在だった。自分のことが好きになれず、無理に周りに合わせることもできない。彼女のコンプレックスは、いつも他の誰かと比べてしまう自分自身だった。背が低くて華奢な体、目立たない顔立ち、それに大きく見えるメガネ——そんな自分が嫌いだった。誰かに「可愛いね」と言われることなんて、夢のまた夢。沙樹にとって、それは手の届かない世界の話だった。

それでも、沙樹には一つだけ楽しい時間があった。それは、図書室で静かに本を読むことだ。学校の昼休みには、誰にも邪魔されず自分の世界に没頭できるこの時間が、彼女にとっての小さな逃げ場所だった。物語の中では、自分の弱さも、周りの視線もすべて忘れることができた。小説の登場人物たちのように、強くて素敵な人間になれたら……そんな夢を抱きながら、ページをめくることが唯一の安らぎだった。

その日もいつものように図書室の窓際でお気に入りの小説を開いていた。春の陽射しが窓から差し込み、淡い光がページの上で揺れている。けれど、ふと何かの視線を感じて顔を上げると、遠くから自分を見つめる誰かと目が合った。黒い髪を持つその少年は、クラスメイトの修(おさむ)だった。

修は、沙樹にとって憧れの存在だった。いつも友達に囲まれ、笑顔を絶やさず、スポーツも勉強もできる彼は、沙樹から見ればまるで別世界の人。彼が沙樹のことを知っているかどうかさえも怪しい。それなのに、なぜ彼が自分を見ているのだろうか、と沙樹は不安になった。からかわれているのか、それとも何か変なことをしてしまったのだろうか。そう思うと、顔が赤くなってきて、沙樹は急いで視線をそらした。

しかし、その視線にはからかうような気配はなく、ただまっすぐで優しいものだった。修は微笑みながら、軽く手を振って見せた。その姿に沙樹は驚き、さらに動揺してしまう。図書室で静かにしていなければならないことはわかっていたが、修の存在感が強すぎて、心臓が早鐘を打つのを止められなかった。

「どうして私なんかを見ているんだろう……」

沙樹は小さな声で呟き、再び本に視線を戻そうとしたが、どうしても集中できない。修の笑顔が頭から離れないのだ。まるで自分を照らす太陽のように、彼の存在が眩しく感じられた。沙樹は小説の文字を追うものの、内容が頭に入ってこない。修の顔、そして彼が自分に向けてくれたあの笑顔——それが心の中で何度も繰り返された。

昼休みが終わり、教室に戻ると、沙樹は一層静かに過ごすことを決めた。修が自分に手を振ったことは夢だったのかもしれない、と自分に言い聞かせる。けれど、修が近づいてきて話しかけてくる光景が何度も頭の中で再生されてしまう。「そんなことあるわけない」と自嘲気味に笑ってみても、胸の鼓動は治まらなかった。

次の日、沙樹はいつも通り図書室に足を運んだ。昨日の出来事が頭から離れず、少し緊張しながらドアを開ける。いつもと変わらない静かな空間が広がっているのを見て、少しだけ安心した。修の姿はなかった。ほっとしたような、少しだけ寂しいような気持ちが沙樹の胸をよぎる。

お気に入りの席に腰掛け、再び小説のページを開く。その瞬間、ふいに声が聞こえた。

「ここ、いいかな?」

驚いて顔を上げると、そこには修が立っていた。信じられない思いで沙樹は口を開くことができなかった。修は微笑みながら、沙樹の隣の席を指差している。沙樹は慌てて頷き、彼を座らせた。心臓がまたしても早鐘を打つ。

「ありがとう。昨日、君が読んでた本、僕も好きなんだ。」

修はそう言いながら、沙樹の持っている本の表紙を指差した。その瞬間、沙樹の中で何かが変わった気がした。自分が大好きな本を、あの修が知っている。そして、彼が自分に話しかけてくれている——その事実が、沙樹の胸に小さな火を灯した。

「そ、そうなの?」沙樹は緊張で声が震えたが、それでもなんとか返事を返した。修は頷いて、「うん、特にあの主人公の気持ち、すごく共感できるんだよね」と続けた。沙樹は驚いた。修のような完璧に見える人が、物語の中の悩める主人公に共感するなんて思ってもみなかったからだ。

「私も……あの主人公、好き。自分に自信がないところとか、ちょっとわかる気がして…」

沙樹はつい本音を漏らしてしまった。いつもならこんなこと、誰にも言えないのに。不思議と、修の前では少しだけ自分をさらけ出せる気がした。修は優しく微笑んで、「そうなんだ。君も、そんな風に思ってたんだね」と言った。その言葉に、沙樹の胸は温かくなった。

それは、誰かに「見られている」という実感と、そのことが決して悪くないという気持ち。まるで、小さな花が心の中で芽吹いたような感覚だった。沙樹の世界は少しだけ色づき始めていた——彼女が気づかないうちに、修という存在がその色を添えていたのだ。

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