〜Midnight Eden〜 episode1.【春雷】
 ネガティブ思考のループを続ける鈴菜の口から漏れた溜息は、架純がすするラーメンの音で掻き消された。

「こらこら、自己肯定感上げてっ! すずだってかなり可愛いよ。社内でも取引先からも評判いいし、常務や専務にも気に入られてるじゃない」
「もちろん仕事で評価されるのは嬉しい。だけど私は木崎さんに好かれたいんだよ。できれば同僚としてじゃなく、女として」

 最初は憧れから始まった恋だった。洗練された佇まいに惹き付けられ、次第に奪われた鈴菜の心。

愁が誰かに恋をするなら、どんな風に相手を見つめるのだろう。あの感情の見えない瞳が熱っぽく潤んだりするのだろうか。
できるなら彼に熱っぽく見つめられる恋の相手になりたい。

「ねぇ、やっぱりゴールデンウィークにある営業部との合コン駄目? 絶対にすず連れて来てって頼まれてるの。木崎さんは止めておきなとまでは言わないけどさ、追いかけるだけの恋も辛いよ。経営戦略部の人も何人か来るし、すずなら選り取り見取りだと思う」

誘われていたゴールデンウィークの合コンは気が乗らない。しかし営業部所属の架純の顔を潰すわけにはいかなかった。

「……うーん。ちょっと顔出すくらいでいいなら行く」
「やった! ありがとうすずちゃんっ!」
「なんか食欲出てきた。ラーメンちょっと欲しい」

 絶望のどん底にいても救いになるのは友達の存在だ。麺が少し伸びたラーメンを一口分食して、食べかけのサンドイッチにかじりついた。

 愁が誰かと社食でランチをする姿は見かけない。
夏木会長に付き添うために外出も多い愁が会社の食堂に現れる機会は早々ない。

「そういや、木崎さんて夏木会長のお子さん達と一緒の家で暮らしてるよね。なんでなんだろう?」
「その話なら専務に聞いたことがある。木崎さんは子どもの頃から夏木会長と知り合いで息子同然に可愛がってもらってきたんだって。だから今は会長のお子さん達の保護者役を引き受けてるみたい」

 夏木会長が10年前に養子を貰った話は有名だ。特に隠し立てもしていない。
愁が養子の子ども達と同じ家に住んでいることもまた、社内の人間には周知の話だった。

「会長の家族とも親しいとなると、益々将来有望だ。いつかは木崎さんがここの社長になっていたりして」
「うん。そういう噂はあるから徳田社長だけは木崎さんを嫌ってるんだよね。社長に嫌味言われても木崎さんは気にしていない様だけど、聞いてるこっちは腹が立ってくる」

 還暦を過ぎた夏木会長はまだまだ健勝だが、会長が引退後の夏木コーポレーションの未来に繋がる根回しや思惑は虎視眈々と蠢いている。

末端の鈴菜には中枢の実情はわからない。だが愁はそんな根回しや思惑からは距離を置いているように感じた。

 何物にも何者にも縛られない。
鈴菜の目から見える木崎愁は、そんな自由で孤高な男に見えていた。

本当はこの会社にいる誰よりも縛られている愁の真実を、鈴菜は知らなかった。
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