プラスとマイナスな関係の彼女
出逢い
出逢い
「四方寄町。これ読んで」
そう言いながら、真子が私に渡した紙を指さした。
「しかたよりまち……?」
自信のない私の答えに、真子は笑顔を見せた。そしてもう一つ指さし、こう言った。
「じゃあ、これも。九品寺」
「くもんじ……?」
それを聞くと、真子の白い肌がほんのり赤くなった。その様子に気づいた私は、思わず聞き返した。
「難しいね。これ、何かの宿題?」
「そう。宿題。ついでに『本能寺の変』も調べてきて」
そう言われ、私はどこか使命感を覚えた。
「任せて。でも、平家の壇ノ浦の話なら得意だよ。祖父母が天草の隠れキリシタンだったって知ってた?」
これが私と真子の最初の出逢いだった。彼女は進学校を卒業し、国立大学に進学したものの中退したと聞いた。一方、私は工業高校の化学科卒業。学問の深さや人生経験では真子に遠く及ばない。彼女との会話の中で、自分の無学さを痛感することも多かった。例えば、卒業後の実習について彼女に聞いたときのこと。
「卒業実習って何やるの?」
「実験とか……じゃない?」
「いや、俺の学校では甘露飴を作ったんだよ」
「甘露飴? それって何?」
「昭和時代の飴玉だよ」
そんな答えに真子が呆れるのを見て、私は苦笑いするしかなかった。甘露飴なんかで化学工場に勤められるわけがないと自分でも思っていたし、案の定、三ヶ月で退職する羽目になった。真子はいつもどこかそっけなく、私はそんな態度に戸惑いながらも彼女を想うようになっていった。LINEでたわいのない相談を送る日々が始まり、彼女も週に2日はデイケアに顔を出すようになった。しかし、顔を合わせても交わすのは表面的な会話ばかり。誘うべき勇気もない自分に苛立ちながら、日記に彼女との出来事を書き留め、小説風に書き直すことだけが心の支えだった。ところが、それは次第に私自身を追い詰める行動へと変わっていった。真子のことを考えすぎて、思考がぐるぐると回り始める。やがて、それは統合失調症の再発という形で現れた。しかし、これは妄想ではないと自分に言い聞かせた。ただの恋の病だと。そして、そんな私の葛藤を知る由もなく、真子はLINEに既読すらつけなくなり、デイケアにも現れなくなった。それでも私は毎朝、彼女の働く会社の前を通り、駐車場に停めてある彼女の愛車を見つめる日々を続けた。忘れようとしても忘れられない。それは偶然なのか、運命なのか。その頃から、スピリチュアルな世界や「潜在意識」という言葉に引き寄せられていく自分がいた。
ある日、デイケアの駐車場でタバコを吸う女性たちを見かけた。その中に真子の共通の友人がいたことに気づき、私は思い切って近づいた。
「タバコ、吸うんですか?」
そう声をかけると、思いがけず会話が弾んだ。その会話の中で、真子の近況が話題に上った。それをきっかけに、私は自分の感情を少しずつ整理し始めた。そして小説を書くことが心の拠り所になっていった。私にとって、真子との出逢いは運命の相手との邂逅だったのかもしれない。過去に出逢った女性たちと同じように、彼女もまた、物語の中で生き続ける存在になるのだろうと感じていた。私の小説のモチーフには、いつも彼女の面影が潜んでいる。それがどんなに儚く、消えそうな影でも。