続きは甘く優しいキスで
私の心の内など知らない田中がさらに続けた。

「それから、今は特に急ぎの仕事はなかったね?」

嫌な予感を覚えつつ私は身構えた。

「はい、特には……」

「それならさ、北川さんに社内を案内してあげてくれる?その後は早速OJTに入ってもらうということで。北川さんには、斉藤さんについてもらおうと思う」

「それなら、案内は斉藤さんにお願いした方がいいんじゃ……」

「悪い、笹本。ちょっと急ぎの仕事入っててさ。戻って来るまでは終わると思うから、それまで頼むよ」

斉藤がすまなさそうに謝った。

急ぎの仕事があるのなら仕方がない。ちなみに田苗と今野、鈴木はどうなのかと他の同僚たちを見ると、それぞれに真剣な顔でパソコンに向かっている。

今のこの時、手が空いているのは私だけらしい。

「分かりました。――それじゃあ、早速案内してきます。北川さん、このまま行っても大丈夫ですか?」

北川はやや固い笑みを浮かべて頷いた。

「はい、お願いします」

「では、行きましょう」

私は対外用の作り笑顔で彼を促し、廊下に向かって歩き出した。

それなりに大きい社屋だが、ざっと案内するには一時間もあれば十分だ。

北川の少し前を歩きながら、私は終始緊張していた。私が元カノだと気づいてはいないようだし、気づかないはずという勝手な結論に達してはいたが、それでも不安は皆無ではない。

一方の北川は多少緊張が解けてきたのか、時折私に質問を投げかける声は穏やかで、表情も和らいでいる。

「最後は資料室です」

ここが終われば後は斉藤にバトンタッチだ――。

北川に気づかれないように小さくため息をつき、私は資料室の前に立った。
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