このたびエリート(だけど難あり)魔法騎士様のお世話係になりました。~いつの間にか懐かれて溺愛されてます~

1 婚約破棄は失恋とは言わない

 フィリスの実家であるキャロル男爵家は、王都から離れた場所にひっそりと屋敷を構えている。
古びた石造りの屋敷は緑に囲まれ、庭に出れば風が花の香りを連れてきてくれる。そんな屋敷の一室で、フィリスは袋に入った氷を新しいものに入れ替えていた。
「お兄様、大丈夫?」
「ああ。だいぶよくなったよ。ありがとう」
 兄のジェーノが風邪を引いて三日目。フィリスは仕事以外の時間を、ほぼ看病に費やした。そのおかげか、ジェーノの体調は回復に向かっている。
(よかった。顔色もよくなってるわ)
 熱さましのために用意した氷も、この調子でいけば必要なくなるだろう。
「いつもごめんねフィリス。自分で嫌になるよ。この病弱な体質が」
 ジェーノは上半身だけむくりと起き上がると、申し訳なさそうに眉を下げて謝った。
「謝ることないわ。身体がつらくてたいへんなのはお兄様でしょう? むしろ、代わってあげられなくてごめんなさい」
「……僕の妹はなんて優しく健気なんだ。フィリスが風邪を引いたら、僕に移していいからね。人に移せば早く治るって言うだろう」
「それだと代わってあげる意味ないじゃない」
 ふふ、とフィリスが笑うと、ジェーノがなにかに気付いたように目を見開いた。
「あれ。フィリス、髪の毛切った?」
 フィリスの白銀のロングヘアが、数センチ短くなっていたのだ。
「ええ。ちょっと気分転換。っていっても、ほとんど変わってないんだけど。それに気づくとはさすがお兄様ね」
「当たり前だ。僕はフィリスが数ミリ前髪を切ったことにも気づくからね」
 自慢げにジェーノが胸を張る。
 ジェーノは自他ともに認めるシスコンだ。唯一の兄妹であるフィリスが可愛くて仕方がないようで、幼い頃からフィリスを甘やかしまくっていた。両親がこの調子で恋人ができるのかと不満を漏らすほどだ。
「でも、髪を切って気分転換だなんて……まさかフィリス、失恋でもしたのかい?」
「そうなの」
「……えっ!? えぇっ!?」
 冗談で言ったつもりだったのだろう。フィリスにけろっと即答されて、ジェーノは二段階で驚いてしまう。
「失恋っていうか、婚約破棄といえば正しいかしら」
「こ、婚約破棄!? クレイ伯爵令息にか!?」
「お兄様、あまり騒がないで。熱が上がってしまうわ!」
「落ち着いていられるか! なぜそんなことに!?」
 今にもベッドから降りてきそうなジェーノを、フィリスは必死に宥めた。
「なぜって、ラウル様が私のことを嫌いだからよ」
「そう言われたのか?」
「ええ。ラウル様、成人を迎えてから夜の遊びを覚えたみたい。歓楽街や大人の社交場でいろんな女性に会ったら、私がどれだけ地味でつまらないかを思い知ったそうよ」
 フィリスが暮らすこのルミナリア王国では、十八歳をもって成人とされる。二年前に成人を迎えた元婚約者は、自分の知らないところで遊びまくっていたらしい。
フィリスも同じく今年二十歳になる令嬢だが、歓楽街など足を踏み入れたこともなかった。そもそも、都会へ行く機会がないからだ。
「ふざけたことを……! 僕の大事なフィリスを傷つけるとは……!」
「だから落ち着いてお兄様。私は平気よ。でも……男爵家に負担をかけることに……」
「……フィリス。そんなのは気にするな。大丈夫。僕と父上で支えていくよ」
 落ち込むフィリスの髪にすっと手を伸ばし、ジェーノが優しく撫でる。その優しさが、フィリスの心にじーんと染みた。
< 1 / 52 >

この作品をシェア

pagetop