このたびエリート(だけど難あり)魔法騎士様のお世話係になりました。~いつの間にか懐かれて溺愛されてます~

7 慣れない甘さ

 午後十一時過ぎに支部へ帰ると、リベルトとアレンは怪我人も死者もひとりも出なかったことをアルバとローランに大層褒められていた。
 フィリスは馬車内での告白をアレンに聞かれてたらどうしようと気が気でなかったが、これといって気づいている素振りもなかったため、とりあえず一安心する。
 リベルトは、告白したもののフィリスに返事を求めなかった。付き合いたいとか、恋人になりたいとか……そういう見返りを求めるよりも、単純に自分の気持ちを伝えたかったのかもしれない。
 翌日から仕事は通常通り開始された。
(変に意識しちゃう……けど、リベルト様は今朝からなにも……)
 変化はない。
 そう思っていた矢先に、食堂から戻って来たリベルトがフィリスをじーっと凝視してくる。
「おかえりなさい。あの、なにか……?」
「髪型、変えたのか?」
「あっ。はい。お昼休みにナタリアさんが編んでくれたんです」
 ナタリアがいつもしているのと同じように、フィリスの長い髪を太めの三つ編みに結ってくれたのだ。
「そうか。そうしていると雰囲気が変わるな」
「仕事ができそうに見えますか?」
「ああ。似合ってる。可愛い」
(可愛いかどうかは聞いてないのに!)
 こんなふうに褒めてくれるのも、細められる瞳が前よりずっと優しいのも、口元に浮かぶ穏やかな笑みも――すべて変化だった。
「どうした? 顔が赤いな」
「だ、だって、リベルト様が平気で可愛いなんて言うから……」
 そもそもジェーノ以外の異性に褒められることに、フィリスは慣れていない。婚約者のラウルには「地味」としか言われてこなかった。
「俺に可愛いと言われると、君はこんなにいじらしい反応をしてくれるのか。それならもっと言いたくなる」
「ちょっとリベルト様、下がってください……」
 いつのまにか壁際に追い詰められているのに気づき、フィリスはリベルトの胸を押し返そうとするが、厚くたくましい胸板は押してもびくとも動かない。
「フィリス」
 耳元に唇を寄せられて、低い声で名前を呼ばれる。
「本当に君は可愛いな。それに……そんな顔をされては、期待してしまうだろう」
 右手は壁に手をついて、左手はフィリスの後れ毛に触れてそっと耳にかけた。
 フィリスは頬を赤らめ、リベルトの行動ひとつに反応し、恥ずかしさと戸惑いから瞳を潤ませる。だが、そんな自分の表情を確認する術はない。だからリベルトの言う〝そんな顔〟がどんなものかわからなかった。
「君は俺を意識してくれているんだな」
「……っ!」
 するな、というのが無理な話だ。
 元々、共に過ごす時間が増えるにつれて、フィリスはリベルトを人としして素敵だと感じ始めていた。最初の段階でこんなふうに責められても、フィリスの感情は少しも乱されなかっただろう。逆に不快に感じたかもしれない。でも――今は違う。
「……リベルト様って、思ったより積極的なんですね。驚きです」 
「俺は好きなものには全力だ。知っているだろう?」
 にっと口角を上げて笑うリベルトからは、いつもよりずっと色気を感じる。
(こ、このままだと雰囲気にのまれて頭がどうにかなっちゃいそう……!)
 距離が近いリベルトから、次はなにをされるのか。なにを言われるのか。
 そんなことを考えると心臓がバクバクして、頭はパンクしそうだった。
「仕事、仕事をしてください! 大好きな書類捌きが残っていますよ」
「書類を捌くのは特に好きではない。俺が好きなのは資料まとめだ」
 くつくつと笑いながら、フィリスの限界を察したのかリベルトがようやく離れてくれる。壁ドンから解放されて、フィリスはほっと胸を撫でおろした。
「あ……そういえば、フィリスに聞きたいことがあったんだ」
 いつも作業をしている席に座ると、リベルトは慣れた手つきでペンと書類を捌いていく。その過程で、なにかを思い出したようにそう言った。
「なんですか? ……はい。どうぞ
 フィリスは仕事のお共に用意した紅茶をカップに注ぎ、リベルトのもとに運ぶ。
「昨日、ジェーノが言っていた。フィリスは〝傷つけられたばかり〟だと。あれは、どういう意味なんだ?」
リベルトはペンを置き、湯気の立つ紅茶に手を付けずにフィリスを見上げた。
「言いたくないなら言わなくていい。ただ、俺が気になってしまっただけなんだ」
「いえ。全然構いませんよ。あれは婚約破棄のことを言っていたんだと思います」
「……婚約破棄?」
 怪訝に眉をひそめるリベルトの瞳には、微かな疑念が含まれている。
「私、ここに来る直前にずっと婚約していた相手に振られたんです。お兄様はああ言ってくれたけど、実際はまったく傷ついていませんよ。前から好かれていないのはわかってましたから」
「……フィリス、恋人がいたのか?」
「恋人ではなく、親が決めた婚約者です。もちろん互いに恋愛感情はナシです」
「そうか。……それならよかった。だがその男は見る目がないな。君と一緒にいて、好きにならないなんて信じられない」
 恋人でなかったと知って安心したのか、やっとリベルトが紅茶に手をつける。
 フィリスはリベルトのストレートな言葉に、またどきりと胸が高鳴ってしまった。カップから立つ湯気が、まさに自らの心情を表しているように見える。
「むしろ嫌われていましたよ? 褒められたことも、触れられたこともありません」
 褒められるのが照れくさいため、自虐をしてクールダウンを図ってしまう。
「ならば俺がたくさん褒めて、たくさん触れよう。そうすれば、俺が君の初めての男になれるか?」
 熱が冷める前に、リベルトがまた焚きつける。なにを言っても紅茶に落とした角砂糖のように甘くなる空気に、フィリスはまだ慣れることができない。
「リベルト様は……過去に恋人はいなかったのですか?」
 フィリスは質問に答えずに、今度はリベルトの過去に話題を移した。
「いない。必要としたことがない。恋愛など、生きるうえで意味がないと思っていた。……でも、今はそうは思わない。朝起きて君の顔を見るだけで、幸せな気持ちになれる」
 こんな気持ちにさせてくれるなら、恋愛には意味がある。そう言って、リベルトは笑った。自分以外には見せない優しい笑みは、まるで『君は特別だ』と教えてくれているようだ。
 吸い込まれそうな瞳に、本当に吸い込まれてしまう前に目を逸らす。その先にちょうど置いてあった時計を見て、フィリスははっとした。
「いけない。今日はアルバ団長と定期面談があるんだった」
 面談まで、あと十分程。そろそろ移動したほうがいいだろう。団長のアルバを待たせるわけにはいかない。
「仕事中にすみませんが、ちょっと行ってきますね」
「構わない。転ばないようにな」
「もう。子供じゃないんですから」
 怒るフィリスを見ても、リベルトは楽しそうだ。愛しくてたまらないと表情に書いてある。
 部屋を出ると、うるさく脈打つ心臓がやっと落ちつき始め、面談場所の客室に着く頃にはすっかり平常心を取り戻す。
三分ほど遅刻してアルバが到着し、ふたりはまた向かい合って面談という名の雑談を開始した。
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