春に明日
1話
○(回想)明日香幼少時代
絵本を読む幼稚園生の明日香。
絵本には王子様とお姫様の絵が描かれている。
明日香М「子供の頃から、王子様に憧れていた」
「優しくて格好良くて、お姫様のことを一番に愛してくれる王子様」
「いつか私もそんな人と出会って恋がしたい」
「ずっと、そう思っていた」
「でも、」
絵本を泣きながら破く小学生の明日香。
明日香М「現実には王子様なんていなくって」
「あの日以来、男の子が苦手なってしまった私は」
ゴミ箱に破いた絵本を捨てる明日香。
明日香М「王子様の夢を見るのを止めた」
「そして――……」
(回想終了)
○学校・校門前(朝)
明日香「ついに……!」
『白馬女子高等学校』と書かれた門柱の前で生唾を飲む明日香。周囲には女生徒しかいない。
明日香М「王子様の夢を見るのを止めた私は、」
「女子高に入学したのだった」
○学校・校門内(朝)
明日香(見渡す限り女子、女子、女子!)
(うわーん落ち着くよ〜! こんなに素晴らしい場所があったなんて!)
雛美「明日香ー!」
きょろきょろとする明日香のもとに友人の榎本雛美が笑顔で走ってくる。
二人は再会を手を合わせて喜ぶ。
明日香「雛ちゃん! おはよー! またおんなじ学校嬉しいよぉ〜!」
雛美「私もだよぉ〜! ねねっ! しかもさっきクラス表見に行ったら、私達同じクラスだったよ!」
明日香「ほんとっ!? やったぁ!」
雛美「これからもよろしくね!」
明日香「うんっ!」
笑顔で頷く明日香に、雛美が思い出した顔でプリントを差し出す。
雛美「あ、そうだ。これ、今日のプログラム! クラス表のとこに置いてあったから、明日香の分も貰っておいたよ」
明日香「わっありがと……きゃっ」
雛美「あっ」
突然の突風に明日香の手からプリントが飛んで行き、桜の木の枝に引っかかる。
明日香「あ……あんなとこに…」
雛美「あれは届かないね……先生に言ってもう一枚貰おうか」
プリントを見上げて雛美は明日香に言うが、明日香は考えるように唸る。
明日香「ん〜でもせっかく雛ちゃんが貰ってきてくれたし……ちょっとだけ背伸びすれば届くかも」
雛美「そうかなぁ。危ないことはしないでね」
明日香「しないよ。大丈夫!」
明日香は桜の木に近づくと、背伸びをしてプリントに手を伸ばす。
明日香「んっ〜」
プリントに指はかするけれど掴めない。
明日香「届かない……」
明日香はプリントを見上げると、木の幹に足をかける。
明日香「ちょっとだけ……足かけるだけ……」
雛美「明日香大丈夫?」
明日香「大丈夫、だいじょー……わっ!」
雛美「明日香っ!」
手を伸ばしプリントに指が触れたところで、明日香はバランスを崩して後ろに倒れそうになる。
明日香(転ぶっ!)
咄嗟に目をつぶって衝撃に備える明日香。けれど想像している痛みはなく、明日香は遅る遅る目を開ける。
明日香(……あれ? 痛く、ない……?)
春「大丈夫?」
間宮春が明日香を後ろから抱き留め、心配そうに顔を覗く。明日香は驚いた表情でその顔を見つめる。
明日香「お」
春「お?」
明日香「男っ!?」
明日香は叫ぶと飛びのいて春と距離を取る。春はきょとんとするが、すぐにくすくすと笑って自身のスカートの裾をちょいと持ち上げた。
春「違うよ。ほら」
明日香「スカート……あっす、すみませんっ! 失礼なことをっ……!(女子高なんだから男子生徒がいるはずないじゃん私のバカ~! ボーイッシュでハスキーな美声の美人さんじゃん!)」
明日香は慌てて頭を下げる。春は笑って首を振る。
春「気にしないで。よく間違われるから」
「怪我は……なさそうだね。はい、これ」
春は手を伸ばすと枝にかかっていたプリントを取って明日香に手渡す。
明日香「あ、プリント……」
春「気をつけてね。もう飛ばしちゃっても、木に登ろうとなんてしちゃ駄目だよ」
春は思い出したのかくすくすとまた笑う。明日香は顔を赤くしながらもぺこりと頭を下げた。
明日香「すっすみませんでした……! ありがとございます!」
春「うん。じゃあね」
春は優雅に手を振って明日香に背を向ける。するとすぐに女生徒達が春の周りに集まった。
女生徒1「間宮先輩、かっこよかったです~♡」
女生徒2「やっぱりお優しいのね♡」
女生徒3「間宮さん、教室まで一緒に行こっ♡」
女生徒達は口々に春を褒めたり話しかけたりしていて、春はどの子にも笑顔で対応している。
そんな春達の後ろ姿を眺めながら、明日香は圧倒されたようにぽけっと口を開けた。
明日香「…………」
雛美「ちょっと明日香! ラッキーじゃん!」
するとすぐに雛美が寄ってきて、明日香の肩をがくがくと揺らす。明日香は困惑しながらされるがままに揺すられる。
明日香「えっ何が?」
雛美「何がって、あの人よ! 明日香を助けてくれたあの人、この学校じゃ超有名人なんだからっ!」
明日香「そのようだね……」
興奮する雛美に明日香は女生徒の群れを引き連れて歩いて行く春の後ろ姿を見る。雛美も同じように春の後ろ姿を見ながら続けた。
雛美「二年の間宮春先輩っていって、容姿端麗、文武両道。おまけにあの優雅で優しい性格でしょ? 学年関係なく人気があって、ついたあだ名が白馬の王子様!」
明日香「王子様……」
明日香はごくりと生唾を飲む。雛美はこっくりと頷いた。
雛美「そう! そんな人に入学早々抱き締められるなんて、羨ましい〜」
明日香「抱き締めっ……! 助けてくれただけだよ!」
明日香は訂正しようと慌てて声を上げる。雛美はびしっと明日香の顔を指さした。
雛美「それがラッキーだって言ってんの! 王子とお近付きになりたい女子なんて、この学校じゃ山程いるんだから!」
明日香「雛ちゃん、やけに詳しいね……」
雛美「お姉ちゃんの友達がここの生徒だったから聞いたことあるんだぁ。三月に卒業しちゃったけど。王子の写真見せてもらったことあるけど、実物は段違いね」
明日香「うん。かっこよかったね」
明日香は雛美に同調するようにほほ笑む。けれど頭の中では自分で破いた絵本の王子様が浮かんでいた。
明日香(王子様、か……)
○学校・教室(放課後)
明日香「雛ちゃん、帰ろー」
全ての授業が終わったざわざわとした教室で、明日香は雛美に声をかける。雛美は申し訳なさそうに手を合わせた。
雛美「ごめん明日香! 私部活入ろうかなって思っててさ、これから見学に行くんだ」
明日香「へぇー! 何部?」
明日香は興味深そうに尋ねる。雛美はうーんと腕を組んだ。
雛美「まだ考え中。何個かまわろうかなって。明日香も行く?」
明日香「んー私はいいや。じゃあ明日ね、雛ちゃん!」
明日香は首を振って笑顔で雛美に手を振る。雛美も明日香に笑顔で手を振った。
雛美「うん! 明日ね〜」
○通学路(放課後)
通学路を明日香は一人で歩く。狭い道で人はまばら。
明日香(部活かぁ〜雛ちゃん何部に入るんだろうなぁ。スポーツ出来るし運動部かな。でも手先も器用だし、文化部も合うだろうな)
男1「あはははっ!」
明日香「っ!」
考えごとをしながら歩いていると、突然の大きな笑い声に明日香は驚いて肩を跳ねさせる。明日香の進行方向では三人の男性が立ち話をしている。
男2「お前何言ってんだよっ!」
男3「馬鹿じゃねぇの!」
明日香(男の人達……)
(別の道から……でもまだここしか通り道知らないし……)
明日香はきょろっと周りを見るが、意を決したように肩にかけた鞄の持ち手をぎゅっと握る。
明日香(……行こう。横を通るだけなんだから、大丈夫だよ)
明日香は極力男性の方を見ないようにしながら普通を装って歩く。
明日香(大丈夫、大丈夫。あの人達は私のことを笑ってるわけじゃない。大丈夫……)
男3「ははははっ!」
明日香(っ……!)
男性の笑い声に、明日香はぎゅっと目を閉じる。
明日香(どうしよう、心臓がドキドキする……。怖い……!)
明日香の手は微かに震え、男性達の手前で足が止まりそうになる。すると、ぽんっと明日香の背中に軽く手が添えられた。
春「大丈夫だよ」
明日香「えっ……」
聞こえた声に明日香は顔を上げる。春が優しい顔で明日香を見ていた。そしてまたぽんっと背中を叩く。
春「大丈夫。一緒に行こう」
明日香「っ……」
明日香は込み上げてくるものを飲み込みながら頷く。春は明日香と男性達の間を歩いてくれた。
○公園(放課後)
春「はい、これ」
ベンチに座る明日香に、春がペットボトルのお茶を差し出す。
明日香「ありがとうございます……あ、お金」
明日香が受け取って財布を取ろうと鞄を開けようとすると、春は笑って制止した。
春「いいよ、これぐらい。一年生、だよね? 先輩に格好付けさせて」
春は明日香の隣に座ってペットボトルを開けるとお茶を飲む。明日香も同じようにペットボトルを開けた。
明日香「すいません……ありがとうございます」
春「それより、大丈夫? あの人達……知り合い、とか?」
聞かれた言葉に明日香は慌ててお茶を喉に流し込むと首を振った。
明日香「いっいえいえ! 全然知らない人達です! ただ……私、男の人が苦手で……」
春「……男が?」
春が慎重に聞き返す。明日香はなんでもない事だというように少し笑って頷いた。
明日香「はい。昔はそうじゃなかったんですけど。――小学校六年生の時です」
○(回想)明日小学生時代
明日香М「同じクラスで、仲の良い男の子がいたんです。同じ委員で、話が合って。委員会終わりなんかは良く一緒に帰ったりしてました」
「今思えば、ちょっと好きになってたんです」
「でも、ある時一緒に帰ってるところを同じクラスの男の子達に見られたみたいで」
「次の日、教室に入ったら――」
黒板には『朝見明日香♡伊瀬斗真カップル誕生』と書かれている。
驚き固まる明日香。その前には既に伊瀬斗真が立っている。二人を男子達が囃し立てる。
男子1「斗真! 彼女が来たぞっ!」
男子2「付き合うってことは! あんなことやこんなこと、しちゃうって事!?」
男子3「やったじゃん斗真〜!」
男子4「ていうかキス! しちゃえよ!」
男子2「キース! キース!」
斗真は下を向き、明日香は青ざめる。
女子1「ちょっと! 止めなよ男子!」
女子2「酷いって!」
男子1「うるせぇよ!」
男子4「キース! キース!」
女子に制止されても止めない男子。
斗真が下を向きながらぽつりと言う。
斗真「……誰が、」
明日香「え……?」
明日香が斗真を見る。斗真は顔を上げると吐き捨てるように言う。
斗真「誰がこんなブスとするかよ!」
静かに泣き出す明日香。女子が集まって明日香を慰める。
○(回想終了)
明日香「その後やってきた先生に男の子達は叱られて、私に謝ってくれましたし、こんな事は一度きりで、これ以降からかわれることはありませんでした」
明日香は手の中のペットボトルを見つめて少し笑う。
明日香「今にして思えば、小学生なんて付き合ってるとかに敏感なのにそれを恥ずかしがる時期だし、伊瀬君……私と一緒にからかわれた子も、囃し立てられて恥ずかしくなってあんな事言っちゃったって分かってるんです」
「なのに、私はあれ以来男の子が苦手になっちゃって。笑ったりしてる姿を見ると私の事言われてるんじゃないかって、そう思うと怖くて、心臓がドキドキして……」
明日香はきゅっと心臓の辺りを掴むと、誤魔化すように顔を上げて笑った。
明日香「情けないですよね。これからの事を考えると治さなきゃって思うんですけど、高校、つい女子高選んじゃって……。あ、でも、女子高だからこそ、ゆっくりゆっくり、この三年のうちに男子が苦手なこと、治そうかな、とか思ったり……」
最後は尻すぼみに声を抑え、へへっと笑った。
明日香「治す方法は、模索中ですけど……」
春「……そっか」
明日香「あっ……すいませんっ! 私自分の事べらべらと……! つまんないですよね、こんな話っ……!」
明日香が慌てて言うと、春は微笑んで首を振った。
春「ううん。つまらなくなんてないよ。情けなくもない。もしろ、カッコいいよ」
明日香「えっ……私が……?」
春「うん。怖いことに立ち向かおうとしてる。凄い勇気だ。誰にだって出来ることじゃない」
春に褒められ、明日香は照れながらも嬉しそうに笑う。
明日香「え、えへへ……。そう言われると、嬉しい、です……」
春「うん。誇って良いことだ。……私には到底、真似出来ない」
明日香「間宮先輩……?」
春が呟くように言った言葉に、明日香は不思議そうに春のことを呼ぶ。春はにこりと笑って誤魔化した。
春「何でもないよ。君の挑戦を私は応援する。頑張ってね。……えっと、」
春がまごついたので、明日香は自己紹介をしていなかったことに気付く。
明日香「あっ、朝見明日香です。今朝もありがとございました! 間宮先輩っ!」
春「ふふっ、勿論覚えてるよ。でも朝見さん、なんで私の名前知ってるの?」
春の不思議そうな問いかけに、明日香は噂話をしていた罪悪感から少しバツが悪そうに言った。
明日香「あ……先輩はうちの学校では有名人だって友達から聞いて、それで色々教えてもらいまして……」
春「ああ、そういうことか。王子って?」
明日香「はい。白馬の王子様って……」
春「そっか……。みんな勘違いしてるんだよね。私は王子様なんて、そんないいものじゃないのに」
明日香「え……」
春の自嘲したような声と言葉に明日香は驚く。けれど春は何事もなかったように公園の時計を見て立ち上がった。
春「あ、ごめんね。もう帰ろうか。歩き? 電車? 送っていくよ」
明日香「えっ、そんな、そこまでして頂かなくて大丈夫です! それにここから先は大きい道路にでますし、人も多くてそこまで男の人の事気になりませんから」
明日香も慌てて立ち上がり、これ以上の迷惑はかけられないと、春の申し出を断った。春は分かったと頷く。
春「そう? 分かった。気をつけてね」
明日香「はい! ありがとうございました!」
明日香はぺこりと頭を下げて公園から出ていく。けれど思いついたように振り返ると、まだベンチの前にいた春に大きく手を振った。
明日香「先輩! また明日!」
時刻は夕方に差し掛かっていた。オレンジ色が公園を、明日香と春を包んでいる。春は少し目を丸くすると、眩しそうに細めて明日香に手を振った。
春「……うん。じゃあね」
○学校・教室(昼休み)
明日香「って事が昨日あったんだ」
雛美「なにそれっ! 何かドラマ見たい! 先輩カッコいい〜!」
次の日の昼休み、明日香はお昼のお弁当を食べながら、雛美に昨日の放課後の出来事を話した。雛美はきゃあー!と良いリアクションをしながら最後まで聞いてくれた。明日香も雛美の言葉に同意する。
明日香「カッコいいよね。まさしく王……」
✕ ✕ ✕
〈フラッシュバック〉
春「そっか……。みんな勘違いしてるんだよね。私は王子様なんて、そんないいものじゃないのに」
✕ ✕ ✕
明日香「…………」
王子、と続こうとした明日香の言葉は、昨日春が言ったことを思い出したため、口をつぐんだ。
その様子に気付かず雛美が申し訳無さそうに眉を下げる。
雛美「でも、ごめんね、昨日……。私が一緒に帰ってれば、明日香も怖い思いしなかったのに……」
明日香「そんな、気にしないで! 雛ちゃんにはもういっぱい助けて貰ってるしさ。それに私、高校生のうちに男の人が苦手なの克服するつもりだから、慣れていかないとね!」
むんっとガッツポーズを明日香がすると、雛美は破顔した。
雛美「明日香凄い! 私に出来ることがあったら言ってね!」
明日香「うん! ありがと!」
二人はえへへと笑い合う。丁度二人がお弁当を食べ終わった頃、同じクラスの女生徒が明日香を呼んだ。
クラスメイト1「間宮さん、化学の先生が呼んでたよ。次の授業に使う備品出し、手伝ってほしいんだって」
明日香「あ、私今日日直だからか……ありがと! すぐ行くね」
明日香はクラスメイトにお礼を言うとお弁当を片付け立ち上がる。
雛美「私も手伝おうか?」
明日香「ううん、大丈夫。すぐ終わらせて戻ってくるね」
雛美「わかった。いってらっしゃーい」
雛美がひらひらと手を振り、明日香も振り返すと教室を出る。
○学校・廊下(昼休み)
明日香「(えーと、化学室はこっちの方……)あれ、」
階段を上る春を見つける明日香。後ろから声をかける。
明日香「間宮先輩!」
春「あ、朝見さん」
階段の途中で振り返って明日香を見つける春。その前方から丁度バケツを持って階段を降りて来る女生徒。話に夢中で春に気付いていない。
明日香「っ! 先輩! 危ないっ!」
春「え――」
明日香は叫び階段を駆け上がろうとする。
春は後ろを振り返ると、バケツとぶつかり全身に水がかかる。女生徒は驚いてバケツを手から離してしまい、春に駆け寄ろうとしていた明日香の頭に当たってしまう。
明日香「うっ!」
コーンと当たり、明日香はふらりと倒れる。駆け寄る春。
春「朝見さんっ!? 朝見さん!」
そのまま明日香は意識が無くなる。
○学校・保健室(授業中)
依「――軽く頭を……問題ない――」
明日香(……ん、何だろ……声、が……)
明日香はぼんやりと目を覚ます。かすかに喋る声が聞こえる。
依「春は早く着替えて……何かしたら――」
春「――れを、何だと思って――」
明日香(間宮先輩の、声……)
一人は保健教諭の白鳥依、もう一人は春だと声で分かる。
ガラガラと扉の開く音と閉じる音がして、誰かが出ていったのだと分かる。すると直ぐにカーテンで仕切られた隣のベッドに誰かが来て、衣擦れの音がし始める。
春「あ〜……びしょびしょ……」
明日香(……ん……隣にいるのは、先輩……?)
声で隣にいるのは春だと分かった明日香。ぼんやりとした意識が急激に浮上する。
明日香(先輩は、無事!?)
意識が亡くなる寸前の事を思い出して、明日香はがばりと体を起こすと、勢い良く隣のカーテンを開けた。
明日香「先輩! 大丈夫で――……」
明日香の言葉は途中で切れる。目の前にはボクサーパンツ一枚の春がいた。胸は無く、体は男性のもの。
春「あ、さみ、さ……」
固まる明日香と、青い顔で呟く春。明日香はすうっと息を吸った。
明日香「…………おとっ、うむっ!!」
春「しぃー!!!!」
男がいる、と叫ぼうとした明日香の口を、春が勢い良く両手で塞ぐ。そのまま明日香は春と一緒にベッドに倒れ込む。
明日香「んむぐんむむんっ!?!?(なんで男が!?!?)」
春「言いたいことは分かる。言いたいことは分かるけど叫ぶのだけは止めてほしい! ちゃんと説明するからっ!」
必死な顔で弁解しようとする春に、口を塞がれて苦しい明日香はとりあえずこくこくと頷く。春が恐る恐る手を口から離すと、明日香は矢継ぎ早に大きな声で春に詰め寄った。
明日香「ぷはっ! どういうことなんですか何で男っていうか間宮先輩って男なんですかなんで女装して女子高に、むぐっ」
春はまた明日香の口を塞ぎ、疲れたように懇願する。
春「頼むから静かにしてくれっ……!」
明日香「むーっ!!!!」
明日香はまだまだ言いたいことがあると暴れる。
春「あー……どうすれば……!」
春は項垂れる。と、思いついたように明日香の顔を見て言い聞かせるように見つめた。
春「わかった! わかった、こうしよう!」
明日香「うむっ」
春「君は俺が男だってことを誰にも言わずに黙っておく」
明日香「むむんっ!(なんでっ!)」
春「そのかわり、」
納得がいかないと目で訴える明日香に、春は少し不敵に笑った。
春「君の男性が苦手というコンプレックスを俺が治す」
明日香「うむっ!? 治せるんですか!?」
明日香は緩くなった春の両手を引き剥がし、春に問う。春は息を吐いて着替えのジャージを着る。
春「治せそうな方法に心当たりがある」
明日香「それってどんな……!」
春「それは――……」
春は明日香を見る。そして起き上がっていた明日香の肩をとんと押すと、またベッドへと押し倒した。するりと明日香の手に自身の手を重ねる。
明日香「え、」
春「朝見さん――いや、明日香ちゃん」
呆然とする明日香。春は楽しそうに、にこりと笑った。
春「君が、俺と付き合うこと」
明日香「は、」
「はあああ!?!?!?」
明日香の声が、保健室に響き渡った。
絵本を読む幼稚園生の明日香。
絵本には王子様とお姫様の絵が描かれている。
明日香М「子供の頃から、王子様に憧れていた」
「優しくて格好良くて、お姫様のことを一番に愛してくれる王子様」
「いつか私もそんな人と出会って恋がしたい」
「ずっと、そう思っていた」
「でも、」
絵本を泣きながら破く小学生の明日香。
明日香М「現実には王子様なんていなくって」
「あの日以来、男の子が苦手なってしまった私は」
ゴミ箱に破いた絵本を捨てる明日香。
明日香М「王子様の夢を見るのを止めた」
「そして――……」
(回想終了)
○学校・校門前(朝)
明日香「ついに……!」
『白馬女子高等学校』と書かれた門柱の前で生唾を飲む明日香。周囲には女生徒しかいない。
明日香М「王子様の夢を見るのを止めた私は、」
「女子高に入学したのだった」
○学校・校門内(朝)
明日香(見渡す限り女子、女子、女子!)
(うわーん落ち着くよ〜! こんなに素晴らしい場所があったなんて!)
雛美「明日香ー!」
きょろきょろとする明日香のもとに友人の榎本雛美が笑顔で走ってくる。
二人は再会を手を合わせて喜ぶ。
明日香「雛ちゃん! おはよー! またおんなじ学校嬉しいよぉ〜!」
雛美「私もだよぉ〜! ねねっ! しかもさっきクラス表見に行ったら、私達同じクラスだったよ!」
明日香「ほんとっ!? やったぁ!」
雛美「これからもよろしくね!」
明日香「うんっ!」
笑顔で頷く明日香に、雛美が思い出した顔でプリントを差し出す。
雛美「あ、そうだ。これ、今日のプログラム! クラス表のとこに置いてあったから、明日香の分も貰っておいたよ」
明日香「わっありがと……きゃっ」
雛美「あっ」
突然の突風に明日香の手からプリントが飛んで行き、桜の木の枝に引っかかる。
明日香「あ……あんなとこに…」
雛美「あれは届かないね……先生に言ってもう一枚貰おうか」
プリントを見上げて雛美は明日香に言うが、明日香は考えるように唸る。
明日香「ん〜でもせっかく雛ちゃんが貰ってきてくれたし……ちょっとだけ背伸びすれば届くかも」
雛美「そうかなぁ。危ないことはしないでね」
明日香「しないよ。大丈夫!」
明日香は桜の木に近づくと、背伸びをしてプリントに手を伸ばす。
明日香「んっ〜」
プリントに指はかするけれど掴めない。
明日香「届かない……」
明日香はプリントを見上げると、木の幹に足をかける。
明日香「ちょっとだけ……足かけるだけ……」
雛美「明日香大丈夫?」
明日香「大丈夫、だいじょー……わっ!」
雛美「明日香っ!」
手を伸ばしプリントに指が触れたところで、明日香はバランスを崩して後ろに倒れそうになる。
明日香(転ぶっ!)
咄嗟に目をつぶって衝撃に備える明日香。けれど想像している痛みはなく、明日香は遅る遅る目を開ける。
明日香(……あれ? 痛く、ない……?)
春「大丈夫?」
間宮春が明日香を後ろから抱き留め、心配そうに顔を覗く。明日香は驚いた表情でその顔を見つめる。
明日香「お」
春「お?」
明日香「男っ!?」
明日香は叫ぶと飛びのいて春と距離を取る。春はきょとんとするが、すぐにくすくすと笑って自身のスカートの裾をちょいと持ち上げた。
春「違うよ。ほら」
明日香「スカート……あっす、すみませんっ! 失礼なことをっ……!(女子高なんだから男子生徒がいるはずないじゃん私のバカ~! ボーイッシュでハスキーな美声の美人さんじゃん!)」
明日香は慌てて頭を下げる。春は笑って首を振る。
春「気にしないで。よく間違われるから」
「怪我は……なさそうだね。はい、これ」
春は手を伸ばすと枝にかかっていたプリントを取って明日香に手渡す。
明日香「あ、プリント……」
春「気をつけてね。もう飛ばしちゃっても、木に登ろうとなんてしちゃ駄目だよ」
春は思い出したのかくすくすとまた笑う。明日香は顔を赤くしながらもぺこりと頭を下げた。
明日香「すっすみませんでした……! ありがとございます!」
春「うん。じゃあね」
春は優雅に手を振って明日香に背を向ける。するとすぐに女生徒達が春の周りに集まった。
女生徒1「間宮先輩、かっこよかったです~♡」
女生徒2「やっぱりお優しいのね♡」
女生徒3「間宮さん、教室まで一緒に行こっ♡」
女生徒達は口々に春を褒めたり話しかけたりしていて、春はどの子にも笑顔で対応している。
そんな春達の後ろ姿を眺めながら、明日香は圧倒されたようにぽけっと口を開けた。
明日香「…………」
雛美「ちょっと明日香! ラッキーじゃん!」
するとすぐに雛美が寄ってきて、明日香の肩をがくがくと揺らす。明日香は困惑しながらされるがままに揺すられる。
明日香「えっ何が?」
雛美「何がって、あの人よ! 明日香を助けてくれたあの人、この学校じゃ超有名人なんだからっ!」
明日香「そのようだね……」
興奮する雛美に明日香は女生徒の群れを引き連れて歩いて行く春の後ろ姿を見る。雛美も同じように春の後ろ姿を見ながら続けた。
雛美「二年の間宮春先輩っていって、容姿端麗、文武両道。おまけにあの優雅で優しい性格でしょ? 学年関係なく人気があって、ついたあだ名が白馬の王子様!」
明日香「王子様……」
明日香はごくりと生唾を飲む。雛美はこっくりと頷いた。
雛美「そう! そんな人に入学早々抱き締められるなんて、羨ましい〜」
明日香「抱き締めっ……! 助けてくれただけだよ!」
明日香は訂正しようと慌てて声を上げる。雛美はびしっと明日香の顔を指さした。
雛美「それがラッキーだって言ってんの! 王子とお近付きになりたい女子なんて、この学校じゃ山程いるんだから!」
明日香「雛ちゃん、やけに詳しいね……」
雛美「お姉ちゃんの友達がここの生徒だったから聞いたことあるんだぁ。三月に卒業しちゃったけど。王子の写真見せてもらったことあるけど、実物は段違いね」
明日香「うん。かっこよかったね」
明日香は雛美に同調するようにほほ笑む。けれど頭の中では自分で破いた絵本の王子様が浮かんでいた。
明日香(王子様、か……)
○学校・教室(放課後)
明日香「雛ちゃん、帰ろー」
全ての授業が終わったざわざわとした教室で、明日香は雛美に声をかける。雛美は申し訳なさそうに手を合わせた。
雛美「ごめん明日香! 私部活入ろうかなって思っててさ、これから見学に行くんだ」
明日香「へぇー! 何部?」
明日香は興味深そうに尋ねる。雛美はうーんと腕を組んだ。
雛美「まだ考え中。何個かまわろうかなって。明日香も行く?」
明日香「んー私はいいや。じゃあ明日ね、雛ちゃん!」
明日香は首を振って笑顔で雛美に手を振る。雛美も明日香に笑顔で手を振った。
雛美「うん! 明日ね〜」
○通学路(放課後)
通学路を明日香は一人で歩く。狭い道で人はまばら。
明日香(部活かぁ〜雛ちゃん何部に入るんだろうなぁ。スポーツ出来るし運動部かな。でも手先も器用だし、文化部も合うだろうな)
男1「あはははっ!」
明日香「っ!」
考えごとをしながら歩いていると、突然の大きな笑い声に明日香は驚いて肩を跳ねさせる。明日香の進行方向では三人の男性が立ち話をしている。
男2「お前何言ってんだよっ!」
男3「馬鹿じゃねぇの!」
明日香(男の人達……)
(別の道から……でもまだここしか通り道知らないし……)
明日香はきょろっと周りを見るが、意を決したように肩にかけた鞄の持ち手をぎゅっと握る。
明日香(……行こう。横を通るだけなんだから、大丈夫だよ)
明日香は極力男性の方を見ないようにしながら普通を装って歩く。
明日香(大丈夫、大丈夫。あの人達は私のことを笑ってるわけじゃない。大丈夫……)
男3「ははははっ!」
明日香(っ……!)
男性の笑い声に、明日香はぎゅっと目を閉じる。
明日香(どうしよう、心臓がドキドキする……。怖い……!)
明日香の手は微かに震え、男性達の手前で足が止まりそうになる。すると、ぽんっと明日香の背中に軽く手が添えられた。
春「大丈夫だよ」
明日香「えっ……」
聞こえた声に明日香は顔を上げる。春が優しい顔で明日香を見ていた。そしてまたぽんっと背中を叩く。
春「大丈夫。一緒に行こう」
明日香「っ……」
明日香は込み上げてくるものを飲み込みながら頷く。春は明日香と男性達の間を歩いてくれた。
○公園(放課後)
春「はい、これ」
ベンチに座る明日香に、春がペットボトルのお茶を差し出す。
明日香「ありがとうございます……あ、お金」
明日香が受け取って財布を取ろうと鞄を開けようとすると、春は笑って制止した。
春「いいよ、これぐらい。一年生、だよね? 先輩に格好付けさせて」
春は明日香の隣に座ってペットボトルを開けるとお茶を飲む。明日香も同じようにペットボトルを開けた。
明日香「すいません……ありがとうございます」
春「それより、大丈夫? あの人達……知り合い、とか?」
聞かれた言葉に明日香は慌ててお茶を喉に流し込むと首を振った。
明日香「いっいえいえ! 全然知らない人達です! ただ……私、男の人が苦手で……」
春「……男が?」
春が慎重に聞き返す。明日香はなんでもない事だというように少し笑って頷いた。
明日香「はい。昔はそうじゃなかったんですけど。――小学校六年生の時です」
○(回想)明日小学生時代
明日香М「同じクラスで、仲の良い男の子がいたんです。同じ委員で、話が合って。委員会終わりなんかは良く一緒に帰ったりしてました」
「今思えば、ちょっと好きになってたんです」
「でも、ある時一緒に帰ってるところを同じクラスの男の子達に見られたみたいで」
「次の日、教室に入ったら――」
黒板には『朝見明日香♡伊瀬斗真カップル誕生』と書かれている。
驚き固まる明日香。その前には既に伊瀬斗真が立っている。二人を男子達が囃し立てる。
男子1「斗真! 彼女が来たぞっ!」
男子2「付き合うってことは! あんなことやこんなこと、しちゃうって事!?」
男子3「やったじゃん斗真〜!」
男子4「ていうかキス! しちゃえよ!」
男子2「キース! キース!」
斗真は下を向き、明日香は青ざめる。
女子1「ちょっと! 止めなよ男子!」
女子2「酷いって!」
男子1「うるせぇよ!」
男子4「キース! キース!」
女子に制止されても止めない男子。
斗真が下を向きながらぽつりと言う。
斗真「……誰が、」
明日香「え……?」
明日香が斗真を見る。斗真は顔を上げると吐き捨てるように言う。
斗真「誰がこんなブスとするかよ!」
静かに泣き出す明日香。女子が集まって明日香を慰める。
○(回想終了)
明日香「その後やってきた先生に男の子達は叱られて、私に謝ってくれましたし、こんな事は一度きりで、これ以降からかわれることはありませんでした」
明日香は手の中のペットボトルを見つめて少し笑う。
明日香「今にして思えば、小学生なんて付き合ってるとかに敏感なのにそれを恥ずかしがる時期だし、伊瀬君……私と一緒にからかわれた子も、囃し立てられて恥ずかしくなってあんな事言っちゃったって分かってるんです」
「なのに、私はあれ以来男の子が苦手になっちゃって。笑ったりしてる姿を見ると私の事言われてるんじゃないかって、そう思うと怖くて、心臓がドキドキして……」
明日香はきゅっと心臓の辺りを掴むと、誤魔化すように顔を上げて笑った。
明日香「情けないですよね。これからの事を考えると治さなきゃって思うんですけど、高校、つい女子高選んじゃって……。あ、でも、女子高だからこそ、ゆっくりゆっくり、この三年のうちに男子が苦手なこと、治そうかな、とか思ったり……」
最後は尻すぼみに声を抑え、へへっと笑った。
明日香「治す方法は、模索中ですけど……」
春「……そっか」
明日香「あっ……すいませんっ! 私自分の事べらべらと……! つまんないですよね、こんな話っ……!」
明日香が慌てて言うと、春は微笑んで首を振った。
春「ううん。つまらなくなんてないよ。情けなくもない。もしろ、カッコいいよ」
明日香「えっ……私が……?」
春「うん。怖いことに立ち向かおうとしてる。凄い勇気だ。誰にだって出来ることじゃない」
春に褒められ、明日香は照れながらも嬉しそうに笑う。
明日香「え、えへへ……。そう言われると、嬉しい、です……」
春「うん。誇って良いことだ。……私には到底、真似出来ない」
明日香「間宮先輩……?」
春が呟くように言った言葉に、明日香は不思議そうに春のことを呼ぶ。春はにこりと笑って誤魔化した。
春「何でもないよ。君の挑戦を私は応援する。頑張ってね。……えっと、」
春がまごついたので、明日香は自己紹介をしていなかったことに気付く。
明日香「あっ、朝見明日香です。今朝もありがとございました! 間宮先輩っ!」
春「ふふっ、勿論覚えてるよ。でも朝見さん、なんで私の名前知ってるの?」
春の不思議そうな問いかけに、明日香は噂話をしていた罪悪感から少しバツが悪そうに言った。
明日香「あ……先輩はうちの学校では有名人だって友達から聞いて、それで色々教えてもらいまして……」
春「ああ、そういうことか。王子って?」
明日香「はい。白馬の王子様って……」
春「そっか……。みんな勘違いしてるんだよね。私は王子様なんて、そんないいものじゃないのに」
明日香「え……」
春の自嘲したような声と言葉に明日香は驚く。けれど春は何事もなかったように公園の時計を見て立ち上がった。
春「あ、ごめんね。もう帰ろうか。歩き? 電車? 送っていくよ」
明日香「えっ、そんな、そこまでして頂かなくて大丈夫です! それにここから先は大きい道路にでますし、人も多くてそこまで男の人の事気になりませんから」
明日香も慌てて立ち上がり、これ以上の迷惑はかけられないと、春の申し出を断った。春は分かったと頷く。
春「そう? 分かった。気をつけてね」
明日香「はい! ありがとうございました!」
明日香はぺこりと頭を下げて公園から出ていく。けれど思いついたように振り返ると、まだベンチの前にいた春に大きく手を振った。
明日香「先輩! また明日!」
時刻は夕方に差し掛かっていた。オレンジ色が公園を、明日香と春を包んでいる。春は少し目を丸くすると、眩しそうに細めて明日香に手を振った。
春「……うん。じゃあね」
○学校・教室(昼休み)
明日香「って事が昨日あったんだ」
雛美「なにそれっ! 何かドラマ見たい! 先輩カッコいい〜!」
次の日の昼休み、明日香はお昼のお弁当を食べながら、雛美に昨日の放課後の出来事を話した。雛美はきゃあー!と良いリアクションをしながら最後まで聞いてくれた。明日香も雛美の言葉に同意する。
明日香「カッコいいよね。まさしく王……」
✕ ✕ ✕
〈フラッシュバック〉
春「そっか……。みんな勘違いしてるんだよね。私は王子様なんて、そんないいものじゃないのに」
✕ ✕ ✕
明日香「…………」
王子、と続こうとした明日香の言葉は、昨日春が言ったことを思い出したため、口をつぐんだ。
その様子に気付かず雛美が申し訳無さそうに眉を下げる。
雛美「でも、ごめんね、昨日……。私が一緒に帰ってれば、明日香も怖い思いしなかったのに……」
明日香「そんな、気にしないで! 雛ちゃんにはもういっぱい助けて貰ってるしさ。それに私、高校生のうちに男の人が苦手なの克服するつもりだから、慣れていかないとね!」
むんっとガッツポーズを明日香がすると、雛美は破顔した。
雛美「明日香凄い! 私に出来ることがあったら言ってね!」
明日香「うん! ありがと!」
二人はえへへと笑い合う。丁度二人がお弁当を食べ終わった頃、同じクラスの女生徒が明日香を呼んだ。
クラスメイト1「間宮さん、化学の先生が呼んでたよ。次の授業に使う備品出し、手伝ってほしいんだって」
明日香「あ、私今日日直だからか……ありがと! すぐ行くね」
明日香はクラスメイトにお礼を言うとお弁当を片付け立ち上がる。
雛美「私も手伝おうか?」
明日香「ううん、大丈夫。すぐ終わらせて戻ってくるね」
雛美「わかった。いってらっしゃーい」
雛美がひらひらと手を振り、明日香も振り返すと教室を出る。
○学校・廊下(昼休み)
明日香「(えーと、化学室はこっちの方……)あれ、」
階段を上る春を見つける明日香。後ろから声をかける。
明日香「間宮先輩!」
春「あ、朝見さん」
階段の途中で振り返って明日香を見つける春。その前方から丁度バケツを持って階段を降りて来る女生徒。話に夢中で春に気付いていない。
明日香「っ! 先輩! 危ないっ!」
春「え――」
明日香は叫び階段を駆け上がろうとする。
春は後ろを振り返ると、バケツとぶつかり全身に水がかかる。女生徒は驚いてバケツを手から離してしまい、春に駆け寄ろうとしていた明日香の頭に当たってしまう。
明日香「うっ!」
コーンと当たり、明日香はふらりと倒れる。駆け寄る春。
春「朝見さんっ!? 朝見さん!」
そのまま明日香は意識が無くなる。
○学校・保健室(授業中)
依「――軽く頭を……問題ない――」
明日香(……ん、何だろ……声、が……)
明日香はぼんやりと目を覚ます。かすかに喋る声が聞こえる。
依「春は早く着替えて……何かしたら――」
春「――れを、何だと思って――」
明日香(間宮先輩の、声……)
一人は保健教諭の白鳥依、もう一人は春だと声で分かる。
ガラガラと扉の開く音と閉じる音がして、誰かが出ていったのだと分かる。すると直ぐにカーテンで仕切られた隣のベッドに誰かが来て、衣擦れの音がし始める。
春「あ〜……びしょびしょ……」
明日香(……ん……隣にいるのは、先輩……?)
声で隣にいるのは春だと分かった明日香。ぼんやりとした意識が急激に浮上する。
明日香(先輩は、無事!?)
意識が亡くなる寸前の事を思い出して、明日香はがばりと体を起こすと、勢い良く隣のカーテンを開けた。
明日香「先輩! 大丈夫で――……」
明日香の言葉は途中で切れる。目の前にはボクサーパンツ一枚の春がいた。胸は無く、体は男性のもの。
春「あ、さみ、さ……」
固まる明日香と、青い顔で呟く春。明日香はすうっと息を吸った。
明日香「…………おとっ、うむっ!!」
春「しぃー!!!!」
男がいる、と叫ぼうとした明日香の口を、春が勢い良く両手で塞ぐ。そのまま明日香は春と一緒にベッドに倒れ込む。
明日香「んむぐんむむんっ!?!?(なんで男が!?!?)」
春「言いたいことは分かる。言いたいことは分かるけど叫ぶのだけは止めてほしい! ちゃんと説明するからっ!」
必死な顔で弁解しようとする春に、口を塞がれて苦しい明日香はとりあえずこくこくと頷く。春が恐る恐る手を口から離すと、明日香は矢継ぎ早に大きな声で春に詰め寄った。
明日香「ぷはっ! どういうことなんですか何で男っていうか間宮先輩って男なんですかなんで女装して女子高に、むぐっ」
春はまた明日香の口を塞ぎ、疲れたように懇願する。
春「頼むから静かにしてくれっ……!」
明日香「むーっ!!!!」
明日香はまだまだ言いたいことがあると暴れる。
春「あー……どうすれば……!」
春は項垂れる。と、思いついたように明日香の顔を見て言い聞かせるように見つめた。
春「わかった! わかった、こうしよう!」
明日香「うむっ」
春「君は俺が男だってことを誰にも言わずに黙っておく」
明日香「むむんっ!(なんでっ!)」
春「そのかわり、」
納得がいかないと目で訴える明日香に、春は少し不敵に笑った。
春「君の男性が苦手というコンプレックスを俺が治す」
明日香「うむっ!? 治せるんですか!?」
明日香は緩くなった春の両手を引き剥がし、春に問う。春は息を吐いて着替えのジャージを着る。
春「治せそうな方法に心当たりがある」
明日香「それってどんな……!」
春「それは――……」
春は明日香を見る。そして起き上がっていた明日香の肩をとんと押すと、またベッドへと押し倒した。するりと明日香の手に自身の手を重ねる。
明日香「え、」
春「朝見さん――いや、明日香ちゃん」
呆然とする明日香。春は楽しそうに、にこりと笑った。
春「君が、俺と付き合うこと」
明日香「は、」
「はあああ!?!?!?」
明日香の声が、保健室に響き渡った。
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