春に明日
2話
○学校・保健室(授業中)
春「しぃー! 静かにっ!」
叫ぶ明日香の口を慌てて塞ぐ春。明日香は春の手をどかしながら声を抑えつつ困惑する。
明日香「だ、だって……! 付き合うって、それでどうして男の人が苦手な事が治るんですか……!」
春はようやく声を抑えてくれた明日香に安堵のため息を吐いた。
春「置き換えるんだよ」
明日香「置き換える……!?」
春「君は男の人が笑ったりしていると怖くて心臓がドキドキすると言ったね」
明日香「言いましたけど……」
春「そのドキドキを、恐怖ではなく別のものに置き換えるんだ」
くるりと人差し指を回す仕草をする春。明日香は首を傾げる。
明日香「別のもの?」
春「例えば、」
春は明日香の頬に手を伸ばす。口を塞いだ時とは全く違う、意識させるように頬を撫でる。
明日香「えっ、ちょっ……! 先輩、何して、」
明日香はドギマギと距離を取ろうとするが、離れた分春が近づく。
明日香「せんぱ……!」
春「ドキドキ、した?」
春はふっと悪戯っ子ぽく微笑む。明日香はぽかんと口を開けた。
明日香「へ、」
春「どう? 心臓、早くなってる?」
春は明日香の頬に触れていた手で明日香の心臓を指さす。
明日香「そ、そりゃなりますよ! こんな……!」
春「よかった」
明日香「よかった……?」
春「男への負のドキドキを、そういう……ときめき? とかに置き換えて行けばいいんじゃないかって思ってね」
春の言葉に明日香はカッと顔を赤くさせる。
明日香「と、ときめき!? 今のは先輩が急にあんなことするから!」
春「後は単純に、付き合えば男に慣れていけると思う」
明日香の抗議をスルーして、春はふふっと笑う。
明日香「で、でも……」
春「明日香ちゃん」
答えを出しかねる明日香に春は真剣な顔で名前を呼ぶ。
春「俺は君を笑ったり馬鹿にしたり――泣かせたりしない」
「それだけは誓うよ」
明日香「先輩……」
春「だから、俺と付き合って」
春は開いていた明日香との距離をまた詰める。
春「君の事を守るかわりに、俺の事も守って」
明日香「せん、ぱ」
明日香の手を取る春。春は間近で見る真摯な春の顔に目が離せない。
依「こら、」
突然春の頭がはたかれる。
春「いっ!」
明日香「ひっ!」
春は痛がり、明日香は突然目の前の春の頭が叩かれたことに驚く。
依「何をしてるんだ」
春の後ろには保健教諭の白鳥依が手を腰に当て立っている。右手にはバインダーがあり、それで春の頭を叩いた事が分かる。
明日香「せ、せんせい……」
依「朝見、大丈夫か?」
明日香「は、はい……私は大丈夫です、けど……」
明日香はちらりと春を見る。春は頭を抑えて悶えている。依はふぅと息を吐く。
依「やはり見た目を取り繕ってもオスだな。二人きりにするんじゃなかった」
春「依さん、誤解……! 誤解だから!」
依「馬鹿者」
春「うっ!」
立ち上がって依に抗議しようとする春だが、また依に頭をバインダーではたかれる。
依「依さんと言うな。学校では白鳥先生と呼びなさい」
明日香「依さん……? どういう事なんですか……!? というか先生は間宮先輩のことを知ってるんですか!?」
依「……こうなってはしょうがない。詳しく話しなさい」
明日香を見て、依はため息と共に春を見た。春は一つ頷く。
春「明日香ちゃん。俺が女装してこの白馬女子高等学校に入学したのには、ちゃんと理由があるんだ」
春は明日香の隣のベッドに腰を下ろす。依は窓際にもたれた。
春「まず、明日香ちゃんはこの学校の理事長を知ってるね?」
明日香「は、はい。入学式の時に挨拶されてましたよね。それに、学校のパンフレットにも……確か、白鳥……とか……あっ!」
その名前を出した時、明日香は合点がいったと依を見る。依はこくりと頷いた。
依「そう、私は理事長の白鳥吉信の娘だ。そして春が――」
春「依さんの――弟で、理事長の白鳥の、息子だよ」
明日香「えっ!? 白鳥先生の弟で理事長の息子!? で、でも、間宮先輩、名字が……!」
春「……母親のね、旧姓なんだ。白鳥姓のままだとそこから男だとバレる可能性があるからね。この学校のなかでだけ違う名字を名乗ってるんだよ」
明日香「でも、どうして理事長の息子さんが女子高で女装を……?」
納得がいかない明日香の疑問に、春は真剣な面持ちで言った。
春「この学校を継ぐ為だよ」
明日香「学校を……?」
春「俺は将来、父からこの学校を継いで理事長になりたいと思ってる。でも父は……まあ、なんというか面白い事が好きな変人でね」
「この学校を継ぐならこの学校に通い、中から知ってより学校を良くしていく人物でなければならない、なんて言うんだよ」
明日香「それってつまり、」
春「男の俺が女子高に通ったら、学校を継がせるってこと」
明日香「そんな無茶苦茶な……!」
驚き声を上げる明日香に、春は苦笑いする。
春「無茶苦茶な人なんだよ」
「俺がこの学校を継ぐにはこの学校に通わなければならない。でもここは女子高で、俺は男。ならもう――」
「女装、するしかないでしょ」
春は依を見上げる。
春「白鳥先生はそれを手伝ってくれてるんだよ」
依「弟が女の園で変なことをしないように監視も兼ねてな」
春「だからそんな事しないって言ってるじゃないですか……」
腕を組んでため息を吐く依に、春は苦笑いで返す。そんな二人の前で明日香はガクリとベッドに両手をつく。
明日香「り、理解出来ないっ……!」
依「無理もない」
春「理解出来ないのは分かるよ。でも俺は本気なんだ」
「本気で、この学校を継ぎたいと思ってる」
「でも君がこの事をみんなにバラすなら、俺は勿論、現理事長の父もその任を解かれるだろう。まあ、当然だけどね」
春は肩を上げて息を吐き、それから明日香を真っ直ぐに見つめた。
春「だから、君にはこの事を秘密にしていて欲しいんだ」
明日香「うっ……」
春「お願いだ。この学校に通っているのは決して邪な気持ちでじゃない。ただ……ただ、俺は……」
依「…………」
春は何かを考えるように言葉を途切れさせ下を向く。依は無言でそんな春を見つめた。明日香はその様子に首を傾げる。
明日香「先輩……?」
春はピクリと肩を跳ねさせると顔を上げた。先ほどまでと変わらない様子に明日香は不思議に思うが、喋りだす春にその不思議に思った事も拡散する。
春「……さっき言った通り、君にも損はさせない。君の治したがっている男性への恐怖心も俺が無くさせる」
「だからお願い。俺の共犯者になって欲しい」
明日香「うぅ〜…………」
真摯に明日香を見つめて頭を下げた春に、明日香は答えを出しかねて唸る。けれど時期に声を出した。
明日香「わ」
「わかりました」
「共犯者に、なります」
春「明日香ちゃん!」
春は嬉しそうに明日香の名前を呼び、明日香の両手を握った。
春「ありがとう! ほんとにありがとう!」
明日香「ま、まあ、先輩には二度も助けてもらいましたし……」
明日香は照れながら目線を彷徨わせる。春はきょとんとして、それから嬉しそうに笑った。
春「これからも、君の事を助けるよ」
明日香「え?」
春「そうだ。俺の事、間宮先輩、じゃなくて春って呼んでよ」
明日香「え、え? 何でそうなるんですか?」
春「何でって……さっき言ったでしょう。間宮はこの学校だけで使ってる名字だって。本当は俺、白鳥春だから。俺の秘密を知ってる君には本当の名前で呼んで欲しいんだ。でも白鳥って呼んだら俺の正体バレちゃうし……だから、ね?」
明日香「ええ!? でも、それは、その……!」
春「ね?」
にこりと笑って首を傾げる春に、明日香はううっと二の句が告げない。うーんと考えて、明日香はそっとその名前を呼んだ。
明日香「……はる、先輩……」
春「うん」
春は嬉しそうに笑うと、握っていた明日香の手を唇に近づけ、音だけのキスをする。
明日香「ぴっ!」
春「これからよろしくね、明日香ちゃん」
春はすりっと明日香の手を自分の頬に触れさせて微笑む。
明日香「は、はひぃ……」
依「やれやれ……どうなる事やら」
キャパオーバーで頭がふらふらの明日香とにこにこ微笑む春を見ながら、依はため息を吐いた。
依「さて、話もまとまった事だし、朝見はもう帰りなさい」
依は預けていた壁から体を離し、椅子に座って言った。明日香は戸惑いながら依を見る。
明日香「え、でもまだ授業が残って……」
依「水が全てこぼれた後の軽いバケツで、落ちてきた高さも無かったとはいえ、頭を打って昏倒したんだ。今日は安静にしたほうがいい。君の担任にはさっき話してきたから」
明日香「……分かりました。じゃあ荷物取ったら帰ります」
明日香は頷いて立ち上がる。依は明日香を見上げた。
依「うん。少しでも違和感があったり、頭が痛むようなら直ぐに病院に行くように」
明日香「はぁい」
春「じゃあ俺も帰ろうかな」
明日香に続いて立ち上がった春を、依は怪訝な顔で見る。
依「お前は水を被っただけだろう。着替えもしたし問題ないと思うが」
春「この格好だと男成分が多くて不安なんですよ。体育とかで皆が同じ格好ならまだしも、俺だけジャージっていうのは変に目立ちそうだし……」
明日香「……確かに」
明日香は春の言葉に顎に手を添えて頷く。今の姿は上下ジャージのため、いくら顔の美しい春でも流石に男性寄りに見えてしまう。
依「はぁ……しょうがないな。担任には私から、水を被ったせいで熱が出そうとかなんとか適当に言っておく。春も荷物取ったら帰りなさい」
春「分かりました」
明日香「じゃあ、ありがとうございました。白鳥先生」
春「さようなら、白鳥先生」
明日香と春は保健室の入り口で依に手を振る。依も軽く振り返した。
依「はいはい。行った行った」
○学校・廊下(授業中)
春「じゃあ、お互い荷物取ったら校門前に集合して帰ろうか」
保健室を出たところで春は明日香に提案するが、明日香は別々に帰るものと思っていたので驚く。
明日香「えっ!?」
春「え? どうせだし、途中まで一緒に帰らない?」
春は逆に明日香の態度に首を傾げ、ふふっと笑った。
春「私達、付き合ってるしね」
明日香「つ……! 付き合うとは言っても契約的な関係なんですから、含みを持たせるような言い方やめてください……! 変にドキドキするのでっ」
明日香は胸に手を当て言うが、春は軽やかに笑う。
春「ははっ、ドキドキしてほしいなぁと思ってるからね」
明日香「うう……」
○通学路
二人で歩いていると、学校が見えなくなったところで春がきょろきょろと辺りを見回す。
春「……ここらへんなら、大丈夫かな……」
明日香「春先輩? どうしました?」
春の様子に明日香が不思議そうに聞くと、春はにこりと笑って手を差し出した。
春「明日香ちゃん。手、握っていい?」
明日香「て……手っ!?
「な、なななな何で……!」
明日香はばっと自分の手を胸の前で握り込む。春はなんでもないように続けた。
春「治療の一環だよ。身体的接触も男克服にアリでしょう?」
明日香「う、」
春「ね。嫌なら直ぐ離れていいから。約束したからには男克服の手助けをしたいんだ」
春の言葉を聞き、明日香は恐る恐る手を差し出す。
明日香「……わ、かりました……」
春「ありがとう」
春は微笑んで明日香の手を握ると一緒に歩きだす。明日香は内心慌てる。
明日香(う、うわあ……握ってる……保健室ではそれどころじゃなくて意識できなかったけど……手、私よりおっきいな……)
明日香は春を見上げる。
明日香(……ほんとに、先輩って王子様みた、い……)
✕ ✕ ✕
〈フラッシュバック〉
斗真「誰がこんなブスとするかよ!」
✕ ✕ ✕
明日香「っ!」
記憶がフラッシュバックし、明日香は反射的に春の手を振り払う。
明日香「あ……」
明日香の突然の態度に春が少し驚いているのが見て取れ、明日香は慌てて春に弁解する。
明日香「先輩、あの、先輩のせいとかじゃなくて、その、」
春「大丈夫だよ」
春は優しく微笑むと、そっと明日香の背中に手を添える。
春「大丈夫。ね、」
春は明日香の背中をぽんぽんと叩き、明日香はほっとした顔で頷く。
明日香「……はい」
その明日香の様子を見て、春は明るい声をだして気分を変える。
春「あ、折角だし駅前のスタバとか行く? 新商品出てるよね」
明日香「あ! あれ私飲みたいと思ってたんです!」
明日香も春に釣られて明るく返す。春はふふっと笑う。
春「よし、じゃあ行こうか。私奢るよ」
明日香「え、そんな、悪いですよ」
春「いいからいいから。共犯者だけの特別サービスだよ」
明日香「もう、なんですか? それ」
春に背中を押されるように歩きながら、明日香は楽しげに笑う。
○スタバ・店内
飲み物を店員から受け取った二人は店内の席に座り、飲み始める。
明日香は一口飲んで顔を綻ばせる。
明日香「ん〜! 美味しい!」
春「ん、こっちも美味しいよ」
明日香と別のものを頼んでいた春も美味しそうに笑う。
明日香「ほんとですか? 次は私もそっちにしてみます!」
春「今飲みなよ。はい、」
明日香「ええっ!?」
春が飲んでいたものを差し出され、明日香は戸惑う。春は気にせず差し出す。
春「あーん」
明日香「こ、こんなの誰かに見られたら付き合ってるって思われますよ! 先輩が男だってバレちゃいます!」
春「今ジャージだから私のこと知らない人達には男女に見えてるだろうし、もし私のこと知ってる人がいても、女子同士で付き合ってるって言えば良いと思うけど?」
春は明日香にすぐ反論し、笑みを深める。
春「実際、付き合ってるし」
明日香「せ、先輩……!」
春「治療の一環、一環。はい、あーん」
引く様子のない春に、明日香は恐る恐る口を開ける。
明日香「……あ、あーん……」
明日香は差し出された飲み物のストローをくわえて飲む。春は明日香の顔を覗き込む。
春「どうかな?」
ストローから口を離した明日香は赤い顔でぽつりと言った。
明日香「美味しい、です……」
春「うん。良かった」
春は明日香に差し出していた飲み物を今度は自分で飲む。
春「美味しいね」
にこりと微笑む春に、明日香は赤い顔で頷くのだった。
○スタバ・店外
斗真「あれって……」
伊瀬斗真は店内にいる明日香と春を見つけて呟く。そこに斗真と同じ制服の数人の男子が近付いてくる。
男子1「斗真ー? 何してんだよ、行こうぜ」
斗真「あ、ああ……」
斗真は返事をすると、二人を気にしながらもグループに混ざって歩いて言った。
春「しぃー! 静かにっ!」
叫ぶ明日香の口を慌てて塞ぐ春。明日香は春の手をどかしながら声を抑えつつ困惑する。
明日香「だ、だって……! 付き合うって、それでどうして男の人が苦手な事が治るんですか……!」
春はようやく声を抑えてくれた明日香に安堵のため息を吐いた。
春「置き換えるんだよ」
明日香「置き換える……!?」
春「君は男の人が笑ったりしていると怖くて心臓がドキドキすると言ったね」
明日香「言いましたけど……」
春「そのドキドキを、恐怖ではなく別のものに置き換えるんだ」
くるりと人差し指を回す仕草をする春。明日香は首を傾げる。
明日香「別のもの?」
春「例えば、」
春は明日香の頬に手を伸ばす。口を塞いだ時とは全く違う、意識させるように頬を撫でる。
明日香「えっ、ちょっ……! 先輩、何して、」
明日香はドギマギと距離を取ろうとするが、離れた分春が近づく。
明日香「せんぱ……!」
春「ドキドキ、した?」
春はふっと悪戯っ子ぽく微笑む。明日香はぽかんと口を開けた。
明日香「へ、」
春「どう? 心臓、早くなってる?」
春は明日香の頬に触れていた手で明日香の心臓を指さす。
明日香「そ、そりゃなりますよ! こんな……!」
春「よかった」
明日香「よかった……?」
春「男への負のドキドキを、そういう……ときめき? とかに置き換えて行けばいいんじゃないかって思ってね」
春の言葉に明日香はカッと顔を赤くさせる。
明日香「と、ときめき!? 今のは先輩が急にあんなことするから!」
春「後は単純に、付き合えば男に慣れていけると思う」
明日香の抗議をスルーして、春はふふっと笑う。
明日香「で、でも……」
春「明日香ちゃん」
答えを出しかねる明日香に春は真剣な顔で名前を呼ぶ。
春「俺は君を笑ったり馬鹿にしたり――泣かせたりしない」
「それだけは誓うよ」
明日香「先輩……」
春「だから、俺と付き合って」
春は開いていた明日香との距離をまた詰める。
春「君の事を守るかわりに、俺の事も守って」
明日香「せん、ぱ」
明日香の手を取る春。春は間近で見る真摯な春の顔に目が離せない。
依「こら、」
突然春の頭がはたかれる。
春「いっ!」
明日香「ひっ!」
春は痛がり、明日香は突然目の前の春の頭が叩かれたことに驚く。
依「何をしてるんだ」
春の後ろには保健教諭の白鳥依が手を腰に当て立っている。右手にはバインダーがあり、それで春の頭を叩いた事が分かる。
明日香「せ、せんせい……」
依「朝見、大丈夫か?」
明日香「は、はい……私は大丈夫です、けど……」
明日香はちらりと春を見る。春は頭を抑えて悶えている。依はふぅと息を吐く。
依「やはり見た目を取り繕ってもオスだな。二人きりにするんじゃなかった」
春「依さん、誤解……! 誤解だから!」
依「馬鹿者」
春「うっ!」
立ち上がって依に抗議しようとする春だが、また依に頭をバインダーではたかれる。
依「依さんと言うな。学校では白鳥先生と呼びなさい」
明日香「依さん……? どういう事なんですか……!? というか先生は間宮先輩のことを知ってるんですか!?」
依「……こうなってはしょうがない。詳しく話しなさい」
明日香を見て、依はため息と共に春を見た。春は一つ頷く。
春「明日香ちゃん。俺が女装してこの白馬女子高等学校に入学したのには、ちゃんと理由があるんだ」
春は明日香の隣のベッドに腰を下ろす。依は窓際にもたれた。
春「まず、明日香ちゃんはこの学校の理事長を知ってるね?」
明日香「は、はい。入学式の時に挨拶されてましたよね。それに、学校のパンフレットにも……確か、白鳥……とか……あっ!」
その名前を出した時、明日香は合点がいったと依を見る。依はこくりと頷いた。
依「そう、私は理事長の白鳥吉信の娘だ。そして春が――」
春「依さんの――弟で、理事長の白鳥の、息子だよ」
明日香「えっ!? 白鳥先生の弟で理事長の息子!? で、でも、間宮先輩、名字が……!」
春「……母親のね、旧姓なんだ。白鳥姓のままだとそこから男だとバレる可能性があるからね。この学校のなかでだけ違う名字を名乗ってるんだよ」
明日香「でも、どうして理事長の息子さんが女子高で女装を……?」
納得がいかない明日香の疑問に、春は真剣な面持ちで言った。
春「この学校を継ぐ為だよ」
明日香「学校を……?」
春「俺は将来、父からこの学校を継いで理事長になりたいと思ってる。でも父は……まあ、なんというか面白い事が好きな変人でね」
「この学校を継ぐならこの学校に通い、中から知ってより学校を良くしていく人物でなければならない、なんて言うんだよ」
明日香「それってつまり、」
春「男の俺が女子高に通ったら、学校を継がせるってこと」
明日香「そんな無茶苦茶な……!」
驚き声を上げる明日香に、春は苦笑いする。
春「無茶苦茶な人なんだよ」
「俺がこの学校を継ぐにはこの学校に通わなければならない。でもここは女子高で、俺は男。ならもう――」
「女装、するしかないでしょ」
春は依を見上げる。
春「白鳥先生はそれを手伝ってくれてるんだよ」
依「弟が女の園で変なことをしないように監視も兼ねてな」
春「だからそんな事しないって言ってるじゃないですか……」
腕を組んでため息を吐く依に、春は苦笑いで返す。そんな二人の前で明日香はガクリとベッドに両手をつく。
明日香「り、理解出来ないっ……!」
依「無理もない」
春「理解出来ないのは分かるよ。でも俺は本気なんだ」
「本気で、この学校を継ぎたいと思ってる」
「でも君がこの事をみんなにバラすなら、俺は勿論、現理事長の父もその任を解かれるだろう。まあ、当然だけどね」
春は肩を上げて息を吐き、それから明日香を真っ直ぐに見つめた。
春「だから、君にはこの事を秘密にしていて欲しいんだ」
明日香「うっ……」
春「お願いだ。この学校に通っているのは決して邪な気持ちでじゃない。ただ……ただ、俺は……」
依「…………」
春は何かを考えるように言葉を途切れさせ下を向く。依は無言でそんな春を見つめた。明日香はその様子に首を傾げる。
明日香「先輩……?」
春はピクリと肩を跳ねさせると顔を上げた。先ほどまでと変わらない様子に明日香は不思議に思うが、喋りだす春にその不思議に思った事も拡散する。
春「……さっき言った通り、君にも損はさせない。君の治したがっている男性への恐怖心も俺が無くさせる」
「だからお願い。俺の共犯者になって欲しい」
明日香「うぅ〜…………」
真摯に明日香を見つめて頭を下げた春に、明日香は答えを出しかねて唸る。けれど時期に声を出した。
明日香「わ」
「わかりました」
「共犯者に、なります」
春「明日香ちゃん!」
春は嬉しそうに明日香の名前を呼び、明日香の両手を握った。
春「ありがとう! ほんとにありがとう!」
明日香「ま、まあ、先輩には二度も助けてもらいましたし……」
明日香は照れながら目線を彷徨わせる。春はきょとんとして、それから嬉しそうに笑った。
春「これからも、君の事を助けるよ」
明日香「え?」
春「そうだ。俺の事、間宮先輩、じゃなくて春って呼んでよ」
明日香「え、え? 何でそうなるんですか?」
春「何でって……さっき言ったでしょう。間宮はこの学校だけで使ってる名字だって。本当は俺、白鳥春だから。俺の秘密を知ってる君には本当の名前で呼んで欲しいんだ。でも白鳥って呼んだら俺の正体バレちゃうし……だから、ね?」
明日香「ええ!? でも、それは、その……!」
春「ね?」
にこりと笑って首を傾げる春に、明日香はううっと二の句が告げない。うーんと考えて、明日香はそっとその名前を呼んだ。
明日香「……はる、先輩……」
春「うん」
春は嬉しそうに笑うと、握っていた明日香の手を唇に近づけ、音だけのキスをする。
明日香「ぴっ!」
春「これからよろしくね、明日香ちゃん」
春はすりっと明日香の手を自分の頬に触れさせて微笑む。
明日香「は、はひぃ……」
依「やれやれ……どうなる事やら」
キャパオーバーで頭がふらふらの明日香とにこにこ微笑む春を見ながら、依はため息を吐いた。
依「さて、話もまとまった事だし、朝見はもう帰りなさい」
依は預けていた壁から体を離し、椅子に座って言った。明日香は戸惑いながら依を見る。
明日香「え、でもまだ授業が残って……」
依「水が全てこぼれた後の軽いバケツで、落ちてきた高さも無かったとはいえ、頭を打って昏倒したんだ。今日は安静にしたほうがいい。君の担任にはさっき話してきたから」
明日香「……分かりました。じゃあ荷物取ったら帰ります」
明日香は頷いて立ち上がる。依は明日香を見上げた。
依「うん。少しでも違和感があったり、頭が痛むようなら直ぐに病院に行くように」
明日香「はぁい」
春「じゃあ俺も帰ろうかな」
明日香に続いて立ち上がった春を、依は怪訝な顔で見る。
依「お前は水を被っただけだろう。着替えもしたし問題ないと思うが」
春「この格好だと男成分が多くて不安なんですよ。体育とかで皆が同じ格好ならまだしも、俺だけジャージっていうのは変に目立ちそうだし……」
明日香「……確かに」
明日香は春の言葉に顎に手を添えて頷く。今の姿は上下ジャージのため、いくら顔の美しい春でも流石に男性寄りに見えてしまう。
依「はぁ……しょうがないな。担任には私から、水を被ったせいで熱が出そうとかなんとか適当に言っておく。春も荷物取ったら帰りなさい」
春「分かりました」
明日香「じゃあ、ありがとうございました。白鳥先生」
春「さようなら、白鳥先生」
明日香と春は保健室の入り口で依に手を振る。依も軽く振り返した。
依「はいはい。行った行った」
○学校・廊下(授業中)
春「じゃあ、お互い荷物取ったら校門前に集合して帰ろうか」
保健室を出たところで春は明日香に提案するが、明日香は別々に帰るものと思っていたので驚く。
明日香「えっ!?」
春「え? どうせだし、途中まで一緒に帰らない?」
春は逆に明日香の態度に首を傾げ、ふふっと笑った。
春「私達、付き合ってるしね」
明日香「つ……! 付き合うとは言っても契約的な関係なんですから、含みを持たせるような言い方やめてください……! 変にドキドキするのでっ」
明日香は胸に手を当て言うが、春は軽やかに笑う。
春「ははっ、ドキドキしてほしいなぁと思ってるからね」
明日香「うう……」
○通学路
二人で歩いていると、学校が見えなくなったところで春がきょろきょろと辺りを見回す。
春「……ここらへんなら、大丈夫かな……」
明日香「春先輩? どうしました?」
春の様子に明日香が不思議そうに聞くと、春はにこりと笑って手を差し出した。
春「明日香ちゃん。手、握っていい?」
明日香「て……手っ!?
「な、なななな何で……!」
明日香はばっと自分の手を胸の前で握り込む。春はなんでもないように続けた。
春「治療の一環だよ。身体的接触も男克服にアリでしょう?」
明日香「う、」
春「ね。嫌なら直ぐ離れていいから。約束したからには男克服の手助けをしたいんだ」
春の言葉を聞き、明日香は恐る恐る手を差し出す。
明日香「……わ、かりました……」
春「ありがとう」
春は微笑んで明日香の手を握ると一緒に歩きだす。明日香は内心慌てる。
明日香(う、うわあ……握ってる……保健室ではそれどころじゃなくて意識できなかったけど……手、私よりおっきいな……)
明日香は春を見上げる。
明日香(……ほんとに、先輩って王子様みた、い……)
✕ ✕ ✕
〈フラッシュバック〉
斗真「誰がこんなブスとするかよ!」
✕ ✕ ✕
明日香「っ!」
記憶がフラッシュバックし、明日香は反射的に春の手を振り払う。
明日香「あ……」
明日香の突然の態度に春が少し驚いているのが見て取れ、明日香は慌てて春に弁解する。
明日香「先輩、あの、先輩のせいとかじゃなくて、その、」
春「大丈夫だよ」
春は優しく微笑むと、そっと明日香の背中に手を添える。
春「大丈夫。ね、」
春は明日香の背中をぽんぽんと叩き、明日香はほっとした顔で頷く。
明日香「……はい」
その明日香の様子を見て、春は明るい声をだして気分を変える。
春「あ、折角だし駅前のスタバとか行く? 新商品出てるよね」
明日香「あ! あれ私飲みたいと思ってたんです!」
明日香も春に釣られて明るく返す。春はふふっと笑う。
春「よし、じゃあ行こうか。私奢るよ」
明日香「え、そんな、悪いですよ」
春「いいからいいから。共犯者だけの特別サービスだよ」
明日香「もう、なんですか? それ」
春に背中を押されるように歩きながら、明日香は楽しげに笑う。
○スタバ・店内
飲み物を店員から受け取った二人は店内の席に座り、飲み始める。
明日香は一口飲んで顔を綻ばせる。
明日香「ん〜! 美味しい!」
春「ん、こっちも美味しいよ」
明日香と別のものを頼んでいた春も美味しそうに笑う。
明日香「ほんとですか? 次は私もそっちにしてみます!」
春「今飲みなよ。はい、」
明日香「ええっ!?」
春が飲んでいたものを差し出され、明日香は戸惑う。春は気にせず差し出す。
春「あーん」
明日香「こ、こんなの誰かに見られたら付き合ってるって思われますよ! 先輩が男だってバレちゃいます!」
春「今ジャージだから私のこと知らない人達には男女に見えてるだろうし、もし私のこと知ってる人がいても、女子同士で付き合ってるって言えば良いと思うけど?」
春は明日香にすぐ反論し、笑みを深める。
春「実際、付き合ってるし」
明日香「せ、先輩……!」
春「治療の一環、一環。はい、あーん」
引く様子のない春に、明日香は恐る恐る口を開ける。
明日香「……あ、あーん……」
明日香は差し出された飲み物のストローをくわえて飲む。春は明日香の顔を覗き込む。
春「どうかな?」
ストローから口を離した明日香は赤い顔でぽつりと言った。
明日香「美味しい、です……」
春「うん。良かった」
春は明日香に差し出していた飲み物を今度は自分で飲む。
春「美味しいね」
にこりと微笑む春に、明日香は赤い顔で頷くのだった。
○スタバ・店外
斗真「あれって……」
伊瀬斗真は店内にいる明日香と春を見つけて呟く。そこに斗真と同じ制服の数人の男子が近付いてくる。
男子1「斗真ー? 何してんだよ、行こうぜ」
斗真「あ、ああ……」
斗真は返事をすると、二人を気にしながらもグループに混ざって歩いて言った。