龍神島の花嫁綺譚
 陽葉が恐怖に顔を歪ませたとき、

「またおまえか。すぐにその手を離せ」

 空気を割るような怒声がして、陽葉の身体の緊張が弛んだ。

 気付けば目の前に白玖斗がいて、鋭い金の瞳で陽葉を睨んでいる。

「白玖斗さん……」

 名前を呼んだ瞬間、金縛りにあったように動かせなかった手が黒の石から離れた。

 バリンッ……。

 石祠を離れて地面に転がり落ちた石がふたつに割れ、妖しい黒の光の帯が、陽葉の身体に足元から絡みつくようにして上へと昇って空中に溶けていく。

『ようやく会えたな、我らが花嫁――』

 笑みを含んだ低い声が耳を掠めて遠かったとき、陽葉の頭にずきんっと鈍い痛みが走った。

「なんと愚かしい。おまえなど、一生閉じ込めておくつもりだったのに……」

 額を押さえた陽葉の口から、あきらかに陽葉ではない、別の女の声が漏れる。

(誰……?)

 身体は陽葉のものなのに、精神が乗っ取られているような、そんな感じだ。

「天音か……?」

 白玖斗の声が陽葉を呼ぶ。いや、陽葉ではない。彼が呼ぶのは別の女の名だ。表に感情を出さない白玖斗の声が、初めて戸惑いに揺れるのを聞く。

「白玖斗様」

 陽葉の身体を借りた別の女が、なつかしそうに彼を呼ぶ。次の瞬間、陽葉の身体は白玖斗に乱暴に抱き寄せられた。

「天音……」

 別の誰かを愛おしそうに呼ぶ白玖斗の声が、陽葉の精神をぎゅうっと押し潰して、暗くて狭い場所に閉じ込める。

(この人が天音……)

 誰にも動かない白玖斗を心を唯一揺さぶることのできる女性(ひと)

 暗い場所で膝をいた陽葉の精神に流れ込んでくるのは、遠い昔に五頭龍を諌めて海を鎮めた天音の記憶。それから、彼女と白玖斗との恋物語。
< 46 / 54 >

この作品をシェア

pagetop