甘やかな聖獣たちは、聖女様がとろけるようにキスをする
異世界を泳ぐ
1-1 聖女と異世界召喚
今日はとってもいい日になりそうな予感がする。
朝の星座占いは、幸運の一番星だった。
内容は、運命を変える出会いがある予感。ラッキーアイテムは、ピンク色のリボン——。
私、空野花恋は、ウエストのピンク色のリボンに一目惚れしたロングスカートをもちろん手に取り、それに白シャツを合わせるさわやかなコーデに決める。
癖のないストレートの黒髪は結ばないでおろしたままにした。
柔らかな日差しが降りそそぐ道を、いつものように大学に向かっている。
大学に向かう途中、いつものように、とあるアパートを見上げる。
まもなく五月が終わるのに、鯉のぼりを出している部屋があるのだ。よくベランダで見かける黒、赤、青の三連タイプの鯉のぼり。
鯉のぼりを持ったママと近所の幼稚園の園服を着たたっくんが丁度ベランダに出て来たところみたい。
「ママ、たっくんがやりたい!」
「危ないからママと一緒にやろうね?」
「うん! たっくんのこいのぼり、ママとやろうね!」
たっくんは鯉のぼりが大好きな男の子で、子どもの日が過ぎても晴れた日は、毎日鯉のぼりがベランダに出ている。
たっくんの鯉のぼり熱にママが根負けした結果、五月までは出すことに決まっている。
たっくんが大好きな鯉のぼりは、この道を通る人たちは微笑ましく思っていて、みんな見上げては優しく笑うのだ。
今日もたっくんの鯉のぼりを見上げて、ほのぼのしたやりとりに温かい気持ちになっていたら突風が巻き上がった。
風が埃や土を巻き上げ、思わず目を閉じる。
「きゃああ! あ、危ない……っ!」
「ああーー!」
頭の上で大きな声が響く。
——え?
見上げたら勢いよく鯉のぼりが落ちて来て、目の前に迫っていた。
よく事故にあった人が、スローモーションに見えるって言うけど、あれは本当なんだな、と妙に冷静な頭を過る。
咄嗟に、頭を庇うように腕を持ち上げ、鯉のぼりの衝撃を和らげようと瞼をきつく閉じた瞬間。
閉じた瞼の裏が眩しく光り、閉じているのに視界が、ぐにゃりと歪んだ。
あ、これやばいやつ、と思った次の瞬間、カランカラン! と金属の音が鳴った。
数秒待っても頭に衝撃はなく、恐る恐る目を開けた私が見たのは、たっくんの鯉のぼりがポール付きのまま床に転がっていた光景だった。
当たらなくて良かった——。
金属のポールの鯉のぼりが頭を直撃していたら、怪我しちゃうところだった。
たっくんもたっくんのママも驚いていたし、返してあげなくちゃと思い、慌ててたっくんの鯉のぼりを拾いあげた。
そこで初めて気づいた。
ここ、いつもの歩道じゃない場所だよね?
コンクリートじゃなくて、灰色の重厚な石造りの床になっていて、淡く光る複雑な模様も見えた。
これって、もしかして魔法陣かな? と思った瞬間。
「よっしゃ、今回も召喚成功だな!」
「今回もいい仕事したな。じゃあ打ち上げに行くか」
「うおお! 今日は呑むぞ」
怪しげな黒いローブを着た人達が楽しそうに、日本語じゃない言葉で話し合い、何故か分からないけれど、その内容が理解出来る。
そっと視線を向けると黒いローブの人達が、黒いローブに金糸の刺繍が入った上司みたいな男性に「静かにしろ。店は予約済みだ」と怒られる様子が目に入った。
魔法陣、召喚、黒いローブ、日本語ではない言葉が理解できる——頭の中で警告のアラームがすごい勢いで鳴り響く。
さらに部屋を見渡してみると、学校の教室くらいの広さの空間の真ん中に魔法陣があり、その中心に私が立っていて、魔法陣の周りに黒いローブの人達が十人くらい居て、甲冑を身につけた騎士の恰好をした人もちらほらといる。
えっ、これって、まさか……?
たっくんの鯉のぼりのポールに、ぎゅっと力を入れて杖みたいに支えてもらう。
そうじゃないと、へたりと座り込んでしまいそうだった。
黒いローブ集団の中から金髪碧眼の日本人ではない顔立ちで、立派な恰好をした男の人が、コツコツと靴の音を鳴らし、お腹の肉をぶるんぶるんと揺らし近付いて来た。
「聖女様、よくぞおいで下さいました」
金髪碧眼の丸々した人に、ずんぐりした手を差し出されたが、たっくんの鯉のぼりのポールに更に力を入れるのに精一杯。
ざわりと黒いローブ集団が「国王陛下、無視されてるぜ」と非難するように騒がしくなるが、国王陛下が片手で制すと静かになった。
「聖女様、失礼ですが、……聖獣様はどちらに?」
「……へ?」
国王陛下、聖女、聖獣、と言われて、頭がくらくらした。
こんなの小説の中の話だよね?
「もしかして、こちらが聖獣様でしょうか?」
王様がずんぐりした手が、たっくんの鯉のぼりに伸びて来て、咄嗟に後ろに下がる。
「えっ、これは、たっくんの鯉のぼりです……」
「は?」
そんな驚かれても、そもそも鯉のぼりは聖獣どころか生き物じゃないと思うし、この鯉のぼりは私の物ですらないですけど。
「おい、本当に聖女なんだろうな?」
王様が周りに立つ黒ローブの人達に話し掛けると、黒いローブに金糸の男性を中心に話し合いを始める。
「うっそ、俺達、座標と時標軸を間違えたとか?」
「いやいや、あってた筈だぞ。っていうか、打ち上げキャンセルっすか?」
「召喚残業かよ、最悪……」
漏れて来る声は悲鳴めいていたが、それよりも聖女じゃない可能性が出て来た途端、国王陛下からネットリした視線が向けられ、身体に纏わりつく。
「ほお、聖女じゃない可能性もあるのか、まあ……やや肉感が足りないが、異界の黒髪黒目はなかなか唆るものだな。どうせ帰るあても無い女ならば、妾、いや、異界の姫として側室に迎えても良いな……」
じっとりねっとりと蛇のような視線が下から上に舐め回るように見られると、鳥肌がぶわっと立って止まらない。
国王陛下のずんぐりした手が、たっくんの鯉のぼりから私の頬に方向を変えて、伸びて来たので反射的に叫んだ。
「きゃあ……い、いや……っ!」
顔を背けて、たっくんの鯉のぼりのポールをぶんぶんと振り動かして抵抗をしたけど、あっさり鯉のぼりポールを捕まえられてしまい絶対絶命と思った瞬間。
「ぶはっ!」
「——バフォフォ……」
「ちょ、ちょ、仮聖女っ!」
「ぐほぉほっ……」
黒ローブ集団が場違いに吹き出したり、笑いを堪えた声を押さえているのが聞こえて、意味が分からない。
「ぶはっ……! やばいって、あのコイノボリってやつ、輝く聖なる杖になっちゃってるって!」
黒ローブ集団のコイノボリの言葉に、たっくんの鯉のぼりを見てみると、ふさっと金色の髪がポールの一番上の玉にきれいに乗っており、『聖なる杖』に見事に変わっていた。
「へっ? ふあっ! か、カツラ取っちゃった?」
突然の展開にあわあわして、大きな声で思ったことをそのまま言ってしまう。
「ブッハァァァ!」
「ぐはっ、ちょっ……仮聖女、マジウケるー」
「ひっ、も、もうヤメロ。腹筋が死ぬって……」
「——ぐほぉほぉ」
黒ローブ集団は、笑い過ぎたのかぴくぴく痙攣している人もいる。
そっと国王陛下に視線を戻すと、ぷるぷると震えていて、湯気が出そうなくらい真っ赤な顔で私を睨んでいて、バッチリと目が合う。
ああ、終わった……と思った——。