甘やかな聖獣たちは、聖女様がとろけるようにキスをする
5-7 聖女は聖獣に再会する
「リリエ、かれん様に無理を言ってはならぬ」
ソレイユ姫がぴりっとした空気をまといながら起き上がるとリリエさんに告げた。
「ですが――」
「わたくしがベルデと結ばれたいなんてたわごとをいつ言ったのだ? そろそろ田植えの時間だ、さあ行こう――」
リリエさんの言葉をさえぎり立ち上がったソレイユ姫は少しもふらついていなければ、酔っ払っていたかけらも残っていなかった。
ふにゃふにゃしていたのが嘘みたいにつんつんしたお姫様に戻っていた。
「きつねに化かされたみたい……」
ぽつりとつぶやくとリリエさんが小さくうなずいたのが目の端に映った。
「姫さまはお酒にとびきり弱いので酔っ払っていた時の記憶はないのですが、回復がとても早いのです」
「ああ、そうなんですね――」
「かれん様、先ほどは出過ぎたことを言ってしまい申し訳ありません。さあ、私たちも急ぎましょう」
「あっ、いえ――はい、行きましょう」
正直なところほっとした自分がいた。
あのままリリエさんと話していたら、私は自信を持って前の世界に帰りたいと言えただろうか――その答えが浮かぶ前に私はあわてて首を横にふった。
「かれん様、行きましょう」
リリエさんに手を引かれて姫さまたちに追いつくと、清めの儀式が行われた別棟から水をはった田植え前の田んぼ――代田に到着すると水面が光ってきらきら輝いている。
「わあ――! すごいんだね!」
代田の土の表面を平らにする代掻き作業をする牛は美しい鞍やきらびやかな玉飾りをつけて飾られていて、村の男性たちは太鼓や笛を持って私たちの到着を待っていた。
「さあ、はじめよう――」
ソレイユ姫のかけ声と共に、牛は田に入ると縦一列になって代掻きをはじめる。艶やかな服を着た私たち早乙女が後ろに並んでいる男性たちの太鼓や笛の音にあわせて、みんなは苗を植えていった。
私は、田植えをするのがはじめてなこともあって、ぬかるんでいる田んぼを歩くことも、一箇所で白飯一杯分収穫できるように三本ずつ苗を植えていくのも難しい。
リリエさんからも無理はしなくて大丈夫ですよと言われていたこともあって、私だけは太鼓も笛の音も関係なくのんびりと植えていくことにした。
遅いけど、丁寧に心をこめて植えようと思って三本の苗をよいしょ、よいしょと植えていると視線を感じた。
「っ――!」
思っていた以上に横笛を吹くノワルが近くにいて、ノワルの目を細めた仕草を見たら心臓がきゅうきゅう音をたてていく。
瞳がノワルをとらえた瞬間、ノワルのいる場所だけが別の世界になったようにきらきら輝いて見えて、自分の呼吸と心臓の音だけが耳に響くような気がした。
「花恋様、手が止まってるよ」
完全に手が止まってノワルを見つめていたら、横笛を吹くのをやめたノワルがからかうように話しかけてきた。ノワルに会えたことが嬉しくて代田の端まで歩いていく。
みんなはどんどん先に進んでいき、にぎやかな笛や太鼓の音も遠ざかっていく。
「泥がついてるよ」
「うん……」
ノワルの優しい瞳が細められ、親指が頬の泥をぬぐってくれる。触れたところからノワルの体温が広がるのが愛おしくて、心臓がきゅうきゅう痛いくらいに締めつけられていく。
でも、元の世界で結ばれることのない相手だという言葉がちらりと頭をよぎると心臓をきゅっとわしづかみされたように苦しくなる。
「花恋様、こっちにもついてる」
「……うん」
ノワルの体温がゆっくりなぞっていくのが気持ちいい。気持ちよさに身をまかせるふりをして、思い出したくないことを忘れるように目をゆっくりつむった。
ノワルのお日さまの匂いが鼻をかすめると同時に唇にやわらかな感触がかすめていた。
「ふえっ?」
まぬけな声をあげてまぶたを押し上げると、ノワルの黒い瞳に見つめられていて、かあっと身体中が熱くなっていく。
「あれ? おねだりじゃなかった?」
ノワルがからかうように笑っていて、その顔を見たら胸がきゅうきゅうせつなくないていて、ノワルの言葉にもう一度ゆっくりまぶたを閉じて赤らんだ顔を上に向けた。
ノワルがたまらずと言う感じにため息をついた。
「ああ、もう……。本当にかわいいね」
もう一度、ノワルの甘くて温かな感触が唇に落とされたけど、すぐに離れてしまう。
胸のきゅうきゅうが全然収まらなくて、ノワルをじっと見つめる。今はただノワルに触れていたい。
「もう一回する?」
「うん……」
「ああ、もう……。本当にかわいいね」
ノワルの長い指が頬をなぞり耳のうしろに滑りこむと、体温を感じる甘いキスを唇に感じた。
ゆっくりまぶたをひらくと、小指が嬉しくてたまらないみたいに、ぱあっときらきら華やかなピンク色に光りはじめる。
「えっ?」
いつものように小指の光が消えるのを見つめていたのに、きらきらした光は消えるどころか苗にからみつき苗もきらきら若草色に煌めいている。
「花恋様は、この一列を植えたら終わりの予定だったの?」
「えっ、あっ、そうだけど――」
どうして苗がきらきら煌めいているのかわからなくて、きょとんと首を傾けているとノワルが苗を受け取ってくれた。
ぱちんと指をならすとノワルの手の中の苗が消えてしまった。
「えっ、ひゃあ、ノ、ノワル!?」
「うん、慌ててる花恋様もかわいいね――ほら、ちゃんと植えてあるよ」
「えっ? あっ、本当だ――ノワルってすごいね」
ノワルの指差した方向を見るときらきらした苗がきれいに一列に並んでいる。
「きゃあ!」
魔法に感心してながめていたら、突然の浮遊感を感じて悲鳴をあげるとノワルが両脇に手をいれて代田から出してくれたところだった。
「驚いた花恋様もかわいいね――じゃあ戻ろうか」
ノワルがもう一度ぱちんと指をならすと泥がついていたところはきれいになり、今度は私の膝裏と背中に腕を回し、私を抱き上げた。
「ノ、ノワル! 自分で歩けるよ!」
「恥ずかしがる花恋様もかわいいね――大丈夫だよ、みんなは田植えに夢中で誰も見ていないよ。慣れないことをすると、思っている以上に疲れてしまうから心配なんだよ。だからこのまま大人しくしててね」
「う、うん……」
疲れていると言われると不思議とそういう気持ちになるもので、私は筋肉のついたノワルの胸に顔をそっとあずけると「かわいい」とつぶやき、褒めるようにさらりと髪をなでてくれる。
お日さまのぽかぽかした匂いに包まれて、身体の力がふにゃふにゃと抜けてしまった私をノワルは安定した足取りで田んぼをあとにした。
もちろん村の人たちに、いちゃいちゃはばっちり見られていたけれど、それに私が気づくことはなかった――。