彗星航路
梨穂はお弁当箱を前に「また碧衣のファンが増えちゃうのかー」と頬を膨らませる。
「すでに剣道部の有名人だしね。碧衣、格好いいから仕方ないんだけど」
「だから、大袈裟だって。ファンなんかじゃないよ」
剣道部の有名人、か――。梨穂に返事をしながら、心の中で肩を落とした。
高校でも剣道を続けようと思っていたわけではなかった。もともと剣道は小学生のときに叔父に勧められて始めただけだったし、なんなら中学三年生の失恋は問答無用で私に引退を決意させた。割れた腹筋にもおさらばして、あわよくばビキニを着ようとも画策していた。
しかし、道場の前を通りかかったのが運の尽きだった。梨穂が家庭部に入ると聞いて、なんなら誘われて、らしくない私が家庭部に入る言い訳を考えていたのに、剣道部の顧問に「やっと星谷さんが来てくれた!」と見つかり、「いえ剣道部に入る予定はないです」と返事をする前に「これで廃部にならずに済む!」と涙を滲まされては言葉を失うしかなかった。灰桜高校剣道部は弱小も弱小で、今年の新入部員を三人確保しなければ廃部と宣告されていたらしかった。お陰で栄えある三人目となってしまったし、陰では「剣道部の救世主」とまで言われているらしい。
別に剣道は嫌いじゃないけれど、問題はある。それは防具の臭いだ。ただでさえ道場内なんて熱気が籠るのに、これから夏がやってきたらどれだけ防具が蒸れるか、想像するだけで顔が渋くなる。例えば部活終わり、うっかり志彗先輩に出くわそうものなら……。
「そういえばね、五月になったら家庭部も月に何回かお菓子作ったりするんだって。部活の差し入れにあげるね」
「ありがとう。それって部活終わりにくれるってこと?」
「うん、剣道部が終わるより早く作れるから」
「そう……」
やっぱり、あのときに家庭部に入っておけばよかっただろうか。志彗先輩だって、防具のなんともいえない汗ともカビとも分からない臭いをさせる女子より、甘いお菓子の香りをさせる女子のほうがいいに決まっている。……別に、志彗先輩に限った話ではないだろうけれど。だから、志彗先輩を想定したことに深い意味はないのだけれど。