そして外交官は、契約妻に恋をする
 豚の生姜焼きなら一人前残っている。客はそれでいいと言ったようで最後の客が入ってきた。

 フライパンを振り生姜焼きを作って盛り付ける。カウンターに座った客にそのまま出すと――。

「あっ」

 同時に声がでた。

「その節はお世話になり。ありがとうございました」

 彼はあらためてポケットから名刺を差し出す。

 名前は本郷さん、近くの大手商社にお勤めのようだ。

 去年、ロンドンで買い物に出掛けたとき途方に暮れている彼と出会った。通り過ぎざまに、スマホを手にした彼が日本語で『置き引きにあったんですよ。どうしたらいいか』と話しているのに気づいた。自分と同じ年頃のスーツを着たビジネスマン。放ってはおけずに声をかけた。

「なにしろ大事な商談の資料だったので、あのときは本当に助かりました」

「私はセキュリティースタッフに声をかけただけですから。でもよかったですね」

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