そして外交官は、契約妻に恋をする
 防犯カメラをチェックし犯人の動きを追い、カバンの中身は書類と替えの衣類だけだったためか、無事に見つかって事なきを得たのである。

「あのときは礼もできず、ずっと気になっていたんです。お会いできてよかった」

「礼なんていいんですよ」

 喜代子さんが「それじゃ、ここに食べに来てくださいな」と笑いを誘った。

 本郷さんを見送り、懐かしいロンドンでの日々を思い出した。彼だけじゃない。ほんの数人だけれど、日本人の観光客を助けた。ある若い女性は男性にしつこく誘われていて、ある老夫婦は無料のガイトツアーと偽る詐欺師に捕まっていたり。

 積極的に声をかけたのは、外交官の妻だという矜持があったからである。

 つらつら思いつつ片付けを済ませ、キ喜を後にする。

「お疲れ様でした」

「はーい。お疲れ。真倫ちゃん、また明日ね」

 喜代子さんはこのまま夜の仕込みに来るご主人を待つ。店の鍵をいったん閉めて座敷のコーナーで仮眠をとったりテレビを観たりして過ごすようだ。

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