シナモンと葡萄酒と白銀の魔杖
24夜目のためのお話:降星祭の夜は
(……どうしてこうなったんだろう?)
エーファはドギマギしつつ、ランベルトをチラッと見遣る。
ランベルトは仏頂面になっており、その眉間に深く皺が刻まれている。怒っているように見えるのだ。
バルコニーから戻ると、応接室の中にはランベルトとリーヌスしか残っていなかった。
おまけに一緒に戻ったメヒティルデは、リーヌスに連れられてサーディクのもとに送られてしまう。
こうして、エーファとランベルトは二人きりになってしまった。
「あ、私も外に出ますね」
「待ってください。エーファさんに話したいことがあるんです」
「は、はい……」
逃げ腰だったエーファは、観念してランベルトの差し向かいにあるソファに座った。
「あ、もう日付が変わってしまいましたね。いろんなことがあって大変でしたね」
「……そうですね。この短時間で、たくさんのことが変わりました」
王太子が国民を誘拐したという事件王都中を騒然とさせた。
国王はすぐに動いて議会を開き、今後の方針を固めた。
王太子はアンゼルムからフリートヘルムに変わり、アンゼルムは裁判で事件の真相を暴かれた末に処刑されることとなった。
実の息子だからと情けをかけられない。王族は、民を守ってこその存在なのだ。
だからアンゼルムは、己の犯した罪を償う必要があった。そうしなければリーツェル王国は、民からの信頼を失う。
守るべき民を虐げた罪は、彼が想像している以上に重かったのだ。
ユリアはというと、元アーレンベルク公爵令嬢ことメヒティルデを陥れた罪に問われている。
彼女は身分を剥奪され、修道院に送られるだろうと聞いた。
そこでは一生涯、外に出ることを禁じられており、もちろん今までのような贅沢はできない。
今まで蝶よ花よと育てられてきた令嬢にとって、清貧を重んじる修道女生活は過酷なものだろう。
「……どうして、フリートヘルム殿下に助けを求めたのですか?」
「へっ?」
唐突な質問に、エーファは間の抜けた声を上げた。
「フリートヘルム殿下に助けを求めていません。たまたまルントシュテット侯爵令嬢と一緒に店に来たので、流れでああなったわけで……」
「そう……でしたか……」
ランベルトの声が尻すぼみになる。
エーファは彼の顔が真っ赤になっていることに気づいた。
「ロシュフォール団長、顔が赤いですよ。もしかして、風邪をお召しになったのでは?」
「これは、その……己の心の醜さを恥じているだけなので気にしないでください」
「むしろ気になります。どうしたんですか?」
「――っ」
ランベルトは言葉を詰まらせると、大きな手で自分の顔を覆ってしまった。
「……フリートヘルム殿下に嫉妬していたんですよ」
「嫉妬……?」
「実は、エーファさんがアンゼルム殿下に追われたあの日、神殿でエーファさんとフリートヘルム殿下を見かけたんです。フリートヘルム殿下と話しているエーファさんが楽しそうで、その様子を見ているとなんだか……嫉妬してしまったんですよ。きっとエーファさんにとってフリートヘルム殿下は特別な存在だと思ってしまったんです」
「フリートヘルム殿下はただの元部下ですよ。生意気だけど可愛い弟分であって、それ以下はあってもそれ以上はないです!」
「……以下の部分は聞かなかったことにします」
そう言うと、ランベルトは両手を顔から離した。
いつもはきっちりと撫でつけている髪が、やや乱れてしまっている。彼のそのような姿を見るのは初めてだった。
「ええと、話したいこととは、そのことだったんですか?」
「いえ、これからが本題です」
「ひえっ」
ランベルトは急に立ち上がると、エーファの前に跪く。
まるで騎士が主に忠誠を誓うかのように、厳かな気配を纏ってエーファを見上げる。
「あの小屋の中で、私がアンゼルム殿下と話したことは覚えていますか?」
「少しは……」
今度はエーファが顔を赤くする。
少しはと答えたが、本当はランベルトの言葉を、ひとつたりとも忘れてなどいなかった。
エーファに惚れているのかと問われた彼が、その答えを本人――エーファに伝えると言ったことも。
「私は、エーファさんに惹かれています。元アーレンベルク公爵令嬢――もう、カーセム=シン王国の王妃ですね。あのお方のために懸命になっているあなたにも惹かれましたし――あのお方のことしか考えていないように振舞いながら、周りの人々を放っておけないあなたにも惹かれていました。あなたが嬉しそうに話しかけてくれる姿を見ると、胸の奥が温かくなるんです。――あなたの何もかもに、惚れたのだと気づきました」
「で、でも、私は平民ですよ。それでもいいんですか?」
「……以前の私なら、身分の差を考えて愚かにも諦めていたかもしれません。でも、今は違います。自分の信念よりもあなたが大切になったんです。あなたを、愛しています」
「――っ!」
エーファは知っている。
ランベルト・ロシュフォールはそう簡単に己の信念を曲げない頑固者だということを。
そして生真面目で、絶対に人を陥れたりはしないし、裏切りもしない誠実な人間だということを。
――彼はその言葉通り、自分に惹かれ、愛してくれている。
紫水晶の目に真っ直ぐに見つめられ、心臓が早鐘を打ち鳴らし始めた。
「エーファさんの気持ちを、聞かせていただけませんか?」
「うっ……」
エーファは狼狽えた。
今まで恋をしたことなど、一度もないのだ。こういう時、どのように気持ちを伝えたらいいのかわからない。
「私は……、シュフォール団長がに会えない日が続くのは、寂しいと思いました。きっと私はこれからもロシュフォール団長と一緒にいたいんです。それに――」
いつもは饒舌なエーファらしくない、たどたどしさのある口調。しかしその言葉一つ一つが、丁寧に彼女の想いを表している。
ふとエーファの脳裏に思い浮かぶのは、神殿でランベルトを見かけた時に感じた喪失感。
ランベルトが店に来てくれたのは、エーファを見張るためだった。それなら、復讐を遂げたエーファを彼が見張る理由がない。
明日からは、もう二度とランベルトに会えないのかもしれないのだ。
そう思うと、胸の奥にまたぽっかりと穴が空いたように感じる。
エーファは胸元を手で押さえた。
「一緒にいると安心しますし、ロシュフォール団長の目を見ると、とてもドキドキするので――その、私もロシュフォール団長は特別な存在だと思います。愛して、います」
エーファの飾らない言葉に、ランベルトは目元を綻ばせた。
「エーファさん……手に触れても?」
「ど、どうぞ」
ランベルトは差し出された手を取ると、目を閉じてそっと唇を触れさせた。
誓いを込めるように、厳かに触れた。
瞼を開くと、また視線がかち合う。
「私と結婚して――生涯を共にしてくれますか? もちろん、結婚してからカフェを続けてもいいし、魔法兵団に戻っても構いません」
「わ、私で良ければ……」
ランベルトは今までにないほど幸せそうに眼差しを蕩けさせる。
「一生涯、あなたの幸せのために尽くすと誓います」
ランベルトは立ち上がると、ふわりとエーファを抱きしめた。
二人の影がゆっくりと近づき――ひとつになる。
ランベルトは、まるで神聖な儀式でもするかのように恭しく、エーファにキスをした。
エーファは思わず彼の胸元のシャツを握りしめた。
薄く温かな唇が触れる場所から胸の中へと、初めて経験する甘やかな感覚が広がって困惑している。
ドキドキと高鳴る心臓の鼓動が全身に伝わる。唇を通してランベルトに知られてしまいそうだと思った。
それでも離れがたく、エーファからもランベルトに唇を触れさせる。
はにかむように笑みを交わすと、二人はどちらからともなく唇を重ねた。
「……そうだ。鉢植えの飾り、最後の一つをつけて外に出さないといけませんね」
「そうですね。エーファさんの願いが叶うといいですね」
「実はもう……叶ったんです。だから新しい願いを込めてみようかと思います」
アンゼルムへの復讐も、メヒティルデを救うことも、もう叶ったのだ。
これから願うのは――目の前にいる大切な人と自分の幸せにしよう。
「実は……リーヌスから、明日は途中で抜けろと言われていまして……もしよろしければ、明日の夜は一緒に降星祭を見に行きませんか?」
「ぜひ!」
エーファが無邪気に笑うと、ランベルトもつられて微笑む。
二人は手を握ると、部屋を出て二人の告白の結末を待つ友人たちに報告に行ったのだった。
(結)
エーファはドギマギしつつ、ランベルトをチラッと見遣る。
ランベルトは仏頂面になっており、その眉間に深く皺が刻まれている。怒っているように見えるのだ。
バルコニーから戻ると、応接室の中にはランベルトとリーヌスしか残っていなかった。
おまけに一緒に戻ったメヒティルデは、リーヌスに連れられてサーディクのもとに送られてしまう。
こうして、エーファとランベルトは二人きりになってしまった。
「あ、私も外に出ますね」
「待ってください。エーファさんに話したいことがあるんです」
「は、はい……」
逃げ腰だったエーファは、観念してランベルトの差し向かいにあるソファに座った。
「あ、もう日付が変わってしまいましたね。いろんなことがあって大変でしたね」
「……そうですね。この短時間で、たくさんのことが変わりました」
王太子が国民を誘拐したという事件王都中を騒然とさせた。
国王はすぐに動いて議会を開き、今後の方針を固めた。
王太子はアンゼルムからフリートヘルムに変わり、アンゼルムは裁判で事件の真相を暴かれた末に処刑されることとなった。
実の息子だからと情けをかけられない。王族は、民を守ってこその存在なのだ。
だからアンゼルムは、己の犯した罪を償う必要があった。そうしなければリーツェル王国は、民からの信頼を失う。
守るべき民を虐げた罪は、彼が想像している以上に重かったのだ。
ユリアはというと、元アーレンベルク公爵令嬢ことメヒティルデを陥れた罪に問われている。
彼女は身分を剥奪され、修道院に送られるだろうと聞いた。
そこでは一生涯、外に出ることを禁じられており、もちろん今までのような贅沢はできない。
今まで蝶よ花よと育てられてきた令嬢にとって、清貧を重んじる修道女生活は過酷なものだろう。
「……どうして、フリートヘルム殿下に助けを求めたのですか?」
「へっ?」
唐突な質問に、エーファは間の抜けた声を上げた。
「フリートヘルム殿下に助けを求めていません。たまたまルントシュテット侯爵令嬢と一緒に店に来たので、流れでああなったわけで……」
「そう……でしたか……」
ランベルトの声が尻すぼみになる。
エーファは彼の顔が真っ赤になっていることに気づいた。
「ロシュフォール団長、顔が赤いですよ。もしかして、風邪をお召しになったのでは?」
「これは、その……己の心の醜さを恥じているだけなので気にしないでください」
「むしろ気になります。どうしたんですか?」
「――っ」
ランベルトは言葉を詰まらせると、大きな手で自分の顔を覆ってしまった。
「……フリートヘルム殿下に嫉妬していたんですよ」
「嫉妬……?」
「実は、エーファさんがアンゼルム殿下に追われたあの日、神殿でエーファさんとフリートヘルム殿下を見かけたんです。フリートヘルム殿下と話しているエーファさんが楽しそうで、その様子を見ているとなんだか……嫉妬してしまったんですよ。きっとエーファさんにとってフリートヘルム殿下は特別な存在だと思ってしまったんです」
「フリートヘルム殿下はただの元部下ですよ。生意気だけど可愛い弟分であって、それ以下はあってもそれ以上はないです!」
「……以下の部分は聞かなかったことにします」
そう言うと、ランベルトは両手を顔から離した。
いつもはきっちりと撫でつけている髪が、やや乱れてしまっている。彼のそのような姿を見るのは初めてだった。
「ええと、話したいこととは、そのことだったんですか?」
「いえ、これからが本題です」
「ひえっ」
ランベルトは急に立ち上がると、エーファの前に跪く。
まるで騎士が主に忠誠を誓うかのように、厳かな気配を纏ってエーファを見上げる。
「あの小屋の中で、私がアンゼルム殿下と話したことは覚えていますか?」
「少しは……」
今度はエーファが顔を赤くする。
少しはと答えたが、本当はランベルトの言葉を、ひとつたりとも忘れてなどいなかった。
エーファに惚れているのかと問われた彼が、その答えを本人――エーファに伝えると言ったことも。
「私は、エーファさんに惹かれています。元アーレンベルク公爵令嬢――もう、カーセム=シン王国の王妃ですね。あのお方のために懸命になっているあなたにも惹かれましたし――あのお方のことしか考えていないように振舞いながら、周りの人々を放っておけないあなたにも惹かれていました。あなたが嬉しそうに話しかけてくれる姿を見ると、胸の奥が温かくなるんです。――あなたの何もかもに、惚れたのだと気づきました」
「で、でも、私は平民ですよ。それでもいいんですか?」
「……以前の私なら、身分の差を考えて愚かにも諦めていたかもしれません。でも、今は違います。自分の信念よりもあなたが大切になったんです。あなたを、愛しています」
「――っ!」
エーファは知っている。
ランベルト・ロシュフォールはそう簡単に己の信念を曲げない頑固者だということを。
そして生真面目で、絶対に人を陥れたりはしないし、裏切りもしない誠実な人間だということを。
――彼はその言葉通り、自分に惹かれ、愛してくれている。
紫水晶の目に真っ直ぐに見つめられ、心臓が早鐘を打ち鳴らし始めた。
「エーファさんの気持ちを、聞かせていただけませんか?」
「うっ……」
エーファは狼狽えた。
今まで恋をしたことなど、一度もないのだ。こういう時、どのように気持ちを伝えたらいいのかわからない。
「私は……、シュフォール団長がに会えない日が続くのは、寂しいと思いました。きっと私はこれからもロシュフォール団長と一緒にいたいんです。それに――」
いつもは饒舌なエーファらしくない、たどたどしさのある口調。しかしその言葉一つ一つが、丁寧に彼女の想いを表している。
ふとエーファの脳裏に思い浮かぶのは、神殿でランベルトを見かけた時に感じた喪失感。
ランベルトが店に来てくれたのは、エーファを見張るためだった。それなら、復讐を遂げたエーファを彼が見張る理由がない。
明日からは、もう二度とランベルトに会えないのかもしれないのだ。
そう思うと、胸の奥にまたぽっかりと穴が空いたように感じる。
エーファは胸元を手で押さえた。
「一緒にいると安心しますし、ロシュフォール団長の目を見ると、とてもドキドキするので――その、私もロシュフォール団長は特別な存在だと思います。愛して、います」
エーファの飾らない言葉に、ランベルトは目元を綻ばせた。
「エーファさん……手に触れても?」
「ど、どうぞ」
ランベルトは差し出された手を取ると、目を閉じてそっと唇を触れさせた。
誓いを込めるように、厳かに触れた。
瞼を開くと、また視線がかち合う。
「私と結婚して――生涯を共にしてくれますか? もちろん、結婚してからカフェを続けてもいいし、魔法兵団に戻っても構いません」
「わ、私で良ければ……」
ランベルトは今までにないほど幸せそうに眼差しを蕩けさせる。
「一生涯、あなたの幸せのために尽くすと誓います」
ランベルトは立ち上がると、ふわりとエーファを抱きしめた。
二人の影がゆっくりと近づき――ひとつになる。
ランベルトは、まるで神聖な儀式でもするかのように恭しく、エーファにキスをした。
エーファは思わず彼の胸元のシャツを握りしめた。
薄く温かな唇が触れる場所から胸の中へと、初めて経験する甘やかな感覚が広がって困惑している。
ドキドキと高鳴る心臓の鼓動が全身に伝わる。唇を通してランベルトに知られてしまいそうだと思った。
それでも離れがたく、エーファからもランベルトに唇を触れさせる。
はにかむように笑みを交わすと、二人はどちらからともなく唇を重ねた。
「……そうだ。鉢植えの飾り、最後の一つをつけて外に出さないといけませんね」
「そうですね。エーファさんの願いが叶うといいですね」
「実はもう……叶ったんです。だから新しい願いを込めてみようかと思います」
アンゼルムへの復讐も、メヒティルデを救うことも、もう叶ったのだ。
これから願うのは――目の前にいる大切な人と自分の幸せにしよう。
「実は……リーヌスから、明日は途中で抜けろと言われていまして……もしよろしければ、明日の夜は一緒に降星祭を見に行きませんか?」
「ぜひ!」
エーファが無邪気に笑うと、ランベルトもつられて微笑む。
二人は手を握ると、部屋を出て二人の告白の結末を待つ友人たちに報告に行ったのだった。
(結)